神は自分が創造した世界に住む、いかなる生き物にも痛みを与えるようなことはしません。すべての悲し みと困難は人間自身が作っているのです。
神はすべての生き物の保護者です。
神はすべてのものに平安と幸せを与えます。
「世界のすべての人が幸せでありますように。」これが神の意志なのに、どうして神が人類 に対して苦悩を与えることなどありうるでしょうか?14/1/07
ポニョ:時々、人は愛そのものである神さんから創造されたものやのに、なんでこんなに残酷な性質を持っているのかなって思う事があるぜよ。
ヨシオ:世の中を見れば確かにいろんな残酷な事件が多過ぎるよな。もちろん人は肉体的にも霊的にも動物から進化して来たから、まだ動物のいろんな残酷な要素を持っているんや。
ポニョ:それは理屈としてはわかるんやけれど、どうして神さんは愛そのものやのに、人に動物が持っているような残酷な性質を身に付けるように意図されたんやろか。おかげで世界中で残酷な事件が絶えないぜよ。それも全て、愛そのものである神さんが意図されたんやろか。それってちょっと疑問に思いますが。
ヨシオ:このような疑問はポニョだけが持つわけでは無いんや。誰でも一度はこの世界残酷な出来事を見てそういう思いを抱く事があるんや。ポニョと同じように疑問を持った人が同じような質問をサイババさんにぶつけてみたら「この世界は残酷なようにつくってある」とニューヨークのグループにインタビューで言われた事があるんや。
(世界は残酷)というようにわざと創ってあるのです。
この世界の目的は人の不満をつのらせることにあります。
そういう傾向に人を持っていかねばならないのです。
それが充分強くなった時に初めて、人は神を捜し求めるのです。Interview with New York
devotee
ポニョ:サイババさんがそのように言われたという事も知っているけれど、でもそれって愛そのものである神さんが取る行為なんやろかと思っちゃうんや。愛そのものである神さんが、なんでそんな残酷な世界を創造されたのかなと不思議だと思わないか?この宇宙は最初『私』だけ存在したけれど、その『私』が多になって『私』を見ようとされたんやろ。だからたくさんの人間や動物を含め、多くの生き物が存在しているんやけれど、唯一者である『私』を見るという事の為に、どうしてこんなに残酷な世界を創造されたのかなというのがおいらの疑問なんや。もっと違う方法で『私』を見れたんじゃないのかなって。もっと平和的なオプションもあったんじゃなかったんやろかと思っちゃうんや。例えば何億枚も鏡を創造してどこを見ても自分しか見えないとか。
ヨシオ:あのね、遊園地のマジックハウスじゃないんやから。でもそういう疑問が湧いて来るのは自然やろな。一番分かりやすく説明すれば、ポニョが神さん自身になってたくさんのポニョの分身達を創造し、その分身達が唯一者である真のポニョである『私』を探す旅をする大きなゲームを作ればどうなるか考えたらええんや。もっと具体的に言えば、ポニョは自分しかいない世界に住んでいたとして、ちょっと退屈で寂しくなって来たから、自分で自分を探すゲームを考案したんや。その為にはスタートラインに立っているゲームの駒であるポニョ分身達が、ポニョ神の事を何も知らないし、全然ポニョ神に興味が無い状態から始めなければならないやろ。
ポニョ:そらそうや。自分自身を探すゲームやのに、もうすでに出発地点で自分自身を知っているなんてゲームにならないぜよ。
ヨシオ:そうやろ。それでポニョ神は自分の想像力を使って、幻であるこの物質世界、ゲーム盤を創造し、たくさんの自分の分身達をそのゲームの駒としてゲーム盤に放り込んだんや。ポニョの分身達は自分達は唯一者であるポニョ神が本当の自分だという事を露知らずに、ポニョ神が自分の想像力を使って創造した幻の世界の中で、移りゆく永遠のものなんて何一つないゲーム盤の中の世界が真の世界だと思い込んでいるんや。そして、そのゲーム盤の世界でこれが欲しいとか、あれを手に入れようとか、たくさんいる他のポニョの分身達を権力や暴力を使って支配しようとか、出来るだけたくさん、ゲーム盤の中にある富をかき集めようと必死になっているんや。