サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

正義の味方はラーマやな❷

2015-11-08 00:00:41 | 日記

ポニョ:今日は正義の味方はラーマやなの第二回目ですね。前回は天界の神々たちがラーヴァナの不死の力を恐れたのでヴィシュヌ神にラーヴァナを退治してほしいと懇願したので、ヴィシュヌ神自らが人となってラーヴァナの退治に行きましょうという話やったな。

ヨシオ:このラーヴァナは元々は天国の門番でヴィシュヌ神から、天国にやって来る人が天国に相応しいかどうかを確かめる役割を任されていたんやけれど、人々がどんどん天国に入っていくのを目の当たりにして、自分も神様の元へ行きたいなという欲望を持ち始めたんや。それで神さんにそのことを頼むと、神さんは人として何千回も生まれ変わって良いカルマを作ってから私の元に来るか、それとも私が人として生まれ変わる度に、私と一緒に生まれ変わって悪役を演じて私に殺されてから私の元に来たいかどっちにする?もし後者の方を選べばもっと少ない数だけ生まれ変われば私の元にたどり着けるよ。と二つの選択肢を与えられたので、あなた様に殺されるのであれば本望です。後者の方を選びます。と言ってプラフラーダの時はヒラニヤカシプ担って生まれ変わり恐ろしいライオンと人の合体したような神さんであるナラシンハに内臓をえぐり取られて殺され、ラーマの時はラヴァナになって生まれ変わり、クリシュナの時はカムサになってクリシュナを殺そうとして逆に殺され、サイババの時はオクラが大好きなポニョとなって生まれ変わり、食べ過ぎで死んでしまうんや。

ポニョ:あのね、おいらが何で突然そこで登場するんや。それにおいらは悪もんと違うで。ええ加減にしなさい。それよりおいらが面白いと思ったのは、建物がらせん状になっているってとこやな。それってバベルの塔のような家がたくさんあったんやろな。でもラーマのお話ってただの物語じゃないんやろ?

ヨシオ:ババは二万年前に本当にあった話だと言っていおられたな。

ポニョ:それはすごいよな。進撃の巨人が本当にこの地球の上を跋扈してたんやな。と言う事で今日はラーマ兄弟の幼かった頃のお話をお送りします。

◇ヴァシシュタの悦び

四人の子供が生まれると、ダシャラタ王は子供の誕生に伴う儀式をすべておこないました。二 日目、ダシャラタ王は聖者ヴァシシュタに、四人の子供たちへの祝福を与えていただきたいとお 願いしました。はじめ聖者ヴァシシュタは声も出ず、言祝〈ことほ〉ぐ言葉もたどたどしいほど でした。ようやく落ちつきを取り戻すと、こう言いました。 「いやはや、魔法でもかけられたように言葉が出ませぬ。私がこの王家に来た務めは、今日果たされました」聖者ヴァシシュタはさらにこう言います。 「私が僧としてここに来たのは、世界の主〈ぬし〉が王のお血筋の者としてお生まれになり、そ のお方とつながりをもつ幸運を求めたからです。王の富や地位に惹かれたわけではありませぬ。 王のお血筋の者として生まれたのは、まさしく神その人であられます。しかし、この世のまやか しにとらわれているために、王はこれからもこのお方が人間の子だと思いこまれたままでしょ う」
聖者ヴァシシュタは、悦びの涙を流しながら家路につきました。この日、自分の人生の目的が 達せられたことを知ったからです。

