サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

それからのラーマ❽

2015-12-16 00:00:11 | 日記
ポニョ:ラーマのお別れの時のスピーチを読んでいたらジーンと来て涙が出て来たぜよ。何というすごい愛じゃ。心に響く珠玉の愛の言葉の数々。相手の気持ちを思う実の母親より温かい御言葉。どれを取ってもこんなラーマのような愛でいっぱいの神さんがこの宇宙を創造され、それがおいら達の神さんだと思うと嬉しくなって来るぜよ。

ヨシオ:これ程の愛の言葉を人々に掛けれる程、神様って愛の塊なんやろな。

ポニョ:ラーマの時代はインドのアヨーディアに住んでいた人たちが、神の化身のダルシャンに出れる恩恵を授かったけれど、サティアサイババの場合は、世界中の人々が、いつでもババのダルシャンに行ける恩恵を授かったし、ネットやDVDを通じたり、著作を読んだりしてその教えに誰でも触れることが出来たもんな。

ヨシオ:そういう意味で、ラーマの時代の人よりも俺たちの方がラッキーなんやろな。でも俺がアシュラムにいた頃、EHVホールで毎週日曜日に外国から来た帰依者向けの講演会があって、その日も講演会場が一杯になるくらい人が集まっていたんや。その日は、アニールクマールさんが講演をされていて、ババと一緒に過ごしている時のいろんな興味深いエピソードを紹介されていたんや。質問の時間になり、ある一人のヨーロッパから来た婦人がこう言ったんや。「私はここに来てもう二週間毎日ババのダルシャンに朝夕参加していますけれど、一体何の役に立っているか分かりません。時間が無駄のような気がします。だって、ババはいつも私を無視されるし、インタビューに呼ばれた人たちの話を聞いても、ババは一人ひとりと話される訳でもないし、それに私、正直なところ、ババの顔を見るのが怖いのです。ババが近くに来られると怖くて身体が震えて来るんです。もうダルシャンに行きたくないのです。」と言ったんや。

ポニョ:なんじゃそれって?なんで怖いんじゃ?変なババァじゃのう。

ヨシオ:突然仙人になるなよ。それでクマールさんが困~る表情をされて、「どうして怖いのですか?ババは愛の化身ですよ。」と言うと、そのババァは、いや違った。その御婦人は「でも、ババはいつも怒っている顔をしているでしょう?」と言ったんや。俺は笑い転げてお腹が痛かったな。だってババが言う通り、そのオバハンは、その人の思いが他の人の上に投影されて他の人を自分の思い込みだけで判断してるんや。

ポニョ:君は時々育ちの良さが出て来ますね。でも、人は宇宙の創造主の御前にいても、その方が神の化身と気付かないって寂しい話やぜよ。

ヨシオ:ダルシャン会場で俺たちがババのダルシャンに出るけれど、実はそこに出ているのは俺たちだけではなくて、俺たちの守護霊や祖霊なども一緒に出ていて、彼らは俺たちの頭の上におられるんや。彼らは俺たちと直接コンタクトを取れないし、見えないけれど、俺たちを導いて神の化身にまみえる機会を与えて下さったんや。でも俺たちは彼らの姿が見えないから、自分だけがその会場にいるって思い込んでいるんや。

ポニョ:そういやババは、いつもおいら達の頭の上の空間を見ながら手を回したり、何か字を書いたりされているよな。多分そういう霊とコンタクトを取っておられるんやろな。

ヨシオ:ババもそう言われていた。それにラーマがサルプヤという霊的な贈り物を猿やヴィビーシュナにあげたように、インドまで行った俺たちに、ババは一人ひとり、それぞれの霊的レベルに見合った手土産をくれるんやけれど、ほとんどの人はそれに気が付かないでいるんや。ババのダルシャンに出た有り難みを、死ななきゃ分からない人がたくさんいるんや。

ポニョ:ヘェ~どんな手土産をおいらにくれたんやろか?帰りの道中でお腹が減らないように霊力がいっぱい詰まった饅頭とか、ちょっと豪華な三段重箱に詰まった霊的おせち料理とかやろか?

