サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

光の世界にようこそ

2016-06-01 00:00:54 | 日記
人々は、公園や海岸のベンチに静かに座っている時に、良心のささやきに耳を貸さないために非常に価値のあるものを失っています。
彼らは、一人きりになるのを恐れ、静寂でいることを何か忌まわしい物のように見なして避けています。
しかし、自分自身の真理を見つけるのに一人で静寂にしている時にのみそれが可能なのです。SSSvol4p,160

ポニョ:前回の記事で、この世界のいろんなゴタゴタをジェットコースターが坂を駆け下りる事に例えていたけれど、実際いろんな苦しい事を体験している人にとっては、自殺をして楽になりたいと思うぐらい切羽詰まった事で、ジェットコースターどころの話じゃすまないぜよ。先日、以前よくコメントしてくれた沖縄のよしだ君が沖縄の事件について、一体世界はどうなっているんでしょうか?って嘆いておられたけれど、あんたはそんな精神的に追い詰められた事ってある?

ヨシオ:沖縄の事件の詳細を知れば、悲しくなって頭に来るからあまり知らないんや。でも神の化身が大きな仕事をされる前はいつもこんな感じで、いろんな悲劇的な事件が起こるんや。それにこのブログで何度も発信しているけれど、この世界で人の姿をしているけれど、食肉となる為にされた動物たちの霊が、人となって生まれ変わって徘徊してるんや。

ポニョ:それって恐ろしいよな。

ヨシオ:精神的に追い詰められた事って人から見たらあったけれど、少し落ち込む事はあってもあまり長続きしないな。今、クリシュナの物語を並行して連載しているけれど、デーヴァキとヴァースデヴァの夫婦が置かれた状況を見て、学ぶところがたくさんあるよな。だってあれだけひどい目に遭っているのに、それを自分たちが前世から持ち越したカルマのせいだと信じ、常に神様の事を忘れずに、神様に感謝しながら苦しみを乗り越えて行く姿には心を打たれるよな。俺たちがどれくらい神様を愛しているかより、果たして俺たちはどれくらい神様から愛されているかの方が大切なんや。デーヴァキとヴァースデヴァの夫婦のようにどんな事があっても神様の事を忘れずに、神様を愛し続けれる揺らぎない帰依心を持っている者だけが、神様から愛されるんや。

ポニョ:確かに人はいろんな苦しい目に遭うけれど、ヴァースデヴァやデーヴァキのように、六人の子供たちを目の前で虐殺されるのと比べたら、些細な苦しみなんかもしれないな。

ヨシオ:現代の世に住んでいる人は、昔の人より精神的に弱くなっているんや。というのも霊的に見たらこの世に生きている全ての人の中に悪鬼 ラクシャサの性質が混じっていて、いろんな誘惑や欲望に負けてしまうんや。この世の誘惑や欲望に心が囚われてしまうと精神が弱くなってしまうんや。だからちょっとした事でプライドが誰かから傷付けられたり、セクハラ、パワハラなどをされたり、金銭的に行き詰まって首が回らなくなったりしたら、すぐに自殺をしてそこから逃避しようかななんて思ってしまうんや。

ポニョ:それだけじゃないぜよ。周りの環境が汚染されていて、口にする食べ物だけではなく、飲み水や空気でさえ毒が含まれているんや。だから精神にも影響を与えるんやぜよ。特にワクチンや予防接種には、水銀をわざわざ混入させて、幼児の脳みそや生殖機能を破壊してるんや。

ヨシオ:そういや、オーストラリアでも塩が固まらないようにする為に、十年ほど前から、塩の中にアルミニウムの粉を混入する事が認められたんや。

ポニョ:アルミニウムってお兄さん。もろにアルツハイマーの原因やぜよ。めちゃ毒性が強いんだってばよ。それは危険が危ないぜよ。

ヨシオ:そうやろ。その話をポニョから聞いて、ヒマラヤの海塩しか買わない事にしてるんや。

ポニョ:それだけじゃなくて、水道水の中にこれも毒物であるフッ素を混入させたり、食品添加物も毒物だらけやぜよ。それに追い打ちをかけて、食べて応援なんて言って、福島やその近県で採れたお米や野菜や魚など、放射能で汚染された食料品がスーパーに行けば目白押しで、安全な食べ物を見つけるのが難しいくらいなんや。だから、そういう毒物が混入されている物ばかり食べていたら、肉体だけではなく、心も弱くなってしまうんや。

ヨシオ:でも人はいくら毒物を身体に取り入れても精神的にしっかりしていれば、そんなに弱い生き物ではないんや。俺はもちろん人間やから、さっきもポニョが言ったように落ち込む事もあるけれど、そんな時には、デーヴァキやヴァースデヴァ夫婦の苦しみを思い出すんや。すると、俺が今抱えている問題や苦しみはあの夫婦の苦しみと比べたら苦しみって言えないやないか。こんなしょうもない事で落ち込まずに頑張れって、自分で自分を励ますんや。

