サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

四つのタイプの帰依者

2016-01-30 00:00:06 | 日記
神を信じる人について四つのタイプがあります。
一つは苦しんでいる人、二つは、物質的な物を願う人、三つ目は神に向かう知識を求める人、四つ目は、賢い人です。
長い時間をかけて、一人の人がこのすべての段階を進んでいきます。SGc12

ポニョ:ババは神の帰依者を、四つの種類に分けておられるのを見つけたぜよ。

ヨシオ:アシュラムに行けばいろんな人たちが来ているよな。ある人は自分の親の病気が治りますようにババに頼みに来られたり、子供の縁談や、商売がうまく行くことを願ったり、それぞれの人々の霊的レベルの応じてババへの願い事が変わってくるよな。ところでポニョ吉はババに何を願ったんや?

ポニョ:もちろん一番先に願った事はインタビューに呼んでくださいやぜよ。

ヨシオ:俺が聞きたいのはインタビューに呼んでもらってババから何を願うんやってことや。

ポニョ:それはインタビューに呼んでもらってから考えるばってん今から考えられないズラ。

ヨシオ:なんやねんそれって?俺がインタビューに呼んでもらった時も、ババは何か質問はありますか?霊的な質問に限りますが。と聞かれたんやけれど、誰も質問しないんや。俺は可笑しくなって笑いそうになったな。だって、目の前に全知、全能、全在の神さんがいるのに誰も何も質問しなくて黙っているんや。

ポニョ:ところであんたはどうやねん。あんたも何も質問しなかったんやろ。同類やないか。

ヨシオ:俺は初めからババに質問なんて無いから、俺の事はほっとけ。

ポニョ:なんで無いんや?全知、全能、全在の神さんを前にしてなんで何も質問が無いんや?言ってる事と、やってる事が矛盾しているやないか。

ヨシオ:俺は、ババがいつも俺の心の中にいて話しかけて下さっているのを知っているし、俺が必要な時にはいつも助けてくれている。俺がババの前で言いたい事はただ一つ、いつもあなたの道具に使って頂いてありがとうございますだけや。

ポニョ:ふーん、そんなもんかのう?

ヨシオ:そうやで。一度、ババと自分は一つやって悟ったら、なんの質問も無くなるんや。ただ、ありがとうございますという言葉しか口から出て来ないんや。だって全てはババがされているんや。自分の身の回りに起こる全ての事は、それが苦しい事であっても、悲しい事であっても、エクサイティングな事や、有頂天になる事であっても全てが神様が下さった贈り物なんや。その全てに感謝の気持ちを込めて受け入れなくてはいけないんや。それが神様と自分は一つやと信じている人のサインなんや。

神を信じる人には四つのタイプがあります。
一つ目は、悩みや苦しみのあるときに神に祈る人。
困ったときや、人生の試練にであったときにだけ神に祈る人です。
二つ目は、富や財産や権力を神に祈る人です。
長寿や子孫の繁栄を祈り、財産や牛や、宝石や金などを願う人です。
~たいていの人は、そういう俗世間の願い事ばかりしています。
三つ目は神の節理を知りたいと努力する人です。
神はどこにいるのだろう。神とは何だろう。
どうすれば神に達することが出来るのか。
私と神はどんな風に繋がっているのか。
私とは何か等の知識を身につけようとします。
~これらの知識が身についたとき、四つ目の英知の人の段階にたどり着きます。
英知とは世間一般の知識では無くて神に向かう知識、すべてを超えた知識を言います。
英知とは、すべては一つだと悟ることです。
~世間の知識は、何をしてもそれは自分に戻ってきます。
何を言っても、何を考えても、結局は自分自身に返ってくるのです。
ところが神に向かう世界には、触れるものも、見るものも、聞くものも、何の反応もありません。
ただすべてを超えた知識があるだけです。
これこそは真の知識です。
そこには反応するものも、響き渡る音も、映し出される姿もありません。
そこには二つ目のものが無いからです。
そこではすべては一つです。
二つのものがあるところには、一方を手に入れたいという思いか、一方を退けたいと思う思いがいつでもおこります。
つまり欲望か、恐怖の感情がいつも起こるのです。
けれども、真の知識に満ちていれば、他の人も他のものも経験する事はありません。
他のものなどどこにもありません。
そうなれば、欲望も恐怖もおこらないでしょう。
それこそは英知、最高の知識と呼ばれるに相応しいものです。
高度な意識の状態では、何を見ることも、何を聞くこともありません。
ただ究極の悦びに満たされています。
これこそが、「完全存在、完全知、完全至福」と呼ばれる、永遠の悦びなのです。SGc14

ポニョ:でもほとんどの人々は、自分の欲望や願いを叶えてくれなかったら、ババに文句を言ってババの元を離れてしまうよな。

ヨシオ:ほとんどの人っていうわけじゃないやろ。ある人はババの元に行くのをやめてしまったり、もっと、自分の中におられるババを探し求めて、もっと瞑想や奉仕に取り組んだり、いろいろと本当の自分を探すために努力されている人たちが大多数やろ。

