サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

善悪を超えた愛

2017-07-28 16:00:36 | 日記
私は賞賛も嘲笑も、尊敬も軽蔑も、怒りも幸福も、超越しています。
私には、徹頭徹尾、一つの属性があるのみです。
それは私の愛です。
私は私を憎む者をも愛します。
私は私に対する悪い宣伝に耽る人さえ愛します。
私は誰のことも敵とは見なしません。
すべての人は私のものです。
私は母親のように、皆さん全員に気を配っています。
私の愛は一人の母の愛ではありません。
私の愛は千人の母の愛です。
サイの愛は千人の母の愛です。
ひとえにその愛ゆえに、私は皆さんのあらゆる過ちを顧みず、前を見て歩んでいるのです。
誰かが過ちを犯したときはいつも、私は本人を呼び、声を高めてその人を正します。
ですが、私はその人に怒りを示すことはしません。
私は誰に対しても怒りはありません。
実際、私には怒りという感情はまったくありません。23/11/08

ポニョ:以前、あんたの嫁さんと話していたら、あんたの体の調子がもう一つやと言ってたけれど。

ヨシオ:大した事はないんや。いつも裸足でサンダルを履いて仕事をしているから、足の親指の付け根にトゲが刺さりそれが炎症を起こしたんや。でもそこは五年ほど前に痛風になって大きく腫れた場所で、まだプリン体がたくさん溜まっているんや。白血球がついでに攻撃し始めて痛風の様に大きく腫れ始めたんや。でも全然痛くないんや。

ポニョ:痛風の様に大きく腫れたのに全然痛くないって不思議やぜよ。痛風ってその字のごとく風が吹いても痛いのに。ベジタリアンになってもしいたけを食べ過ぎると痛風になるで。めちゃプリン体が入っているんや。

ヨシオ:トゲが刺さったところが炎症を起こして、その部分の雑菌を攻撃していた白血球が、まだそこに少し残っていたプリン体も雑菌やと勘違いして攻撃しているからやろ。足の指に熱が出て腫れているけれど、腫れが引いたらもうプリン体は、白血球に分解されて無くなっているやろな。神さんの恩寵もこんな感じなんや。カルマを支払っているけれど痛みを感じないんや。ある人が「どうしてあなたの帰依した人たちが、まだいろんな苦しみを味わうのですか?」とサイババさんに聞いた事があるんや。その時に別の人も、「あなたの帰依者になればカルマを取って下さるはずなのに、どうしてまだ苦しみが続くのでしょうか?苦しみを取って下さい」と言うとサイババさんは「それは間違っている。いくら帰依者になってもカルマは支払わなければならない。神は手術によって帰依者に痛みを与えるが、それは一時的なもので、手術の後帰依者は、生涯続くはずだった痛みを味わう事はない。」と言われたんや。

ポニョ:神の恩寵は期限が切れて効かなくなっている薬を飲む様なものだと言われた話は知っているぜよ。つまりその人は痛みを伴っていないから、カルマを支払っているという自覚が無いんや。

ヨシオ:その事については以前記事にしたよな。そういうわけで足が腫れてあまり動けないので家で本棚を整理したり、ヘッドホンを修理したりしてたら本棚から古い日記帳が出て来て懐かしくなって読み始めたら、それはなんと三十年近く前のアシュラムを訪問した時の日記やったんや。それで一気に読んだんやけれど、すっかり忘れていた出来事もあったので驚いたな。

ポニョ:このブログであんたの息子さんをパスポート無しでインドに連れて行った話を紹介したけれど、その時の日記ですか?