◇教育を受ける

それよりも少し前、ラーマが生まれたときに、とても意味深いことがおこっています。子供が 産まれたというおめでたい知らせを伝えに、カウサリヤーの召使いの女がダシャラタ王のもとへ 大急ぎで駆け込んできました。知らせを聞いたダシャラタ王はたいそう喜んで、宝石の首飾りを その召使いに与えてやろうとしました。ところが召使いの女は王の申し出を断ったうえ、こう申 し上げたのです。 「王さま。わたくしどうしても、あのお子さまを抱っこして、頬〈ほお〉ずりしたいのです。ど うかどうか願いをかなえてくださいまし」
昔は徳の高い生き方をした人がいて、こんなとうとい考えをしていたのです。
ダシャラタ王は、大きな愛情をもって子供たちを育てました。子供たちが五歳になると、聖な る紐〈ひも〉の儀式〔学問のはじまりの儀式〕をおこないました。王さまは聖者ヴァシシュタに、 子供たちに学問の手ほどきをするよう求めました。
子供たちは十歳になる前に、四つのヴェーダを学び終えました。それどころかその年頃には全 員が――よい徳性について、世間について、精神的な道について――あらゆる種類の学問を修め たのです。四人の子供たちは、すべての人々が穏〈おだ〉やかで幸せになれるよう、努めはげん でいました。
第一に学んだ知識は、精神について、内なるたましいについての知識です。たましいについて の学びこそは、最高の学びです。俗世間の知識はどれも、いわば小川のせせらぎのようなもので す。それに対して精神的な知識は、大海原のようなものです。この四人の子供たちもまた、高い 品性と最高の徳を身につけていました。我欲で汚れることのない徳です。子供たちはさらに、弓術や剣術や馬術などの武芸を修めました。四人は、馬や象に乗る名手となりました。あまりに速 く駆けていくさまは、目にも止まらぬほどでした。そしてラーマに弓術の手ほどきをしたのは、 カイケーイー妃〈ひ〉でありました。弓の名手であったカイケーイー妃は、まれなる愛と大きな 親しみをもって、いくさの技術をラーマに教えたのです。
子供たちが十四歳になったときに、ダシャラタ王はみんなを結婚させることにしました。男の 子が道から外れることがないように早いうちに結婚させるのは、この時代のしきたりでした。こ のために王さまは、聖者ヴァシシュタのようなすぐれた長老にいろいろと相談をしていたのです。
そのとき、聖者ヴィシュヴァーミトラがあらわれました。ダシャラタ王はこの聖者を手厚く迎 えました。聖者ヴィシュヴァーミトラはまず王に祝福を与え、王と国民の無事について問いかけ ました。ダシャラタ王が聖者ヴィシュヴァーミトラに訪ねてきたわけを尋ねると、聖者は、 「もしも王がわしの望みをかなえると約束していただけるならお話しいたそう」
と言います。王が、
「あなたさまのお言葉どおりにいたします」
と約束すると、聖者ヴィシュヴァーミトラはこう言ったのです。 「そなたの息子のラーマを、儀式(ヤジニャYajna)を守るためにつかわしてもらいたいのだ」 〔魔物の女タータキーが、聖者がおこなう儀式の邪魔をしていたため〕
それを聞いたダシャラタ王は、聖者に許しを乞いました。 「ヴィシュヴァーミトラさま。息子のラーマは十四歳です。まだ幼く、これまでどんな苦労もし たことはありません。儀式(ヤジニャ)を守るために息子をひとりで行かせるなど、わたくしに はとうていできません」
聖者ヴィシュヴァーミトラは、怒りの声をあげました。 「愚かなことを申すでない!そなたは自分の言った言葉をひるがえそうというのか。誇り高きイ クシュヴァークIkshvakuの一族〔ラーマの家系〕の者で約束を違〈たが〉えた者は、いまだかつ てひとりもおらぬ。イクシュヴァークの血を継ぐ男はいつも、真実を貫き、潔〈いさぎよ〉く、 神聖でなくてはならぬ。そなたはわしとの約束を破り、一族の栄光に泥を塗ろうというのか。ど んな立派なことをして、どれほど神への勤め(ヤーガYaga)をしても、約束を違〈たが〉えては 何にもならぬぞ。いつわりを口にした者の罪は、死に値する。約束が守れないくらいなら、死ん だ方がましであろう」
ダシャラタ王は聖者ヴィシュヴァーミトラの言葉を聞いて怖ろしくなりました。ちょうどそこ に聖者ヴァシシュタがやってきました。何がおこったかを察し、ダシャラタ王に言いました。 「王さま。約束の言葉を違〈たが〉えるのは、イクシュヴァークの血を引く者にふさわしくあり ませぬ。ラーマさまの身を案ずることはないのです。ラーマさまは、この上なきめでたきお方。 最高神ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)の化身であられます。儀式(ヤジニャ)を守るために、ヴィ シュヴァーミトラとともに行かせるがよろしいでしょう」