ヨシオ:あのな、弁当と違うっちゅうに。例えば国に帰っても、ババのダルシャンの様子が鮮明にイメージとして残り、人が死ぬ間際にそのイメージが頭に浮かんで、人の霊が肉体を離れてもババの元に安全に行けるように導いてくれるんや。それって最高のお土産やろ。

ポニョ:霊力がいっぱい詰まった三段重箱のおせち料理も捨てがたいぜよ。

ヨシオ:あのな…(汗)というわけでラーマのお話には入ります。今日は良い人ってどんな人かな?というお話です。

ある日、ラーマは彼の兄弟たちと彼の愛するハヌマーンと一緒に庭に散歩に出かけました。そこは、花が咲き、果物が木にたくさんなっていました。ラーマは彼の兄弟たちと、ベンチに座っていました。兄弟たちは、自分たちのの心の中である事をラーマに聞きたいという欲望を持っていましたが躊躇していました。彼らはハヌマーンを見て、自分たちの気持ちを伝えました。兄弟たちは、ハヌマーンはこれらの質問をラーマにしたら、ラーマはその質問に喜んで答えてくださる事を知っていたからです。全てを知り尽くしているラーマは、この状況を認識していました。

「ハヌマーン!お前が何か知りたい事があるんだったら質問してもいいよ。」と彼は言いました。ハヌマーンは「おお!弱きものを護る者よ。バラタがはあなたに質問をしたいのですが、彼は疑いに囚われていて質問をするのを恐れているのです。」と答えました。そして質問にぶっきらぼうに答えてしまったので、両手を合わせてラーマの足元にひれ伏しました。そしてラーマから直接話すように言われたので感謝しました。ラーマは「ハヌマーンよ。お前は私の事をよく知っているだろう。実のところ私とバラタは何の違いも無いんだよ。」と言いました。
バラタはこの言葉を聞いたとき、彼はラマの足元にひれ伏して、こう言いました。「おお!あなたに帰依する者の惨めさを取り除くお方よ。私どもの過ちと許しお守り下さい。私どもには、私の心に潜んでいる疑いなんて夢の中でさえありません。私には、悲しみも執着心もありません。もちろんあなたから頂いた恵みと思いやりに対する借りはあります。あなたはすべての美徳の宝庫です。私はあなたから良い人と悪い人の違いが分かるコツを教えていただきたいのです。」

ラーマは謙虚に答えた。「兄弟よ。ヴェーダとプラーナが述べているように、人の良い面は数限りなくある。良い事と悪い事の違いは、斧とそれによって切られるサンダルの木との隙間に例えられるのだ。
斧がサンダルの木を切り倒す場合を見てみよう。木は斧で切り倒されても、サンダルの木から発する芳香を斧に付与するだろ?斧は木を切って殺しているが、木は、それにも関わらずに良い事だけをするのです。したがって、サンダルの木は全ての人から喜ばれるのです。神々は自らの額にその芳香を放つサンダルの木のペーストを塗る事を好みます。しかし、そのサンダルの木を切り倒してしまった斧に何が起こったか見てごらんなさい。斧はよく木が切れるように熱い火の中に入れられ赤熱の地獄のような火に煽られて、形を整えられて、鋭く尖らせられるだろう。邪悪な人が善良な人にこのように悲しみをもたらすけれど、善良な人はどれほど邪悪な者に傷付けられようとも、常にその邪悪な者に対して幸せを願うのだ。その結果はどうなると思う?善良な者は天国に行けるのだ。彼らは常に神からの祝福を受けることが出来るのだ。それと反対に邪悪な人は常に人生において悲しみや不満に悩まされて苦労するのだ。つまり、彼らは表面上は自分たちがやっている事に対して、欲望を満たし満足しているように見えるけれど、社会から汚名を着せられ、人々から憎悪の想念を浴びせられて、その意識の奥深くでは、拷問のような地獄の苦しみを受けることになるのです。

私はあなた方に良い男性の特徴を述べようと思います。よく聞きなさい。彼らは官能的な快楽に魅了されないのです。彼らはすべての最高の美徳と行動様式を持っています。彼らは他の人の幸せを自分の事のように喜びます。そして他人の不幸も自分の事のように悲しみます。彼らはすべてのものに同じ愛情を注ぎます。彼らは敵を持っていないし、あるとしても彼らはそれを気にしません。彼らはこの世界についての豊かな知恵や知識を持っており、同時にこの世界に囚われてはいけないという意味を深く理解しています。彼らの心は、弱き者や誰からも見向きもされない者たちに対して優しく思いやりに満ちています。彼らは、彼らの純粋な思いと言葉と行為によって私の元にたどり着きたいという憧れを持っています。彼らは私に奉仕する事に喜びを見い出します。彼らは名声や汚名、名誉であるとか不名誉であるとかに関心がありません。彼らは常に他の人々に奉仕する事に興味があります。彼らは決してたとえ夢の中であっても、利己主義の衝動に囚われる事はありません。彼らの行動は、裏表が無くにシンプルである;。その心は常に冷静で波立っていません。彼らは世俗的な事柄から遠ざかる機会を得たいと望んでいます。彼らが過ごしている時間の一瞬一瞬は喜びに満たされています。自分達が称賛を受けていても非難を浴びていても、それらを同じように受け入れます。兄弟よ!誰でもこういう特性を持っている者は私は私自身の性格と同じだとみなします。というか、彼は私自身となんら変わる事はありません。彼は私自身で、私は彼なのです。実はそれが真理なのです。」

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