ヨシオ:そうなんや。そのエピソードはもう紹介したのでスルーするけれど、俺が驚いたのはアシュラムでいろんな人たちに会って話を聞いたけれど、いくつかの話をすっかり忘れていたんや。例えばオランダのグループがサイババさんにインタビューに呼ばれて、オランダ、ルクセンブルク、スウェーデン、フィンランドなどの国は水に沈むと言われたんや。でもノルウェーは沈む国のリストに入ってなかったな。俺はその頃、サイババさんが未来の地図を物質化された事を知らなかったので、その時に地図を出されたかどうか聞かなかったけれど、多分出されたんやろな。俺がアシュラムから出て二週間後に、星やんが入れ替わりにやって来てインタビューに呼ばれ、そこで未来の地図を見せられたと言ってたから。その年は、結構たくさんの人たちが未来の地図を見てると思うな。

ポニョ:この物質世界はずっと永遠に続きませんよ。その心の準備をしなさいっていうメッセージなんやろな。

ヨシオ:どうして一部の人にだけしかそういうものを見せられないのか、サイババさんだけが理由を知っておられるからな。それともう一つ忘れていたエピソードがあって、それはオーストラリアから来た帰依者がアシュラムに七年間も住んでいて、その間一度もインタビューに呼んでもらえなかっただけでなく、手紙も取ってもらえないし、顔も見てもらえなかったんや。オーストラリアから来た帰依者たちは、彼がグループに入るのを嫌がっていたんや。だって、彼が入れば絶対にインタビューに呼ばれないから。でもその人は俺がアシュラムにいた時に亡くなったんや。サイババさんは彼が亡くなったその次の日にオーストラリアのグループをインタビューに呼ばれたんやで。

ポニョ:それって意地悪やぜよ。なんで一回ぐらいインタビューに呼ばれないんや。

ヨシオ:それと同じ質問をオーストラリアのグループの人がサイババさんにしたらサイババさんは「彼は今私と一緒にいます。」と答えられたんや。

ポニョ:彼は私と一緒にますって、亡くなる前に一度ぐらいインタビューに呼んであげればいいのに。

ヨシオ:死んで霊になった時点で神さんと一緒にいる方がええやないか。死んでも神さんに届かない人がわんさかいるのに。その人がどれほど神さんの事を思っていたのかは、神さんしか分からないんや。サイババさんのアシュラムに行けばいつもインタビューに呼んでもらう人より、サイババさんの事を心から愛しているけれど、一度もインタビューに呼ばれない人の方が、普段サイババさんの事を思う気持ちは強いやろな。「どうして自分だけインタビューに呼んで下さらないのですか?」と神さんを慕う気持ちを持ち続けるから。サイババさんは帰依者が毎日の生活で、どれくらい神さんの事を思っているかという事だけに興味があるんや。多分その人は、サイババさんにインタビューに呼ばれたら、これで人生最大の願いは叶えられたと言って、何か違う事を始めるかもしれないやろ。サイババさんはどの帰依者に対しても、その帰依者に一番良い選択肢しか与えられないんや。それにポニョもインタビューに何度も呼ばれたから分かると思うけれど、インタビューって何度呼ばれても満足出来ないやろ。

ポニョ:そうなんや。インタビューに呼ばれたばかりやのに、次の日のダルシャンでまたインタビューに呼んで欲しいなと思う心に気付いて自分でも驚いたぜよ。そういう神さんを求める心は、神さんと融合するまで続くのかなって思ったな。

ヨシオ:また日記には次のようなエピソードも書いてあったな。ある帰依者がいつもダルシャンの塀の外にいて、ダルシャングランドに入って来ないんや。塀の外側でサイババさんを見て満足されているんや。その人がどうして塀の中に入って来ないのかなと思って話をしたら、その人はアシュラムの外に住んでいるんやけれど、「以前は毎日ダルシャンに出てインタビューに呼んで下さいと願っていたのですが、全然インタビューに呼んでもらえないのでプライドが傷つき、それに耐え切れないからダルシャンに出なくなったのです。私はこうして毎日、サイババさんを塀の外から見るとインタビューを呼んでもらえないとうデメリットはありますが、その分自分のプライドが傷つく事なく心が平安に保ったままサイババさんのダルシャンを見れますし、もしサイババさんが私をインタビューに呼ばれると意図すれば塀の外にいる私に声を掛けてくれるはずです。」と言ってたな。

