サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

クリシュナ物語(16)

2016-06-26 00:00:48 | 日記

ポニョ:今日もゴピー達のお話です。

ヨシオ:ゴピー達の話をし始めると本当にキリがないよな。帰依者の鑑のような人ばかりやもんな。

ポニョ:ゴピーは、プレマヨーガつまり、神様を信愛する事によって、神様と融合するヨーガの理想的な話の主人公やぜよ。プレマヨーガでは、別にヴェーダの事や、あんたが得意な難しい不二一元の話やら知らなくても神様に達することが出来るんや。

ヨシオ:一番易しいけれど、心が純粋でなかったらいけないんや。そういや、このプレマヨーガはポニョにぴったりやないか。頭を使わなくてもええから。

ポニョ:あのね、あんたの言葉は、いつも褒めてくれてんのか、けなしてるのか分からんぜよ。

二人のゴーピーが、ヤムナー川の岸辺を歩いていました。クリシュナのことを語りながら、二人はクリシュ ナの御業、クリシュナの栄華にすっかり酔いしれました。ふいに二人のうち、ニーラジャの心に突然疑問が湧きおこりました。難問中の難問です。「もしもクリシュナ様とひとつになりたいと想いつづけて私もクリシュ ナ様だと気づいたときには、クリシュナ様と共にいる歓びも、語りあう歓びも、甘い声を聴く歓びも失うことになるのかしら。ならば私はクリシュナ様にならずに、神の愛と栄華を味わっていたいわ」すると一緒にい たサララなだめるように言いました。「いいえ、その不安は根拠のないものよ。だってクリシュナ様もあな たのこと、純粋なあなたのことを想ってくださるのですから。もしもひとつであると想うサーダナでクリシュナ様になったときには、クリシュナ様もあなたを強く想う余りにあなたになるでしょう。怖がる必要も心配 する必要もまったくないわ」
プラクリティとはダーラー(この世、創造物)です。つねにそれを想いなさい。強く求めなさい。ダーラー ダーラーダーラーと切望するうちに、いつの間にかラーダーラーダーと唱えていることに気づくでしょう。そ うです、ラーダーとは「なること」であり、クリシュナが「在ること」なのです。「在るもの」がなろうと欲 し、「なったもの」が在ろうと欲する―――それがラーダーとクリシュナの関係です。予言者や詩人たちが歌 いあげ、無知な者たちが中傷、風刺し、探求者たちが賛美し学び、誠実に霊性の知識を学ぶ学者たちが研究し 認識してきたことです。

ある日ラーダーが近づいてきたとき、クリシュナは無造作に笛をわきに置いたままぐっすり眠っているふ りをしました。ラーダーは悲痛な面持ちで笛に語りかけました。「ああ、なんて幸せなムラーリ(笛)でし ょう! どうしてそんなにも幸運なのか教えてちょうだい。あなたが守った誓いって何だったの? どんな断食をしたの? それとも何かの巡礼かしら? マントラは何を唱えたの? どの聖像を礼拝したの?」笛は神 の慈悲で言葉を得、ラーダーにこう答えました。「私は五感の欲望、嫉妬、貪欲さ、エゴ、すべてを捨てました。ただそれだけです。神が私を通して生きとし生ける為にプレマを注ぐとき、私にはその流れをさえぎる エゴがまったくありません」

ヤムナー川のほとり―――静けさ、美、神秘、情熱。涼しい風がクリシュナの笛の奏でる優しく甘い神の旋 律を耳に運びます。ラーダーが大きなツボを腰で支え、川に向かって小高い丘を下りてきます。ふと、土手の 中頃で立ちどまりました。かつてクリシュナが立っていたあたりから、「ラーダー、ラーダー」と呼ぶ声が風 にのって聞こえてきたからです。ラーダーは驚いて四方を見回しました。どこにも誰の姿も見あたりません。 辺りには家さえありません。クリシュナはいつもこうなのです。
ラーダーは気を失い、ツボを抱えたまま倒れこんでしまいました。そして突然真理に目覚めたのです。「あ なたのいない場所などどこにもありません」ラーダーは心の中でクリシュナに語りはじめました。「あの声は 確かにあなたです。あれほど優しく甘く純粋で、愛に満ちた声は他にありません。けれどひとつだけ願いをきいてください。あなたはすべてなのに役割をお与えになりました。私たちはできるかぎり上手に その役を演じました。私たちを笑わせ泣かせ、あなたが満足するように演じました。でも、私はもうたくさんです。私を元いた場所に帰してください。欲望、失望、怒り、期待、不安や野望を味わいました。美しい旋律を耳に、 柔らかな風を肌に、おいしいものを舌に、うっとりするような景色を目に、かぐわしい香りを鼻孔に与え、 五感を愉しませました。足首に幻想という足飾りをうち鳴らし、世の賞賛や世のあざけりを受けました。 歌を歌えば幻が拍子を刻み、タマス(鈍性)とラジャス(激性)が旋律となり、私に踊りを踊らせました。今の私の手足はぬけ落ちました。すべてにうんざりしています。もうこの劇を終わりにしてください。どうかお願いです。私の願いをきいてください」
しかしクリシュナはこたえません。少しずつ少しずつラーダーの心を占めてきたのです。神は純粋な心をくっきり映す曇りのない鏡です。ラーダーはクリシュナの肖像、神の愉悦の化身です。クリシュナのアフラディーニ・シャクティ(歓びの源)そのものであり、分かつことや離すことさえできないのです。ラーダーがヤムナー川のほとりに姿を見せたとき、クリシュナが「ラーダー、ラーダー」と呼んだのはそういうことだったのです。
ラーダーは続けました。「今がまさに献身という宝石をあなたの御足に捧げるときです。ああ、でもまだ磨かれずに鈍く光っているだけです。私は長いことこの世が甘いだけだと信じこんでおりました。苦いものでもあったのです。もう十分味わいました。そう、私はプラクリティ・ダーラー(この世のたゆまぬ流れ)、ラー ダーという名で呼ばれています。だから私には3つのグナ(性質)、サトワ(浄性)・ラジャス(激性)・タ マス(鈍性)があるのです。プラクリティ(この世)は女性性であり、私もやはり女性なのです」

ラーダーは神への純粋な炎、魂の満開の花であり、人々の内にいます。ラーダー がクリシュナであり、クリシュナがラーダーです。別の見方をすれば、ラーダーは万物(人類)に顕れた神性のきらめきであり、神に「なるもの」を体現し、クリシュナが神で「在るもの」とも言えます。なろうとするものが「在るもの=アートマ」に帰り溶けこもうと強く望むとラーダーになります。「在るもの」がなりたいと思えばクリシュナになります。
五感と心と知性をそなえた人の肉体はクリシュナの笛です。それが空(から)になりエゴや悪の 資質がすっかり消えさったとき、神なるアートマはその笛で神なる資質と神なる行いを演奏し、人を神へと変えていくでしょう。


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