ダシャラタ王は、ラーマを聖者ヴィシュヴァーミトラとともに行かせることを受け入れました。 ラクシュマナは、ラーマの分身のような人であったので、自分はラーマについていきたいと言い ました。ラクシュマナはラーマの影のような存在です。同じように、シャトルグナはバラタの分 身のような人でしたから、やはりバラタについていきたいと言ったはずです。これからお話しす ることで、ラクシュマナとラーマが、シャトルグナとバラタが、どれほど深くつながっているか がわかるでしょう。
スミトラー妃のふたりの息子、ラクシュマナとシャトルグナは、この世に生まれたとたんに泣 き出しました。ラーマとバラタがゆりかごの中で楽しそうに笑って遊んでいるというのに、ふた りはまるで泣きやみそうにありません。ずっと泣きつづけているので、みんな途方に暮れてしま いました。スミトラー妃は、玩具や面白そうなものなど、いろいろなやり方でふた りに泣きやんでもらおうとしたのですが、どうしようもありません。ダシャラタ王は何人もの医 者に相談し、この困った事態を解決したいと思ったのですが、やはりどうにもなりません。母親 であるスミトラー妃は、最後の手段として聖者ヴァシシュタを呼びました。偉大な聖者はしばし 瞑想に入ったあと、こう言いました。 「ああ、この子たちの苦しみを取り除くのに薬など何もいりませぬ。ラクシュマナさまをラーマ さまの隣に寝かせ、バラタさまのゆりかごにシャトルグナさまを寝かせればよろしいのです。ラ ーマとラクシュマナは同じ神の一部(アムシャAmsha)です。バラタとシャトルグナも同じなの ですよ」
スミトラー妃が言われたとおりにすると、ラクシュマナとシャトルグナはすぐに泣きやみまし た。それまではふたりともお乳を受けつけなかったのに、たくさん飲んでゆりかごで遊べるよう になったのです。ふたりの様子が急にこんなに変わったことに驚いて、スミトラー妃は聖者に、 どうかこのわけをお話しくださいとお願いしました。聖者はこれを説き明かしました。 「よろしいか。枝は木の一部でしょう。人は神の一部です。神がいなければ人は生きることがで きませぬ。ラクシュマナさまはラーマさまと同じ星のもとに生まれたのですから、ラーマさまと 一緒にいられるまではあの子の心は安まらないのです。シャトルグナさまの場合も同じです。あ の子はバラタさまと別々では耐えられないでしょう。どの人間も、そのみなもとである絶対の真 の自己と離れては生きていけませぬ。魚は、宝石を埋めこんだ金の鉢〈はち〉があったところで、 そこに水がなければ生きていけますまい。魚は水の中で安らぎを得られるので、金の鉢の中で安 らぐのではありません。水は魚が生きるみなもとなのですから。それと同じく、ひとりの自己は、 そのみなもとである究極の真の自己に達するまで、まことの安らぎは得られないのです」
思いどおりになる権力や富があっても、心の安らぎが得られない人はたくさんいます。それは、 自分自身のみなもとである神と離れて生きているからです。世間は、はかない楽しみは与えてく れるけれど、永遠の安らぎと悦びを味わうためには、大いなるみなもとに還っていく他はありま せん。ひとつの生命〈いのち〉もまた、永遠なる存在とむすびつくことで、はじめて幸せを見つ けることができるのです。ラクシュマナがラーマと、シャトルグナがバラタと一緒に寝かせてく れるまで泣きつづけていたというこのお話は、その最高の真理をあらわしています。これが「ラ ーマーヤナ」が第一に教えてくれる、偉大な教えです。
聖者ヴィシュヴァーミトラはダシャラタ王に、ラーマは最高神ナーラーヤナの化身なのだから 決して大事はないと強く説きました。さらにまた、ラーマは神その人なのだから、別れを悲しむ ことはないとも言っています。そうやってダシャラタ王をとらえた、まやかしの力をはらおうと したのです。ところがこの、ダシャラタ王をまやかしの力から解き放とうとした聖者ヴィシュヴ ァーミトラその人が、あとになって、ラーマとともに森を抜ける途中、まやかしの力にとりつか れることになるのです。
聖者とふたりの兄弟が、夕方になってサラユー川Sarayuの岸辺に着いたときのこと。聖者ヴィ シュヴァーミトラは言いました。 「ラーマとラクシュマナよ。お前たちはまだ子供だから、魔物の恐ろしい姿など見たこともなかろう。魔物から身を守るために『力〈ちから〉(バラBala)』と『さらに強い力(アティバラAthibala)』 というマントラMantraを教えてあげよう」
こうしてふたりにマントラを教えたあとで、聖者はあろうことか神の化身に向かってマントラ を教えるなどという自分の厚顔ぶりを、ひどく恥じ入ることになるのです。


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