ポニョ:インタビューに呼んで欲しかったらダルシャンに出ないと呼んでもらえないでヤンス。塀の外にいたんじゃサイババさんがインタビューを呼ぼうとされても呼べないじゃんか。アホですね。プライドが高過ぎるぜよ。

ヨシオ:そういうプライドが高過ぎる帰依者もいてもええやないか。でもその人は、いつ会ってもサイババさんの事だけしか言わないんや。もちろん不平不満だらけやけれど。その人は、俺がアシュラムで会った帰依者の中で一番サイババさんの事を思っていたな。頭の中がサイババさんで一杯やった。いつもなんで私をインタビューに呼んでくれないんやという想いのみで、めちゃネガティヴやったけどな。

ポニョ:インドまで出掛けてダルシャンに出てもインタビューに呼んでもらえず、心がサイババさんからとっくに離れているのに帰依者のフリをしてセンターに出入りする人よりずっとマシやぜよ。もっと自分の心に正直や。例えネガティヴな思いであっても、神を思えば神さんはハッピーなんやな。いつもサイババさんと一緒にいて言葉を交わしている人よりも、「どうしてサイババさんは私を無視されるんですか?どうして手紙を取って下さらないのですか?どうしてインタビューに呼んでもらえないのですか?どうして目を見てもらえないのですか?」など、却ってサイババさんから少し離れているように見える人の方が、サイババさんの事をもっと思っているかもしれないぜよ。

ヨシオ:クリシュナの事を心底嫌って、四六時中誰と会ってもクリシュナの悪口ばかり言っていたシシュパラは、長老や将軍が顔を揃えている宴会会場でクリシュナの目の前でクリシュナを侮辱し始めたので、クリシュナはお皿を円盤のように放り投げてシシュパラの首を切り落としたエピソードがあるやろ。

ポニョ:あれはエグいエピソードやぜよ。食事中に首を切り落とさなくてもええのに。せっかくの料理が不味くなってしまうやないか。

ヨシオ:ポニョがその場で食べてたわけじゃないやろ。それに食事なんてどっちでもええやないか。そのシシュパラは実はヴィシュヌ神がおられる天国、ヴァイクンダの門番だった人なんや。でも事情で人間界に落ちて行かなければいけない時に、ヴィシュヌ神に「普通の人として無数に生まれ変わって私の元に到達するのが良いか、それとも悪人になって数回生まれ変わり、人間界に生まれ変わった私に殺されるのが良いかどちらか選択しなさい」と言われて、「ヴァイクンダにおられるあなた様にすぐに会いたいので、数回だけ生まれ変わってあなた様の手によって殺される方が光栄です。」と言って悪者になったんや。だからシシュパラって普通の人じゃないんや。クリシュナが皿を投げてシシュパラの首を刎ねた時に、シシュパラの霊体がクリシュナに融合したんやで。その不思議な現象を見てダルマジャが大変動揺して「どうして四六時中クリシュナ様の悪口しか言わない男がクリシュナ様に融合出来たのか!?」と言って。隣にいた聖者がダルマジャに、「神にとっては、神の悪口ばかり言う人であっても、それを言う事によって神の事を深く思っている人が尊い帰依者なのです。神は悪口によって一切影響を受けないのです。神は善悪を超越しているのです。」と言ったんや。

アートマは善悪を超越しており、何者もアートマに触れたり傷つけたりすることはできません。
照覧者であるアートマは二元性を超越しています。
たとえば、蓮は水と泥の中で花を咲かせます。
水と泥が無ければ蓮は生きられませんが、水も泥も蓮に付着して存在しているわけではありません。
泥は過去世でなした行為で、水は現在での行為の結果を象徴しています。
蓮の花はアートマで、過去と現在を超越しています。
鳥は卵から生まれ、木は種から生じます。
それと同じように、アートマの本質と人間性は相互関係にあり、互いを補い合っています。
ですから、悪には注意を向けないことが悪を排除する方法です。
悪を幻とみなしなさい。
それでよいのです。STPS2p166~8