ポニョ:ちょっと大げさに言い過ぎたかな?でも、おいらの周りには結構ババが願いを叶えてくれないと言って、離れていった人がいたぜよ。

自分たちの欲が満たされないと、善の道を離れて神に反抗し始める人々がいます。
しかし、過ちは彼らにあるのであって、神にあるのではありません。
神に反抗する人間には四つの種類があります。
第一は、神は存在しないと主張する無神論者です。
第二に、他の人々が自分たちよりも良い境遇にあるために、妬みの心から神に反抗する言葉を語る者がいます。
第三は、自分たちには名声を手に入れる力がないのに、他者が名声を博していることを嘆く者たちです。
四番目は、自分の欲望が満たされない時に幻滅を感じる者たちです。
彼らは、不正で低劣な手段に訴えて自分たちの目的を果たします。23/11/2000

ヨシオ:ポニョは誰とでも付き合うからな。生まれ持った性格やけれど、ポニョはみんなから好かれるからな。いつもニコニコして。

ポニョ:その辺は君とは人格が違うぜよ。あんたは人相が影響していると思うけれど、とっつきが悪いし、いつも怒っているような表情やから友達なんて出来ないやろな。

ヨシオ:俺は、友達なんて要らないんや。神様だけあればそれで嬉しいんや。ポニョこそもっと付き合う相手を選ばないと、誰とでもいつもヘラヘラと付き合うから、そんなレベルの人間ばかりが周りに蔓延ってしまうんや。

ポニョ:付き合う相手のタイプを選ぶっておいらには難しいぜよ。

ヨシオ:ポニョは先ず、どんなタイプの人間がこの世界にいるかを知らないとダメやな。

4つのタイプの人間がいます。
一つ目は死人で彼らは神を否定し、自分だけが存在し独立し自由であって何でも決めて行うことが出来ると信じている。
次は病人で、何か災害が彼に降りかかったときのみ神を求める。
そして、困難な時に神が助けに来るのが当たり前だと思っている。
3番目は、鈍い人で、神は永遠に彼といて、いつも彼を見守ってくれていることを知ってはいるが、しかしそういう思いは、たまにしか湧いてこない人のことである。
最後は、健康人で神に対して揺るぎのない信仰心を持ち、神の創造した世界の中で神と共にいつも快適に生活している人である。
あなたは死から生へ、病から健康へと、この世界を生きる経験を積みながら自分自身を高めていかなければならない。
この世界は英知という子供を生む為に苦痛を伴った探求をするところであって、人の啓蒙課程における非常に重要な部分である。
苦悩は人の生き方を新しくさせるためのサインであり、実は役立つものです。SSSvol?p4

ポニョ:そんな事を誰も今まで教えてくれなかったぜよ。これからはもうちょっと賢く人付き合いをしないといけないな。ちょっとおいらには難しいな。

ヨシオ:ポニョは愛がいっぱいでとても良い性格やけれど、もっと識別心を使った生き方をする癖を付ければええんや。だって、心は識別心でコントロール出来るし、その心は以前から言っているように感覚器官をコントロール出来るし、その感覚器官は身体をコントロール出来るから、常に何が正しい行動かどうか、何が間違った行為かを検証しながら毎日の生活を送っていたら、人生を誤る事が無くなるんや。

ポニョ:おいらの人生を振り返ったら、人がええからいつも周りに友達がいっぱいできるんやけれど、その友達から悪い影響を受けるんや。人に嫌われたくないっていう気持ちが強いんやと思う。だから自分で悪い事とは分かっていても、断れないからタバコやギャンブルを覚えたんや。

ヨシオ:ババの事を知るまではそれでもええけれど、知った限りはもちょっと節制した方が良いよな。

ポニョ:とは言うものの、あんたの様な嫌われ者にはなりたくないぜよ。

ヨシオ:うるさいさっきから!人の事はほっとけ。

すべての人は四つの構成要素を有しています。
それは、体、心、知性、アートマ〔真我〕です。
体は、各人の義務を果たすこと(ダルマサーダナ)のための道具です。
体が動くのは、心の促しによってのみ可能です。
しかし、体を動かした結果を楽しむのは心です。
しかし、心が感覚の動きから引き出せるのは、束の間の喜びにすぎません。
たとえば、空腹なとき、何か食べて飢えが満たされれば、心は満足します。
心を超越しているものは、ブッディ、すなわち知性です。
ブッディは識別力を備えています。
ブッディは、体にとって何が健全であるか、何が望ましくないか、あるいは何が悪いものかを指摘します。
ブッディに導かれるなら、心は純粋な喜びを体験します。
どんな行為を行うときも、それが良い結果をもたらすか、悪い結果をもたらすか、事前によく考えてみるべきです。
識別がなされなければ、心は言わば盲目になります。24/11/87





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