ポニョ:今日はサイババさんの降誕祭ですね。降誕祭と言えば恒例のババの御講話ですが、今日はその中でもババが将来について予言された感動的な御講話を紹介したいと思いますがその前にあんたからお知らせがあるんやろ?
ヨシオ:二年前からコツコツと翻訳して来た「サイババが帰って来るよ」のブログの中の「神様との約束」の英語版が完成したんや。それで早速ディストリビューターに投稿したので、暫くしたらいろんなEbookのサイトで無料で読めるようになるんや。
http://shakespir.com/ebook/sai-baba-will-return-27335
https://www.smashwords.com/books/download/594944/1/null/0/0/sai-baba-will-return.pdf
このブログにもババの降誕祭記念として字数の関係で五部に分けて載せますね。
ポニョ:ババがあんたのオーストラリアの写真を探していた話やら、星やんの純金になった眼鏡の話や未来の地図の話が英語圏の人達が読めるようになるって大きいニュースやぜよ。でも翻訳にえらい時間が掛かったな。
ヨシオ:翻訳は俺なりにさっとやったんやけれど、子供に見てもらったらイングリッシュではなく、ジャングリッシュやって言われたんや。
ポニョ:何やねん?ジャングリッシュって?
ヨシオ:ジャパニーズとイングリッシュのミックスやねんて。Janglishって聞いたことが無いよな。子供達からこんな酷い英語は読めないって笑われたんや。それやったらお前らが編集して書き直せと言ったんやけれど、みんな仕事で忙しいからやってくれないんや。次女が仕事が終わってから、二人で少しずつやってたから遅くなったんや。でも、今年の降誕祭までに完成する目標は達する事が出来て良かった。
ポニョ:あんたの長女はプロの作家やから頼んだら終わりやんか。
ヨシオ:あいつは本業が弁護士やからめちゃ忙しいんや。でも最後に目を通してくれたけどな。でも文章の構成が全然なっていないので、手が付けられないと言って流し読みしただけやと言ってたな。これだけ時間がかかったのはババがこの本が世に出るのを調整されているんやけどな。だって俺は、この本が世に出ようが出まいがいつ出ようが全然興味が無いんや。ただ俺が翻訳をやって、それをババが意思されれば世に出るし、そうでなかったら出ないし、それは俺が決める問題じゃ無いからな。と言うわけで今日記事を投稿して置いたのでポニョが適当に写真を貼ってくれたらそれで終わりや。
ポニョ:あのね、こんなに沢山写真を貼るって大変な仕事なんやぜよ。簡単に言わんとってくれますか?
ヨシオ:と言うことでこの件は俺の手を離れたからもう忘れよっと。ところでさっきの話やけれど、御講話の中で明らかにされた予言ってあれやろ。
ポニョ:そう。あれやぜよ。有名な御言葉や。
ヨシオ:今、私から離れている連中も後悔の涙を流しながら帰って来る。今、私はそれが起こるにを抑えているけれど、それが起こればそして、それは世界中で起きる。と言われたんやろ。
ポニョ:あのね。一番良いところを今言ってしまったら面白くないやないの。
ヨシオ:これと同じ事を他の機会にも言っておられるんや。だから目くじら立てなくてもええやないか。
ポニョ:でも、今私はそれを抑えているが、一旦、それをやれば何百万人もの人々がここにやって来ると言われた部分はすごいよな。しかも世界中の人がインドのアシュラムにやって来るんや。ババの降誕祭に行った事があるけれど、一番多い時でも百万人かな?何百万人の規模ではなかったぜよ。その時、泊まる場所が無くてタクシーの中で寝たんや。
ヨシオ:ポニョは飯さえあったら何処でも寝れるもんな。アウトドア派の人間やもんな。
ポニョ:他の講話で人々が多く来過ぎるのでチットラヴァティ川の河原まで人が溢れると言われた事があるぜよ。アシュラムからチットラヴァティ川までって結構あるから、そこまで人がいっぱいになった事って今まで一度も無いぜよ。
ヨシオ:ババが将来何百万人もやって来ると言っておられるけれど、ババが世界中の空に現れてからそういう事が起こるんやろな。
ポニョ:ババは一度だって無駄な言葉を言われた事が無いし、やられた事も無い。あの大きな飛行機が離着陸出来る飛行場を何の将来の計画も無しに作られるわけが無いんや。だっていつ行ってもその飛行場はただだだっ広いだけで、小さな飛行機がほんの時々やって来るだけなんや。滑走路の半分も使わずに離着陸出来るような飛行機ばっかりやで。無駄でしょう。普通に考えたら未来の事が全て見えているババがそんな無駄な事をするわけが無いでしょう。飛行場って土地だけでもすごい広さやぜよ。
ヨシオ:問題はタイミングやな。さていつ出てこられるか?遅ければ遅いほど、再降臨されてからこの地球に滞在される期間が短くなるから、早く現れて欲しいけどな。でもこればっかりは俺たちにはどうしようも無い事や。心からお願いすれば二十分ぐらいは予定より早く出て来られるかもしれんな。
ポニョ:二十分ってあんた、せめて二時間くらいに延ばしてくれますか?