でもそのゲーム盤の世界でどれだけ一生懸命働いたりしても、ポニョの分身達の電池が切れたら、また一から始めなければいけないんや。でも電池が切れる前に、新しい電池を入れても少しだけメモリーが残るようにプログラムされてあるので、新しい電池を入れたポニョの分身は考え始めるんや。どうしてこの世界でいくら頑張っても最後は元の木阿弥になっちゃうんだろうかって。産まれた時は裸で、いくらこの世界で頑張っても、また何も持たずに死んで行くってどうしてだろうって。電池が続く限り闘っていくらたくさん富を貯めても、他のポニョ分身達を支配しても、ゲーム盤の多くの地域をコントロールしても、電池が切れたら終わりじゃないか。こんな事を何度繰り返しても無駄な努力じゃないのかなって思い始めるんや。そしてその頃に唯一者であるポニョ神が自分の分身達と同じような姿を取って、ゲーム盤の中に突如として現れて、「君たちは『私』なんだよ。ただのゲームの駒ではないんだ。元々は『私』だったのだ。その事に気付いて周りの分身達を愛し、『私』の元に戻って来なさい。それが君たちの義務なんだ。」と教えを説くんや。それが英知と呼ばれるんや。
ポニョ:それって格好ええやないの。そのうちにただのゲーム盤の駒であったポニョ分身達が、「なんだ、自分達はこの世界を創造した唯一者であるポニョ神そのものやったんや。こんなゲーム盤にあるガラクタを追い求めて損したぜよ。時間の無駄やった。これからは自分がこの世界の創造者、支配者である事を悟り、唯一者ポニョ神として自覚した生き方をして行こう」というような事を言い出す連中も出て来るんやろな。それがヨギポニョや。
ヨシオ:ややこしいポニョがたくさん出て来たら困るけどな。でも唯一者ポニョ神と同じ考えを持っている分身ポニョが増えて来るってええ事やないか。
ポニョ:唯一者ポニョ神は、ゲーム盤の中の物に囚われて、それら追い求め、たくさんの物や富を支配して、傲慢になって鼻が高くなっているゲーム盤の支配層であるポニョ分身達をギャフンと言わす為に、ゲームを一度リセットするんや。それがユガ期と呼ばれている時代の区分なんやろな。そしてどうやってリセットするかと言えば、サイババさんが言っておられるように、ユガ期の終わりにはいつも世界中が大洪水になってしまうようにプログラムするんや。ゲーム盤の中にホースを延ばして水道水を入れて水浸しにし、洗い流してしまうんや。「ざまあみろ。ゲーム盤の富などを支配して来たポニョの分身達よ。これが神の力だ!ワッハッハ。」と宣言するんや。格好ええやろな。そしてポニョ分身達が全てを失い放心状態になっているところに、このゲーム盤を作った本物のポニョ神が、ゲーム盤の上に現れるんや。「皆の者、何も心配する事はないぜよ。おいらが全ての面倒を見ているから。お前達は私の分身じゃ。お互いを愛し、助け合ってこの唯一者である私に到達するのだ。それがゲーム盤にいるお前達がしなければならない唯一の義務である。私が遊びで創造したゲーム盤の虜になってはいけない。そこにはとても魅力的な物やセクシーな姉ちゃんたちもいるけれど、それはおいらが自分の想像力を働かせて作った幻じゃ。そのお前達が住んでいるゲーム盤にあるもので、何一つ永遠なものなど無いのじゃ。それらから永遠の喜びなんて得る事は出来ないのじゃ。いくら魅力的なように見えても、全ては消え失せてしまうというとても残酷で非情な世界となるようにわざと作ってあるのじゃ。というのも自分達は実はただのゲームの駒ではなく、この世界を創造した唯一者だって事を気付かす為なんじゃ。真の幸せを得ようと思えば、私自身に融合し、お前達がただのゲーム盤の駒ではなく、私のように唯一者となった時に初めて永遠の幸せを得る事が出来るのじゃ。さあ、そういう事を悟ればゲーム盤の物や姉ちゃんを追い求めるのはやめて、『私』自身になるように努力する事に専念しなさい。分かったな。ワッハッハ。」
ヨシオ:ポニョが創造した世界には、きれいな姉ちゃんがたくさんいるんやろな。
ポニョ:もちろんやぜよ。それが生きがいで唯一者となったんや。
