サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

サイババ物語(30)虎を殺さないでの巻

2015-02-18 00:42:02 | 日記
ある日、皆で牛車で出かけることになりました。「ババは誰もランチを持って来てはいけない。その代わり鍋やポットを持ってくるように」と言いました。
その鍋やポットを牛車に積み込み、皆でバジャンを歌いながら丘を登ったり下ったりしました。
皆は、少し疲れてきました。そしてお腹も空いてきました。
ババは、「じゃあここでお昼にしよう。」と言われて、鍋やポットを牛車から降ろして一列に並べるように言いました。
ババは足元に転がっている小枝を拾い、鍋やポットの蓋を、一つひとつずつ料理の名前を言いながら叩きながら歩かれました。
そして、叩いた鍋やポットの蓋を開けると、中には、できたての美味しそうな料理が、グツグツと音を立てて現れたのでした。
それらの料理の味は、今まででいただいた料理とは比べれれない程の美味しさで、その奇跡のランチを食べた後、二日以上経ってもまだ満腹感が残っており、何も食べたくは無かったのでした。

1947年にババは、ヴァサナドゥ村という、家が10軒しかない小さな村に行かれました。そこで、子供達とマンゴーの木に登って遊びました。そして、マンゴーの実を、幾つも木の上から人に投げて喜んでおられました。
子供達は、ババが登った木の枝にロープを結び、ブランコを作り、ババをそこに乗せて皆で押したり引いたりして遊びました。

そして、村人が作ったオームの形をした揺り椅子に長い間座られたり、大蛇の形をした長椅子に横たわられました。
夜になり、ご自分の部屋に戻られた後も、その長椅子が気に入られた様子で、また部屋から出て来られてそこに横になられました。
そして、夜中じゅうその上で過ごされ、朝の六時になってから、ようやくご自分の部屋に戻られたのです。
その村の人たちもババが大好きで、いつもババにまとわりついていました。でもババは、ある帰依者と話をしたかったのです。それでタオルを森に隠したので、みんなでそのタオルを探しに行く遊びを思いつきました。そして、その遊びをしている間、全員森の中へ駆けて行って誰もいなくなったのでした。
その隙に、その村の帰依者の部屋を訪れて、その帰依者とその両親と一緒に二時間もお話をされていました。
ババは結局、その小さな村に一週間も滞在されたのでした。

その年のダセラ祭がプッタパルティで祝われることになりました。
大きな軍隊用のテントが簡易宿舎として運び込まれました。
その内の一つのテントは、サイババさんの部屋の前に、年を召されたお母さんと世話をされている娘さんのために設置するように指示されました。
そして、そこのテントに身体の不自由なお母さんが運び込まれました。
しかし、マドラスから来た宝石屋が、誰の許可もなく自分の荷物をそのテントの中に運び込み、お母さんのスペースを奪い取ってしまったのです。

ダセラ祭が始まり、お母さんはテントの外でお祭りを見られてました。
やがて、宝石屋も戻って来て自分の寝るマットをテントの中に敷き始めましたが、なんとそこから蛇が出現したのでした。
宝石屋は金切り声をあげて逃げ出しました。それを聞きつけて人々が集まって来ました。
ババもご自分の部屋から出て来て、宝石屋に
「お前は、年を召されて身体の不自由なお母さんのテントに忍び込み、自分の荷物でテントを占拠して、お母さんをテントから追い出して外に寝かせようとしただろう。
僕は、このお母さんのような助けを必要としている、か弱き人々に奉仕することこそが神に対する奉仕なんだ、ということを皆に教えるために、わざわざ蛇の姿に身を変えて、お前の前に姿を現したんだよ。」と言われました。

1947年9月にナガンマさんという女性が知り合いの結婚式で、誤ってサリーに火が燃え移り、顔を大やけどする事故に遭いました。
ナガンマさんの顔は、見るも無残に腫れ上がり、視力に異常は無かったものの、一体、目がどこにあるかも分かないぐらい腫れ上がってしまうほどのひどい火傷でした。
プッタパルティでサイババさんは、その火傷がどんなにひどいかったかを周りの人たちに話しておられました。
ナガンマさんは、ひどく腫れ上がった顔を、夫や嫁入り先の人に見せたくなかったので、結婚式会場から直接、実家に戻りました。
ご主人は、その悲報を聞いてすぐに、ナガンマさんの実家に駆けつけましたが、自分の妻が誰かが分からないくらいひどい火傷をしており、妻はこのような顔で嫁入り先に戻りたくないと言い張ったので、仕方なく一人で戻って行きました。
サイババさんは、人を介してナガンマさんにプッタパルティに来るように言いました。