ヨシオ:どっちも変わらないやないか。
日付:1982年11月23日・場所:プラシャーンティ・ニラヤム
サティヤ・サイ・ババ様57歳の御降誕祭の御講話より
あなたからの誕生日の贈り物
あなたはこの誕生日にスワミに贈る贈り物について考えていることでしょう。あなたが人類同胞を愛し、人類同胞の苦痛を分かち合い、人類同胞への奉仕に従事しているときにのみ、あなたは「自分はスワミに好ましい贈り物を送った」と喜ぶことができます。それこそが、私の望む贈り物です。神に贈るプレゼントは、清らかで、揺らぐことのない、無私の愛でなければなりません。
この誕生日に、私は一つだけ望みがあります。私がそれを望むのは、ひとえに皆さんの歓喜を促すためです。皆さんは、来るべき60歳の誕生日に向けたプログラムを計画中です。60歳の誕生日が来る前にも、皆さんは少なくとも6000の村を選んで、模範的な村人になるための適切な方法を介して、村々を向上させなければなりません。裕福な人や権力のある人には大勢の使用人がいます。しかし、困窮している人、貧困にあえいでいる人、苦しんでいる人には、誰も仕えてくれる人はいません。そうした人たちのところに行って、その人の友人に、親類に、その人の幸せを願う最も近しい者になりなさい。そのような者として、その人たちに歓迎されなさい。
もしも、空腹に苦しんでいる人の耳元で霊性を説いたとしても、それは相手の耳には入りません。空腹を満たすのが先です。そのような人には食べ物という形をとった神を与えなさい。衣類という形をとった神を与えなさい。不安を抱いて苦しんでいる人には、平安という形をとった神を与えなさい。病気で苦しんでいる人には、薬という形をとった神を与えなさい。何であれ、恐れと痛みと悲しみを和らげることのできるものの形をとった神を与えなさい。これらが為されたときにのみ、霊性は人のハートに染み込んでいくことができるのです。もしも、それとは逆のことをするならば、霊的な感情ではなく、無神論を助長することになってしまうでしょう。
サイの原理には利己的な衝動はない
ですから、私たちのオーガニゼーションのユニットは、6000の村で教育と医療と通信設備を提供するか、増強するかしなければなりません。飲み水を得るために村人たちが苦労している村もあります。政府が単独でこれらの便の一切を供給することはできません。民衆の協力なしでは、政府は何もできません。政府は自由な存在ではありません。政府は国民の支持を基盤としています。政府が働くことができるのは、民衆が積極的に協力した場合だけです。あなた方は政府に依存することなく、自分たちの力で社会の発展を押し進めていかなければなりません。これは真の霊性修行(サーダナ)であり、真の無私の奉仕(セヴァ)です。愛(プレーマ)の体現となれるよう努力しなさい。万人の主である神に自分の能力と技能のすべてを捧げる心構えをしなさい。神の御名の唱名(ジャパ)や苦行(タパ)や供犠(ヤーガ)に従事するなら、あなた方は神の愛という報いを得ます。あなた方が努力を傾ける目的として、神から神聖な愛を受け取ることよりも大きな偉業がありますか?
