十五夜。会社のベランダから西新宿方面の夜空をあおぐと満月。うまい具合に雲を引き連れての中秋の名月だ。
高層ビルの上空に浮かぶ月を見ると思い出すのが「六月の夜の都会の空」。学生時代に読んだ稲垣足穂の、どの本だったかに、内容はほとんど覚えていないけれど、この言葉だけは多感な、まだ柔らかだった心になんだかずきっと突き刺さって、破片がいつまでもとれずに残っていた。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」と同じくらいに、個人的にはインパクトのある言葉。先日久しぶりに読み返した足穂の文庫「一千一秒物語」の「弥勒」(みろく)に「六月の夜…」を見つけて小躍りし、忘れないうちにとメモしておいた。
主人公の江美留(えみる)の友人のIが、昼休みの教室の黒板に走り書きした言葉が「六月の夜の都会の空」だったのだ。Iは続けて、「エーテルは立体的存在の虚空に七色のファンタジーを描き、球と六面体から成立した紳士は、リットルシアターの舞台で直角ダンスを演じて…」と書いたメモを丸めて江美留に投げた。未来派絵画なのだ。
そうそうそんな不思議な、わけのわからない展開だった。「一千一秒」には他にも「黄漠奇聞」「天体嗜好症」「星を売る店」「美のはかなさ」そして「A感覚とV感覚」などが収録されている。タイトルだけでわくわくしてむさぼり読んだ記憶が刻まれている。すり減った道しるべの道標くらいの刻印だけれど。
「六月の夜…」は「美のはかなさ」の第一部のタイトルにも使われていた。足穂も気に入ったのだ。「弥勒」は1940年に発表されていて、「美のはかなさ」は1952年だから、ずっと心に残っていたのだ。
言葉の初出、ストーリーの輪郭がわかってようやくすっきりした、九月の夜の都会の空に真ん丸お月様ゆれる。
夜中に原稿書きなどしていて、煮詰まったら一人で
多摩川の橋を渡って土手まで散歩に出ることもある
のですが、街灯に照らされた草むらから虫の声が
りんりりんと聞こえると、ああ秋だなあと思います