ヨシオ:最初にポニョは愛の神さんが作った世界やのに、どうして残酷な性質を持っているのかなと言ってたけれど、人が元々は愛の性質しか持っていなくても、いろんなニュースを聞いたり見たりして心が汚れていくんや。それが原因で人は残酷な思いを抱いたりするんや。ポニョはニュースを見過ぎているから心を汚さないように注意しなければいけないな。でないと、より残酷な世界を創造してしまう事になるで。
ポニョ:大丈夫でヤンス。おいらが創造した世界には、きれいな姉ちゃんしかいないんでヤンス。
ユガ期ごとに、神はアヴァター〔神の化身〕となって、人間の内にある神性を明らかにすること、そして、自らが模範となって手本となる人生を人に示すことを目的として、顕現していました。
神は、人間が近づきや すいように、そして、人間に幸福を与えることができるように、人間の姿をとって化身すると言われています。
鳥や動物は自分たちに定められた制限を体験しています。
人間として生まれることは、この宇宙の840万種の様々なジーヴァ〔生物、個別の存在〕の中で最も神聖なことです。
それほど神聖な生を得るということは、実に大きな幸運です。
人間は1つの際立った特徴を備えています。
鳥や動物と人間との間の違いを調べて理解しなければいけません。
動物は1つの性質として残酷さというものを持って生まれ、残酷さを持ったまま生を送ります。
いくら調教しても、動物の習性を完全に変えることは不可能です。
動物は調教を受けている間は訓練された通りのことをするかもしれませんが、残酷さは捨てられません。
人間はそうではありません。
たとえ残酷さを持って生まれてきたとしても、努力、すなわち霊性修行によって、残酷さを取り除くことができます。
これで更生を試みず、更正できないものが動物であり、更生できるものが人間であるということが明らかになりましたね。
人類の更生と変容を容易にするために、神はユガごとに人間の姿をとって降臨します。
更生は、時代によって異なる方法で引き起こされます。
「クレタユガ」では、その方法は瞑想(ディヤーナ) でした。
「トレーターユガ」での方法は供犠(ヤグニャ)でした。
「ドワーパラユガ」では礼拝(アルチャ ナ)でした。
「カリユガ」では唱名(ナーマスマラナ)にその卓越性が与えられました。
これらは人間に用意された、自らを変えるための王道です。78夏期講習
神はすべての生き物の保護者です。
神はすべてのものに平安と幸せを与えます。
「世界のすべての人が幸せでありますように。」これが神の意志なのに、どうして神が人類 に対して苦悩を与えることなどありうるでしょうか?14/1/07
ポニョ:時々、人は愛そのものである神さんから創造されたものやのに、なんでこんなに残酷な性質を持っているのかなって思う事があるぜよ。
ヨシオ:世の中を見れば確かにいろんな残酷な事件が多過ぎるよな。もちろん人は肉体的にも霊的にも動物から進化して来たから、まだ動物のいろんな残酷な要素を持っているんや。
ポニョ:それは理屈としてはわかるんやけれど、どうして神さんは愛そのものやのに、人に動物が持っているような残酷な性質を身に付けるように意図されたんやろか。おかげで世界中で残酷な事件が絶えないぜよ。それも全て、愛そのものである神さんが意図されたんやろか。それってちょっと疑問に思いますが。
ヨシオ:このような疑問はポニョだけが持つわけでは無いんや。誰でも一度はこの世界残酷な出来事を見てそういう思いを抱く事があるんや。ポニョと同じように疑問を持った人が同じような質問をサイババさんにぶつけてみたら「この世界は残酷なようにつくってある」とニューヨークのグループにインタビューで言われた事があるんや。
(世界は残酷)というようにわざと創ってあるのです。
この世界の目的は人の不満をつのらせることにあります。
そういう傾向に人を持っていかねばならないのです。
それが充分強くなった時に初めて、人は神を捜し求めるのです。Interview with New York
devotee
