サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

天国より上の世界ってあるの❷

2015-05-05 00:00:18 | 日記
ポニョ:昨日の話は面白かったな。もうちょっと聞きたいな。違う例をあげて説明してくれるか?

ヨシオ:そうやな。どんな例が分かりやすいやろか。まあ、平たく言えば神さんは光で、と言っても想像出来ないくらい強烈な明るさで輝いているんや。愛の光や。そして、その光が放射するパワーで宇宙の一つひとつの粒子や原子や分子などを振動させているんや。それがシヴァダンスと言われてるものなんや。そして、それらがお互いくっついたり離れたりして物質を形づくり、この世界が成り立っているんや。人の身体も一緒なんや。人はこの広大な宇宙の雛形なんや。聖書にもそう書いてあるやろ。

ポニョ:神は自らの形に似せて人を創造された、とか書いてあったっけ。

ヨシオ:それで一人ひとりの人間の中にその神さんである愛の光が存在していて、その光の放射パワーが波動となって一つひとつの細胞を振動させて生命を与えているんや。

ポニョ:宇宙と一緒なわけやな。

ヨシオ:その光のパワーがその人を通じて100%出て来たらその人は神そのものなんやけど、残念ながらそうはいかないんや。というのも、人は自分を神から離れたものと思い、その体を自分と思ってしまうんや。

ポニョ:それがエゴと呼ばれるもんやな。

ヨシオ:そのエゴがある限り、人は神の光のパワーをその人の身体を通じて顕現出来ないんや。どうしても、エゴの影響を受けるんや。エゴは光を遮ることが出来る雲みたいな役割をするんや。その雲がどれくらい多くて厚いのかは、人によって違うんや。ある人は80%、またある人は40%の雲量という具合に。

ポニョ:その例は分かり易かったなぁ。つまり、人って雲に覆われた太陽のようなものなんやな。時々雲の切れ目から光が射すように、神様が、こんにちはと言って時々挨拶をされるんや。

ヨシオ:そういう事や。俺たちが毎日の生活でしなければならない事は、人と会ったり接触したりする時に、その人を覆っている雲を見ないことなんや。その雲に隠されている太陽を見なくてはいけないんや。

ポニョ:しかし、人によっては雲が厚すぎて太陽があるなんて感じられない人もいるで。

ヨシオ:でも、その雲自体も実は太陽が無かったら存在してないやろ。

ポニョ:うーん。そうかな。海の水が太陽で熱せられて水蒸気となり、それが上昇して雲になるんやもんな。そう言えばそうや。という事は、その人のエゴも神様である太陽が創造されたってことになるで。

ヨシオ:それが、マーヤー迷妄と呼ばれている力なんや。太陽を覆い隠し人々を神ではなく、肉体を持っている自我だと思わす力なんや。俺たちが空を見る時に、空に浮かんでいる雲に目が行くやろ。その雲のいろいろな形や色、そして雨を降らせたり、突風を巻き起こしたり、ひどい場合には竜巻を作り出して惨事を招かせたりする雲に目が惹きつけられるけど、その後ろでいつもニコニコと笑って光っている太陽を忘れたらいかんのや。

ポニョ:でも、夏の暑い日に陰を作ってくれる雲もあるで。入道雲がもたらす夕立は夏の暑さをしばらくの間忘れさせてくれるし、お百姓さんは梅雨時期に雨が降らなかったら困るから、雲よ雨を降らせたまえ、と言って空を見上げるで。

ヨシオ:全ての人は大なり小なり雲に覆われている。今ポニョが言ったように、人に役立つ雲に覆われないといけないよな。でも、その人に役立つ雲も所詮は雲なんや。太陽を隠す事には違いないんや。だから、太陽を現れさすにはその雲も最終的には取り除かなくてはいけないんや。

ポニョ:つまり、人の社会に災害をもたらす雲から、太陽の周りで、太陽を飾っている雲になり、最後にはその雲自体も取り除けば、君は自分が実は太陽そのものだったんだと悟るんやな。分かり易い例えだったぜよ。今日、おいら、二箇所もトゲが刺さったけど、とげぬきでたトゲを抜いた後は、そのとげぬきも要らんようになることと一緒やな。

