最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

寄贈本 『Anonym〈匿名者〉』 山下寅彦写真集

2016年09月18日 | コレクション







『Anonym〈匿名者〉1971』
彩流社 2016年8月31日発行 A4判 80ページ 定価3500円+税

彩流社のHPは → こちら  購入方法の案内もあります。 


本書は1971年4月20日に羽田をたち、パリ、ジュネーブ、ボローニャ、ローマ、メッツ、アントワープ、ブリュッセル、アムステルダム、ミュンヘン、パリ、レーヌ、パリ、アムステルダム、ロッテルダムと巡り、8月23日に羽田に帰着する間に撮影されたモノクロ写真を集めた作品集です。
略歴から計算すると、著者が30歳の時です。それぞれの場所で切り取った、山下さんの心に響いた「瞬間」なのだと思います。
1972年に銀座のニコンサロンで開いた「アノニム アノニム」展で発表した作品のオリジナルプリントをベースに構成されているそうです。
本書は山下寅彦さんの奥様から送っていただきました。


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本書の著者、山下寅彦さんは2012年2月24日に亡くなられました。1941年生まれですから、71歳になったかという若さでした。
2012年の5月に、「星新一公式HPに駄文が載りました」という知人・友人にあてた一斉メールを軽いノリで送信した返信として、奥様からお知らせをいただき、愕然としました。

山下寅彦さんと一緒に仕事をしたのは、1989年後半から1999年前半までの、ほぼ10年間でした。
全5巻で一応の完結を見たシリーズ本の編集に携わっていた時、お願いしていた写真家が1巻目の刊行後、突然違う仕事を始めることになり、代わりにと紹介してくれたのが、山下さんでした。

ほぼ四半世紀、編集の仕事をしましたが、その半分以上はその全5巻のシリーズの準備と編集作業に費やすほどの時間がかかった企画でした。膨大な量にのぼる図版を用意するのが私の主な仕事で、美術品などの所蔵先から掲載許可を取り、写真の借用依頼を出す一方で、自前で用意する写真の撮影を山下さんにお願いしていました。
しかし、撮影があまりに多岐にわたるのと、細部へのこだわりを求める写真が多く、空けていただく時間の調整と指示の複雑さに手間取るのと、お支払いする報酬が、割いていただいた時間に見合うものにならないことから、自分でも撮影するようになりました。写真の原板借用や大学図書館等での撮影に出張した先で、足を伸ばして取材・撮影し、その中から実際に見開きページに使われた時の嬉しさは今も心に残っています。

山下さんとの最初に出張したのは、1990年夏(たぶん)に四国の四万十川流域の取材撮影だったと思います。
高松空港でレンタカーを借りて、1週間、四万十川とその支流沿いをあちこちを走り回りました。その時に撮影した膨大な量の中から、2巻目の巻頭として重要な意味を持つものが選ばれました。
別の巻で和歌山・熊野を取材地に選んだときは、マイカーの4駆をフェリーで串本港まで運び、ご一緒していただきました。
私は揺れる船が苦手なので、帰りは絶対陸路と決めていがましたが、熊野ではイメージ通りのものがどうしても撮れず、悩み悩んで取材場所を大台ケ原にまで広げ、疲れ果てて帰りも結局、フェリーでした。このときは編集長のお眼鏡にかなう巻頭の重要な1枚というのが撮れず、結局別の場所で撮ったものと合わせて構成しました。

――― 当時はデジタルではなくフィルム式のカメラで、バッグに交換レンズを何本も詰め込んでいて、構図を決めたらレンズを選び、露出とシャッタースピードを設定して撮影するというスタイルでした。出張中に少しは助手のような働きをしなければと思っても、大切なレンズが詰まったカメラバッグを持たせてくれることはありませんでした。

今この歳になって、野鳥や昆虫撮影に夢中になっているのは、その時の山下さんのカメラマン・スピリッツを肌で感じたからかもしれません。あの時に撮影技術についてのレクチャーを少しでも受けていたら、もう少しマシな写真が撮れるようになっていたのではと悔やまれます。


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