ポニョ:サイババさんがそのように言われたという事も知っているけれど、でもそれって愛そのものである神さんが取る行為なんやろかと思っちゃうんや。愛そのものである神さんが、なんでそんな残酷な世界を創造されたのかなと不思議だと思わないか?この宇宙は最初『私』だけ存在したけれど、その『私』が多になって『私』を見ようとされたんやろ。だからたくさんの人間や動物を含め、多くの生き物が存在しているんやけれど、唯一者である『私』を見るという事の為に、どうしてこんなに残酷な世界を創造されたのかなというのがおいらの疑問なんや。もっと違う方法で『私』を見れたんじゃないのかなって。もっと平和的なオプションもあったんじゃなかったんやろかと思っちゃうんや。例えば何億枚も鏡を創造してどこを見ても自分しか見えないとか。
ヨシオ:あのね、遊園地のマジックハウスじゃないんやから。でもそういう疑問が湧いて来るのは自然やろな。一番分かりやすく説明すれば、ポニョが神さん自身になってたくさんのポニョの分身達を創造し、その分身達が唯一者である真のポニョである『私』を探す旅をする大きなゲームを作ればどうなるか考えたらええんや。もっと具体的に言えば、ポニョは自分しかいない世界に住んでいたとして、ちょっと退屈で寂しくなって来たから、自分で自分を探すゲームを考案したんや。その為にはスタートラインに立っているゲームの駒であるポニョ分身達が、ポニョ神の事を何も知らないし、全然ポニョ神に興味が無い状態から始めなければならないやろ。
ポニョ:そらそうや。自分自身を探すゲームやのに、もうすでに出発地点で自分自身を知っているなんてゲームにならないぜよ。
ヨシオ:そうやろ。それでポニョ神は自分の想像力を使って、幻であるこの物質世界、ゲーム盤を創造し、たくさんの自分の分身達をそのゲームの駒としてゲーム盤に放り込んだんや。ポニョの分身達は自分達は唯一者であるポニョ神が本当の自分だという事を露知らずに、ポニョ神が自分の想像力を使って創造した幻の世界の中で、移りゆく永遠のものなんて何一つないゲーム盤の中の世界が真の世界だと思い込んでいるんや。そして、そのゲーム盤の世界でこれが欲しいとか、あれを手に入れようとか、たくさんいる他のポニョの分身達を権力や暴力を使って支配しようとか、出来るだけたくさん、ゲーム盤の中にある富をかき集めようと必死になっているんや。でもそのゲーム盤の世界でどれだけ一生懸命働いたりしても、ポニョの分身達の電池が切れたら、また一から始めなければいけないんや。でも電池が切れる前に、新しい電池を入れても少しだけメモリーが残るようにプログラムされてあるので、新しい電池を入れたポニョの分身は考え始めるんや。どうしてこの世界でいくら頑張っても最後は元の木阿弥になっちゃうんだろうかって。産まれた時は裸で、いくらこの世界で頑張っても、また何も持たずに死んで行くってどうしてだろうって。電池が続く限り闘っていくらたくさん富を貯めても、他のポニョ分身達を支配しても、ゲーム盤の多くの地域をコントロールしても、電池が切れたら終わりじゃないか。こんな事を何度繰り返しても無駄な努力じゃないのかなって思い始めるんや。そしてその頃に唯一者であるポニョ神が自分の分身達と同じような姿を取って、ゲーム盤の中に突如として現れて、「君たちは『私』なんだよ。ただのゲームの駒ではないんだ。元々は『私』だったのだ。その事に気付いて周りの分身達を愛し、『私』の元に戻って来なさい。それが君たちの義務なんだ。」と教えを説くんや。それが英知と呼ばれるんや。
ポニョ:それって格好ええやないの。そのうちにただのゲーム盤の駒であったポニョ分身達が、「なんだ、自分達はこの世界を創造した唯一者であるポニョ神そのものやったんや。こんなゲーム盤にあるガラクタを追い求めて損したぜよ。時間の無駄やった。これからは自分がこの世界の創造者、支配者である事を悟り、唯一者ポニョ神として自覚した生き方をして行こう」というような事を言い出す連中も出て来るんやろな。それがヨギポニョや。
ヨシオ:ややこしいポニョがたくさん出て来たら困るけどな。でも唯一者ポニョ神と同じ考えを持っている分身ポニョが増えて来るってええ事やないか。