ヨシオ:最初、人が動物から生まれ変わった時に、まだたくさんの獣が持っている貪欲さとか、怒り、嫉妬、傲慢、残酷さなどを持って生まれ変わって来ている。でも、それらの獣的性質を何度も人として生まれ変わって徳を積みながら、投げ捨てていかなあかん。そうすれば、神に近づいて行けるんや。人の性質は鈍性、激性、浄性と三つあって、誰でも動物から生まれ変わった時は鈍性の性質をたくさん持っているけど、浄性の性質である同情心を持っている人や、親切な人にならないかん。でも、これらの浄性の性質も雲と一緒で、太陽を隠す役割をすることには間違い無いんや。だから、最後にはこれらの浄性の性質も乗り越えて行かねばならないんや。

ポニョ:ババが浄性の性質を持っていたらダルシャンで大変やろな。あら~ポニョ君久しぶりやね。いつから来てるんや。あと二週間程したらインタビューに呼んであげるから我慢して待っててね。おお、君か。お母さんの病気は治ったかね。この前あげたヴィブティが無くなたら遠慮せずに言いなさい。また物質化してあげるからね。あれ~。君は前に言ったように子供は出来なくても良いんだよ。子供を育てるカルマを持っていないからね。何?どうしても子供が欲しいの。それじゃ来年女の子が出来るように取り計らってあげよう。どんな感じの娘が欲しいにのか手紙に書いて後で持っといで。霊界にはたくさん人になって生まれ変わりたいソウルがいるからね。ああそうだ。この前死んだ象のサイギータなんかどうや。ちょっと太めの大きな赤ちゃんになって生まれて来るけど、鼻は高~い女の子やで。まあ考えておきなさい。とか言ってダルシャンがめちゃくちゃ賑やかになるやろな。

ヨシオ:俺はそんなダルシャンやったら嫌やな。この世に囚われている人だらけで、そこから抜け出されへんやんか。神さんの役割って、この世での人生を快適にするように人々を導くのではなく、この世から抜け出すように導くのが仕事やからな。

ポニョ:それで、全ての人の中に愛の太陽として輝いている神様を見つけて生きて行くんや。

ヨシオ:ババは、君たちは同意しないかもしれないけれど、私の目から見るとこの世は愛しか見えないとおっしゃっていたけど本当にそうなんや。雲を見てたらこの世のいろんな悪い事や、不幸などが見えるけど、その後ろに控えている愛そのものである神さんを見なくてはいけないんや。
ポニョ:全てに愛を見るってとても大変なことやもんな。ババはその人が過去で犯した罪深い行為などを知っておられるので、その人が苦難に遭って嘆いていてもそれは過去のカルマを支払うために必要な事だと分かってられるから、ニコニコされているけれど、おいら達はそう言うのが見えず、いま起こっている惨事を見て心を動かしてしまうから、神のような超然たる態度を取れなくなってしまう。

ヨシオ:逆に、目の前で繰り広げられているいろんな不幸や惨事で苦しんでいる人たちを見ているのに、神さながらの超然たる態度を取らなければいけないと、彼らは今、過去生で犯したとてもひどいカルマを支払っているから良い事なのだ。ワッハッハと言ってのんびりとテレビを見ながら我関せずの態度を取るのは利己主義やしな。

ポニョ:その辺のところが難しいところや。

ヨシオ:詰まるところは、ババがいつも言われているように、全てを愛し、全てに奉仕することが一人ひとりに求められているんや。災難を受けた被害者が金持ちだったら奉仕をしないとか、ネットを撹乱する工作員だから冷たく扱うとかしないやろ。奉仕をする時にいちいち奉仕をされる人が、奉仕をされるに値するかどうか吟味してから奉仕をしない。惨事を受けて被害に遭われたり、食べ物が無くてお腹を空かせている人には、その人たちの過去生のカルマがどうであれ、自分たちの出来る範囲で助けるのが当たり前や。

