松本城の裏手を北に歩くと、旧開智学校の校舎があります。重要文化財だそうで。
元はもっと街の中心地、女鳥羽川のほとりにあったのを、移築してこちらに保存
しているのです。
堂々たる造りです。明治維新のあとに出来た、県下第一の小学校だったそうです。
「開智」という名前が語っているように、県で唯一洋学(英学)が設置されたのみ
ならず、幼稚園や高等教育・特殊教育、社会教育も実施されました。
障害を持った子供たちのクラスを作ったけれど、差別・いじめがあって取りやめに
なったとか、貧困層の子供たちを集めて教育をしただとか、家の事情で教育を
受けられない女の子たちにも機会を与えようとしたとか、この洋風の建物の外観
だけでなく、その様々な試みにも、明治の時代に教育に力を入れようとしていた
当時の人々の気概が感じられました。
ドアにつけられた装飾にも、その威厳が感じられますね~。
机と椅子が、小さくてカワイイ。
だるまストーブと、石炭を入れるバケツが当時の雰囲気を伝えてくれます。
明治天皇ご夫婦が立ち寄って、お休みになった部屋だそうです。松山の温泉だとか、
宿場町の立派な宿だとか、「天皇が来たところ」っていくつかあったなあ。
2階にある講堂。色付きのガラス窓といい、シャンデリアのような照明といい、
立派ですねェ。しかし私はどうも、この学校の講堂というのが好きではない。
大人になっても、さっさと出てゆきたくなる。子供の頃に、集合させられて
立たされて並ばされて話を聞かされたのがよっぽど嫌だったのでしょう。。。
講堂の横から1階に降りる回り階段。外側を歩かないと、内側はほとんど梯子。
説明によると、この丸い仕切り柱は、立派なお寺を解体して利用したとか。
明治の時代には、神道が幅をきかせて仏教は迫害されました。廃仏毀釈というやつ
です。夜になると、この柱から念仏が聞こえてくるぞォ~^^;