ポニョ:そら、あの夫婦の試練に比べたらどんな苦しみも色褪せて見えるよな。でも前々回の花岡さんのように苦しい時こそが、神を感じれるチャンスなんやろな。

ヨシオ:苦しい時だけではなくて、一人静かに公園のベンチで座っている時や、海辺の砂浜に座って打ち寄せる波を見ている時など、人は自然の中に浸っている時にも、神を感じれる事もあるんや。お袋は生前、絵を描くのが好きで、いつも京都の日本画を描いている人たちの集まりに行き、同じ仲間と個展を開いていたんや。ある日、京都から帰って来ると、少し興奮したような声でこんな事を言ってたな。日本画教室の先生の師匠だった人が、いつも明るい色を使い躍動感に満ちた作品を描く人やったんやけれど、その師匠が、どうしてそんな絵を描くようになったのか、その動機を教えてくれたんやて。
それはある日、何か良い絵になる風景がないかなと思い、京都郊外まで足を伸ばして、少し北の方にある周山街道沿いの道を走っていたら、きれいな花が咲いている野原を見つけたんやて。そしてそこに足を踏み入れたんや。そこはあまりにも美しく平安で、しかも静寂で、小鳥のさえずりや木々の小枝の間を吹き抜ける風の音しか聞こえて来ないんや。回りを見回しても杉の木立がきれいに植林されて、自然と人が作り出した調和の美が見事に美しくて見入っていたんや。野原に咲いている花々の花弁や葉っぱの一つひとつに露が付いていてそれらが、朝陽の光を反射してキラキラ光っていたんやて。しばらくの間、この世のものとは思えないような美しい景色に見入っていたら、突然、今まで目の間にあった杉の木立や、その間を飛んでいた鳥達、露が付いてそれに朝陽の光が当たってキラキラと輝いていた小さな名も無き花々などの違いが見えなくなって来て、すべてのものの形状が光の中に溶けていくような感じがして、一つひとつのものの違いの見分けがつかなくなって来たんや。やがてその不思議なフィーリングに身を任せていたら、突然、心の奥底から津波のように至福の気持ちが湧いて来て、この世にある全てのもには光で出来ているって悟ったんや。自分が見ている全てのものは、優しく愛で包まれていて、しかもそれ自身躍動しながら光輝を放っている、光そのものだって分かったんや。その神聖な体験をして以来、その師匠は花でも鳥でも何でも描くときは、明るい色を使い、描く対象がどんなものであっても、それは光を放っている事を描こうって決めたんやて。

ポニョ:そういう体験を至高体験って言うんやろうな。おいらもそんな体験をしたいぜよ。

ヨシオ:プーナアヴァターであるババは、ある時こう言われたんや。「私は全ての神の力を持ってこの地上にやって来ました。そしてその力を皆さんと分かち合いたいんです。」
そのババが学校や病院を建てて、世界中にサイの組織を作ってそれで、ハイさようならってすると思う?ババが生前どういう事をされるか言われたけれど、それらをどこかの政治家みたいに約束を反故にされると思う?ババの名はサティア真理やで。ババは絶対同じ姿で、もう一度戻ってこられるんや。それは絶対保証する。だってババが言われた事がまだ実現してないんやから。その時に、ポニョも神の至福を味わえるんや。

実際のところ、今日であれ、あるいは数千年かけて、着実な苦行や熱心な探求をした後であれ、たとえ全人類がその努力を共にしたとしても、私の実体の本質を理解することはできません。
けれども、皆さんは近いうちに、この神聖な名と神聖な姿をまとった神の本質によって降り注がれた至福を、認識することになるでしょう。
皆さんにそのチャンスをもたらしてくれる幸運は、隠者や僧侶、聖賢や聖者、さらには、神の栄光の一面の体現者たちに手が届くものよりも、はるかに大きいものなのです。17/5/68

ポニョ:そうか。それは待ち遠しいな。でも今でも、何か美味しいものを食べている時に、心の底から津波のように至福の感じが押し寄せて来ることがあるぜよ。神の至福ってそれとよく似た感じやろうな。

ヨシオ:どこが一緒やねん。食べた後の充足感って、胃袋を食べ物で満たして血糖値が上がり、ボーっと満足しているだけやないか。

神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。
まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。
今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。
しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。
だれもが神聖な思いをもつようになります。
すべての人が神の至福を味わうでしょう。
まもなく国中が平和と幸福を味わいます。
困難も苦しみもなくなります。
皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。
実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。
どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03