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今日も天気がいいし、チャンス、と昨日見つけた「一峰院」の赤松のスケッチに出かけた。目をつけておいた数本の松、絵になりそうな位置から眺めると逆光で細部がつぶれてしまうのだけれど、くねくねとうねった幹のところどころは順光で木肌がきわだち立体感がある。それじゃあ細部は省略して、と鉛筆スケッチにかかる。にしても松。幹や太い枝はいいのだけれど、細い枝、針のような葉の数が多すぎる。
自分の集中力の限界、およそ30分で何とか形をまとめたが、ちょっと違うなあと心の中の一人が言う。なあにこんなもんだろ、ともう一人がささやく。いつもは後者の一人勝ちだけれど、今日は陽気のせいで気分が高揚していたから、さらに2枚追加で描き、少しだけ納得した。墨で起こす時にはこのあたりを省いてここは穂先を散らした渇筆(かっぴつ)で、となんとなく情景が浮かぶ。水墨画のメントレだ。
帰路、今回も川沿いの道を選び、玉川上水の取水口で一休み。多摩川と上水にはさまれた桜並木のまわりは、さすがにまだ人出も少ない。それでも黒々とした桜の幹はいい表情を見せる。花が咲いたらスケッチしようかと思った幹の脇に立て札。いわく、このあたりは「堰(せき)の筏(いかだ)通し場」で「『きのう山下げ、きょう青梅下げ、明日は羽村の堰落とし』と筏乗り唄にうたわれたように、多摩川上流から伐り出す青梅材を江戸に搬出する筏乗りにとって、羽村の堰は最大の難所」だったという。
しかし、筏が堰を破損するからと、享保三年(1718年)には筏の通行が全面禁止された。それじゃあ商売にならないと筏師が直訴し、3年後にようやく日時を限っての通行許可が下りたと記載されている。その筏通し場が写真のあたりかなと見当をつけた。筏落としの掛け声、竿さばきに怒声、そんな光景を想像しながら土手の散歩道を引き返した。本日の総歩数は13,914歩に「しっかり歩数」は6,397歩、とまずますの記録。
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