それを聞いて、ナガンマさんは牛車に乗ってやって来たのです。
ナガンマさんの事を知っている人たちは、ナガンマさんのお世話をしようと待っていましたが、ババが、「君たちは、あんなにひどいやけどを見るに堪えなくなるから、ここにいてはいけない。部屋に帰って休みなさい。」と言われてナガンマさんと会わせないようにしました。
夕食の後、暗くなってからナガンマさんを部屋に案内し、隣の部屋の人にご飯とラサムを持って来るように言いました。
そして、ナガンマさんに、「ナガンマさん。顔じゅうを宝石で飾り付けちゃったんだね。それって結婚式会場で自分で飾りつけたのかい?ところで今日は、何かもう食べたの。お腹は空いていないの。」と冗談を言われました。
そして、先ほどのご飯などや、物質化されたヴィブティを混ぜて顔に塗られたのです。
そして「朝までゆっくり休みなさいね。」と言って部屋を出て行かれました。
ナガンマさんが、次の朝自分の顔を見るとなんと火傷をする前の顔に戻っていたのでした。
そこにいた、全ての人が驚きの声を上げたのでした。
でも、ナガンマさんは手の指も火傷をしていたのでした。ババは、ヴィブティを出されてナガンマさんの指に塗るとすぐに元に戻りました。

1947年10月20日の事でした。イギリス人のアナンタプール市の代表が、突然アシュラムへやって来たのでした。
でもその五分前、サイババさんは、ウパニシャッドの意味について礼拝堂で説明されていたのですが、突然話されるのをやめて部屋に入って行かれたのです。
そのイギリス人は、礼拝堂に入って来るや否や、サイババさんの椅子に座りました。
イギリス人は狩りをしていて、大きな虎を仕留めて帰る途中だったのですが、乗っていたジープのタイヤが砂に埋まってしまい動かなくなってしまったのでした。
途方にくれていると、地元の人が「奇跡の少年が近くにいるから、彼に助けてもらいなさい」とアドバイスをしてくれたので、アシュラムにやって来たのでした。
三十分ほどしてババが部屋から出て来られました。そしてイギリス人に、「なんて可哀想なことをしたんだ。二匹の生後一ヶ月の赤ちゃん虎が母親を求めて泣いているじゃないか。すぐに、見つけ出してバンガロールの動物園に連れて行ってあげなさい。」と言われたのです。

そして、そのイギリス人が、どのようにしてお母さん虎を殺したかを、まるでそこにいたかのように詳しく話されたのでした。
イギリス人はそれを聞いて、慌てて立ち上がり、ババに「実はジープが砂に埋まって動きが取れないのです。」と言いました。
ババは、ヴィブティを物質化されて、イギリス人に「これをジープに振りかければ、動くだろう」と言われました。
イギリス人は、ジープに戻り言われた通りにすると、車は砂から抜け出すことが出来たのでした。
そして、そのままサイババさんのところへ乗りつけました。
お母さん虎の死骸は、ジープの後部座席に横たわっていました。
イギリス人は、「必ず赤ちゃん虎を見つけ出して動物園に連れて行きます。」と約束して帰って行きました。
しばらくして、お母さん虎をなめした皮がアシュラムに送り届けられてきたのでした。
ババは周りの人に、「あのジープは、僕が砂の中に引きずりこんだんだよ。だって二匹の赤ちゃん虎が、死んだお母さんを探していて、可哀想だったんだ。」と言われたのです。

実際のところ植物も動物と同じような生を持っています。
しかし動物が持っているような心や神経系統というものは持っていません。
動物は、彼らが殺されるとき泣き叫びます。植物にはそういうことはありません。
動物を殺すことと、植物を刈り取ることを同様に見るのは間違った考えです。
付け加えて言えば、動物を殺してその肉を食べるとその動物の性質や振る舞いが、人の中に入り込み浸透していくのです。
その結果、動物的な性質つまり、牛や羊のような鈍生の性質を身につけてしまうのです。
それ故肉食は止めなければなりません。食物が人の心の性質を左右するのです。
心は思いを導き、思いは行為の結果を引き出します。
行為は、それに見合った結果や影響を引き出します。
我々の摂る食物と我々の行為の結果との連鎖は、肉食が、獣的な行為と悪い影響を人に与えるということに繋がることを教えています。SSALp, 132

どんな形にせよ、罪のない動物を殺すということは暴力であり、悪であり、野蛮な行為なのです。SS12/94p323

https://m.youtube.com/watch?v=UPOcKLyX9ZY


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