しかしながら、あなた方はこの愛の性質と意味を理解しなければなりません。あなた方は今、その愛の本質に関して、自分の認識のレベルでその愛を体験し、分かち合っています。それは誤りです。それはあまりにも字義的な解釈です。その愛の本質には、ほんのわずかなエゴもなければ、穢(けが)れもありません。それはまったく利己的な執着のないものです。サイが行うこと、サイが考えること、サイが言うことは、すべてあなた方のためであり、サイのためではありません。私の望みはあなた方の喜び(アーナンダ)だけです。あなた方の喜びは私の喜びです。私にはあなた方の喜びとは別の喜びはありません。
「スワミはこれをしている、あれをしている」とあなた方は推測します。しかし、私はそれを自分のためにしているのではありません。私はあなた方のためにしているのです。昨年の誕生日に、私はその点について話をしました。(皆さんが信じようと信じまいと、)私は自分のためには一銭も使いません。私が何をするにせよ、私は一切を社会のためにします。〔降誕してから〕56年が経ちましたが、私はシャツ一枚、ローブ一枚さえ、自分のために誂(あつら)えたことはありません。今、私が着ているのは、キングダム・オブ・サティヤ・サイ〔サイの学校の男子同窓会〕のラーダークリシュナという学生〔卒業生〕から贈られたものです。「私はこれやあれを持っていなければならない」という考えが私に生じたことは、今日だけでなく最初から一度たりともありません。今もそのような考えが生じることはありません。どんな時でもありません。私に生じる考えの一切は、世界の平安と安寧のため、若者の成長のため、そして、道に沿って他の人たちを率いていくことになる理想的な男子女子を立派に変容させるためのものです。あなた方は世界の人々のための奉仕に身を捧げ、サイの行動基準には利己的な衝動はないということがわからなければなりません。
勝利の日は近づいている
今月が終わったら、私はバーラタ〔インドの正式名称〕全土を旅して、体力的な理由、あるいは資金的な理由でここに来ることができない人々を祝福するつもりです。私はそのような人たちにチャンスを与え、喜びを授けたいと思っています。これは大切なことですが、スワミのために市街地や都市でのプログラムを準備する代わりに、村でのプログラムを準備しなさい。出費を抑えて、村に施設を提供するためにお金を節約しなさい。私はすべての村を訪問したいと思っています。しかし、そうなると、皆さんはそれ相当の準備をしなければなりません。私は歩いてでも行くことができますが、何十万という人々が集まることになるため、皆さんはその人たちの面倒を見なければならなくなります。皆さんが村でのそうした必要を満たすことに取り組むのであれば、私はバーラタ文化の本質と実践を広めに出かけて行くでしょう。
私は、バーラタ人の生き方を復興し、再建することを通じて、喜び(アーナンダ)を育てようと決意しています。これは失敗することなく為されます。バーラタ人のダルマは、他国に自信をもって提案することができるものです。絶望することも、自責の念に沈む必要もありません。勝利の日は近づいています。私たちは勝利の太鼓の音を聞くことができます。
神聖アートマの化身である皆さん、
皆さんには見ることができないかもしれませんが、私の目にははっきりと見えています。日が経つにつれ、今はスワミの真実に気づくことができないでいる人も、悔恨の涙を浮かべて私のもとにやって来て、私を体験することになるでしょう。近いうちに、それは世界的なものとなるでしょう。スワミは今、その展開を抑えています。ひとたびそれが解除されれば、全世界はプラシャーンティ・ニラヤム〔平安の館〕へと変容します。ですから、自分の目の前に置かれた理想を日常生活の中で実践することを決意したあなた方全員、前に進み出なさい。何年か後、今あなた方が得ているチャンスを得られなくなる時がやって来ます。こんなにも〔スワミの〕近くにいられる機会は持てなくなるでしょう。何百万という人がこの場所に押し寄せ、ここに集うようになるでしょう。近いうちにそうなります。ですから、奉仕活動を通じてスワミの慈悲と愛を獲得し、自分の人生を意味のあるものとしなさい。
サイ・ムーブメントはさらに意気揚々と前進する
ダイヤモンドは多面体にカットされ、カット数が多くなればなるほど、輝きの美しさは増し、値段はつり上がります。オーガニゼーションの発展、オーガニゼーションが体現し展開しているサイの原則に耐えることができない人は、非難や中傷をしたり、あざ笑ったり、妨害したりするかもしれません。しかし、このムーブメントが弱まることはありません。障害が大きくなればなるほど、さらに意気揚々と前進するでしょう。そうした障害は、拡大と輝きを助長させ、役立つことになるのみです。憎しみはアスーヤ〔妬みや悪意〕という邪悪な性質から生じますが、このムーブメントはアナスーヤ〔妬みや悪意がないこと〕を基盤としています。ですから、障害に注意を払っていてはなりません。定められた理想と義務を守り、オーガニゼーションと、オーガニゼーションのプログラムに専心しなさい。
この場所に来て、この機会に乗じたのですから、あなた方が見たこと、聞いたことを大切にハートに留めて、何としてでもそれらを実践しようと心に決めなさい。決意と実践は同時に為されなければなりません。基本計画を立て、他の人たちと協議の上、明日からプログラムを実行しはじめなさい。それはすべての国で実施されなければなりません。アーンドラ・プラデーシュ州だけがサイのものだなどと考えてはなりません。すべてはサイのものです。すべては一つです。私たちはあらゆる方法を使って、このカリユガ〔末世〕の時代に、この真理を認識して打ち立てようと努めなければなりません。これが、今日、私が皆さんに伝えているメッセージです。私はあなた方の望みをすべて叶えています。ですから、あなた方は私のこの一つの望みを叶えなければなりませんよ。
あなた方が、長生きと健康、喜びと平安と繁栄を得て、自分の体、心、知性、霊的な力、そして技能を、国家と全人類への奉仕に捧げることができるよう、私は皆さんを祝福します。
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.15 C55