私には自分に直属する三つの部門があります。
それは、愛、無私の奉仕、霊性修行、という三部門です。
誰であれ、私を愛する者を私も愛します。
私への愛だけで十分です。
その人の性質や資格を調べたりはしません。
また、誰であれ、私は何の見返りも求めずに奉仕する者の世話をします。
最後に誰であれ、いつであれ、霊性修行の道を行く者は私の保護下に置きます。
私はその人の世話をします。
これら三つ以外の部門は私の大臣達がそれぞれの役割に応じて人々の面倒を見ています。ND

知性と共にまた、人格も磨かなければなりません。
なぜなら知性だけを用いて社会に奉仕することは出来ないからです。
他の人の苦しみを和らげるために、自分の楽しみをも犠牲にできることが、良い人格をつくる上でとても重要だからです。SSSVol10p49

ポニョ:はい。皆さんお待たせしました。ここに並んでくださいね。今から炊き出しをします。オクラがたっぷりと入っている美味しいカレーですよ。その前にここにおられるサイキックの人にあなたの過去生をチェックしてもらいます。もし過去に犯した罪を返す為にあなたが二三日、食事にありつけないということが判明しましたら、残念ですが今回ご奉仕出来ませんので立ち去ってくださいね。

ヨシオ:それはひどいよな。何か勘違いしとるな、そんな事をする人がいてたら。神さながらの超然たる態度って何を見ても聞いても、至福でいることなんや。でも、それと目の前で不幸にあっている人たちを支援しない事と関係ないんや。それよりも全ての行為を神に捧げて、その行為をしたっていう事を忘れる事が大切なんや。良いことも悪いことも含めて。そうすれば良いカルマも悪いカルマも作らないやろ。良いカルマも結局は人をこの世に縛ることになってしまうんや。そういう良いカルマをたくさん作り、この世界で慈善事業家とか呼ばれている人は天国に行けるけど、そこで、ああ俺はこんな良いことをした。あんな良いこともしたな。なんて思い返して自己満足し、やがてそういう思いが薄れて来たり、飽きた来たりしたら、またこの世に生まれ変わって来るんや。だから天国の門を叩いてはいけないんや。そのもう一つ上の世界に、もう二度とこの世界に帰って来なくても良いところまで霊的な階段を登りつめないといけないんや。そのレベルにまで昇る方法を教えておられるのがババなんや。

解脱は天国の住人でさえ手の届かぬものなのです。
天国も地獄も行為の結果であり、創られたものであり、それゆえ不滅ではありません。
誕生、成長、衰退、死という条件によって縛られています。
無始の始めから存在し続けたものではありません。
それはつくられたものなのです。
行為以前には、天国も地獄も存在しませんでした。
過去に無かったもの、未来にも無いものは、現在にも無いのです。
それは行為の報いによって、天国か地獄を与えるだけで、不滅の歓喜を与えるわけではないのです。UVc11
皆さんの中には、貧しい人に施しをしたり、儀式に出たり、苦行をしていれば、天国に行ける。と思っている人もいるはずです。
ところがクリシュナは、天国など儚いものだといっています。
「アルジュナよ、天国よりはるかに偉大なものがあるのだ。
儀式や苦行などは、止めた方が良いといっているのでは無い。
むしろそういうことは、君の務めだと言っていい。
ただしどんなことも世界の幸いのために行うのだ。自分のために働くのでは無い。全世界が平和で豊かで幸いであることだけを願って、どんなことも私欲を捨てて行うのだ。
天国に行きたいなどと思ってはいけない。
天国をはるかに超えたもっと高い境地を願うのだ。
天国は、前世で積んだ功徳がある間は続くだろう。
だが功徳が無くなれば、君はまたこの地上に戻ってこなくてはならない。
だから天国のような儚いものを求めてはいけないのだ。
神に近づき、神に親しむのだ。
そして神と一つになれ。
本当に大事なことはそれだけだ。
神の摂理は、天国よりもはるかに偉大なものだ。
行為の本当の意味を知り、正しいものの見方と共に行為をすれば、神そのものを手に入れることが出来るのだ。」SGc32
神聖で淨らかな行為によって得る最高の賜物は、天国です。
死後、天国に行く人の浮世から解放される期間は、他の人に比べて長いのですが、しかし天国にいる期間にも終わりが来ます。
求道者は、天国に行くことを欲するのを止めなければなりません。UVc4



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