ポニョ:唯一者ポニョ神は、ゲーム盤の中の物に囚われて、それら追い求め、たくさんの物や富を支配して、傲慢になって鼻が高くなっているゲーム盤の支配層であるポニョ分身達をギャフンと言わす為に、ゲームを一度リセットするんや。それがユガ期と呼ばれている時代の区分なんやろな。そしてどうやってリセットするかと言えば、サイババさんが言っておられるように、ユガ期の終わりにはいつも世界中が大洪水になってしまうようにプログラムするんや。ゲーム盤の中にホースを延ばして水道水を入れて水浸しにし、洗い流してしまうんや。「ざまあみろ。ゲーム盤の富などを支配して来たポニョの分身達よ。これが神の力だ!ワッハッハ。」と宣言するんや。格好ええやろな。そしてポニョ分身達が全てを失い放心状態になっているところに、このゲーム盤を作った本物のポニョ神が、ゲーム盤の上に現れるんや。「皆の者、何も心配する事はないぜよ。おいらが全ての面倒を見ているから。お前達は私の分身じゃ。お互いを愛し、助け合ってこの唯一者である私に到達するのだ。それがゲーム盤にいるお前達がしなければならない唯一の義務である。私が遊びで創造したゲーム盤の虜になってはいけない。そこにはとても魅力的な物やセクシーな姉ちゃんたちもいるけれど、それはおいらが自分の想像力を働かせて作った幻じゃ。そのお前達が住んでいるゲーム盤にあるもので、何一つ永遠なものなど無いのじゃ。それらから永遠の喜びなんて得る事は出来ないのじゃ。いくら魅力的なように見えても、全ては消え失せてしまうというとても残酷で非情な世界となるようにわざと作ってあるのじゃ。というのも自分達は実はただのゲームの駒ではなく、この世界を創造した唯一者だって事を気付かす為なんじゃ。真の幸せを得ようと思えば、私自身に融合し、お前達がただのゲーム盤の駒ではなく、私のように唯一者となった時に初めて永遠の幸せを得る事が出来るのじゃ。さあ、そういう事を悟ればゲーム盤の物や姉ちゃんを追い求めるのはやめて、『私』自身になるように努力する事に専念しなさい。分かったな。ワッハッハ。」
ヨシオ:ポニョが創造した世界には、きれいな姉ちゃんがたくさんいるんやろな。
ポニョ:もちろんやぜよ。それが生きがいで唯一者となったんや。
ヨシオ:最初にポニョは愛の神さんが作った世界やのに、どうして残酷な性質を持っているのかなと言ってたけれど、人が元々は愛の性質しか持っていなくても、いろんなニュースを聞いたり見たりして心が汚れていくんや。それが原因で人は残酷な思いを抱いたりするんや。ポニョはニュースを見過ぎているから心を汚さないように注意しなければいけないな。でないと、より残酷な世界を創造してしまう事になるで。
ポニョ:大丈夫でヤンス。おいらが創造した世界には、きれいな姉ちゃんしかいないんでヤンス。
ユガ期ごとに、神はアヴァター〔神の化身〕となって、人間の内にある神性を明らかにすること、そして、自らが模範となって手本となる人生を人に示すことを目的として、顕現していました。
神は、人間が近づきや すいように、そして、人間に幸福を与えることができるように、人間の姿をとって化身すると言われています。
鳥や動物は自分たちに定められた制限を体験しています。
人間として生まれることは、この宇宙の840万種の様々なジーヴァ〔生物、個別の存在〕の中で最も神聖なことです。
それほど神聖な生を得るということは、実に大きな幸運です。
人間は1つの際立った特徴を備えています。
鳥や動物と人間との間の違いを調べて理解しなければいけません。
動物は1つの性質として残酷さというものを持って生まれ、残酷さを持ったまま生を送ります。
いくら調教しても、動物の習性を完全に変えることは不可能です。
動物は調教を受けている間は訓練された通りのことをするかもしれませんが、残酷さは捨てられません。
人間はそうではありません。
たとえ残酷さを持って生まれてきたとしても、努力、すなわち霊性修行によって、残酷さを取り除くことができます。
これで更生を試みず、更正できないものが動物であり、更生できるものが人間であるということが明らかになりましたね。
人類の更生と変容を容易にするために、神はユガごとに人間の姿をとって降臨します。
更生は、時代によって異なる方法で引き起こされます。
「クレタユガ」では、その方法は瞑想(ディヤーナ) でした。
「トレーターユガ」での方法は供犠(ヤグニャ)でした。
「ドワーパラユガ」では礼拝(アルチャ ナ)でした。
「カリユガ」では唱名(ナーマスマラナ)にその卓越性が与えられました。
これらは人間に用意された、自らを変えるための王道です。78夏期講習