サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

良心のささやきが聞こえますか

2013-12-16 00:00:33 | 日記
http://bccks.jp/bcck/121362/info
Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
http://bccks.jp/store/114521
ポニョ:もうすぐ梅雨明けやな。おいらは毎年梅雨明けが待ち遠しんや。

ヨシオ:梅雨ってうっとうしいもんな。

ポニョ:それだけやないんや。梅雨明けの一週間ほどは日本海の波がまだ穏やかで、カヌーを漕ぎながらの洞窟巡りがええで。



鳥取砂丘の近くから余部まで五日ぐらいかけてゆっくり漕いで行くねんけど、途中いろんな洞窟があるから中に入って行くねん。洞窟探検や。

ヨシオ:それって中は真っ暗なんと違うんか?

ポニョ:もちろん懐中電灯持って行くで。
それで、ある洞窟なんかは外から見たら高さ三メートルから八メートルぐらいの大きな洞窟が三つあるけれど、一つ目と三つ目の洞窟が中でつながっていて、細い水路みたいなとこを抜けると、上から滝のように綺麗な水が落ちてきて身体も洗えるんや。
地面が割れているから下から見ると隙間の間から細い空が見えるんや。
そこから太陽の光が漏れて来るから洞窟の中は充分明るいんやで。

ヨシオ:そういや、アシュラムの近くの岩山のてっぺんに願望成就の木があるやろ。そのすぐ横に岩の割れ目があってその中に降りて行くと洞窟に続いてるんや。
その中には小さい机があってインク壺やバガバッドギーターなどがその上に置いてあるんや。サイババさんは若い時、ブラミンの家に出入りしたり、そこで料理をしたりした為にヒンドゥー教のタブーを犯したということで、村人からひどい目に合わされた時にこの洞窟で半年間一人で過ごされたんやで。
それに、そこは虎のような猛獣が住んでいたんやけど、サイババさんは虎と一緒におられたんや。

ポニョ:ところでその洞窟は今でもあるんやろうか?行ってみたいな。

ヨシオ:そこは聖者のような人でないと入り口も見つけることは出来ないと言われたんや。
今ではその岩のギャップをまたぐ時に危ないので石などを入れて埋めてしまってるから残念ながらもう上から見えないな。でも洞窟自体は残ってるはずや。
将来また掘り起こされてサイババ記念洞窟みたいにして公開されるかもしれないけどな。その洞窟は、天井の隙間から光が差し込んで来るから中は昼間でも明るいんや。

ポニョ:それって、今おいらが紹介した洞窟と一緒やな。
おいらが行った洞窟は、天井まで結構高いし洞窟特有の圧迫感なんて全然ない。
地面から落ちて来た水に射し込んだ光が反射してキラキラ輝いてるねん。
教会の礼拝堂みたいなすごい綺麗なところやで。
またその近くにある別の洞窟は、満潮時には頭を打つぐらい低くて細く、奥行きは五十メートル程もあってクネクネ曲がってるけど、周りの岩肌を手で押しながら進むとコウモリの巣だらけで、何百匹というコウモリが細い洞窟の奥から飛び出して来るんや。


めちゃうるさいで。臭いし。あいつら絶対風呂入ってないと思うわ。

ヨシオ:当たり前やないの。でもめちゃ面白そうやな。

ポニョ:そんな面白い洞窟まだまだあるで。
海外にもマレーシアのイポーというところにサイババタンバン洞窟というのがあってそこの洞窟を入って行くとサイババさんの祭壇が有ってみんなでバジャンや礼拝をするからとても波動がええとこやで。

ヨシオ:俺がインドに行く途中にクアラルンプールに乗り継ぎ便の都合で時間があったので半日観光したけど、ガネーシャ神の兄弟スップラマンニャン又の名をムルガンを祀ってあるバツー洞窟寺院がものすごく大きくて感動したな。
地下の洞窟に神さんが祀ってあって、なんや規模が小さいなと思っていたら、そこから長い階段を登って岩山のてっぺんに行くと、また大きな岩の割れ目があってその中に入ると奥の方に祭壇があった。
ポニョ:ムルガン寺院と言えば本場、南インドにあるムルガン洞窟寺院が一番やぜよ。

ヨシオ:でも、インドの寺院はヒンドゥ教徒でないと入れないところがたくさんあるよな。星やんは身体にブラミンのように聖なる糸をつけてあっちこっちの寺院巡りをしてたな。

ポニョ:そういや、どっかの寺院でヒンドゥ教徒になるための儀式もやってもらってたで。日本人でそこまでしてヒンドゥの文化にのめり込んでいる奴も少ないよな。

ヨシオ:また、二十五年ほど前に出版された本に紹介されてあるヒマラヤのバドリナートの近くにあるガネーシャ神が祀ってあるPatal Bhuvaneswar洞窟の話がすごいよな。

ポニョ:そうやった。アシュラムに来た人たちが帰りにヒマラヤのPatal Bhuvaneswar洞窟に立ち寄ってから自分の国に帰るのが定番みたいになってたよな。知り合いが行くから一緒に行こうって誘われたけど断ったんや。
ガネーシャ神の形をした鍾乳石がある。
実際、洞窟の中に入ってみるととても細いクネクネした鍾乳洞の洞窟でとても凄いバイブレーションを感じることが出来るって言ってたな。
後で写真をみせてもらったけど。
凄いとこやったぜよ。

ヨシオ:でも、今では名が売れすぎて観光地みたいになっているらしいで。
でもインドって奥深い国やな。すごい人があっちこっちにいてるもんな。
以前ヒマラヤの洞窟で修行してるヨギ達がシヴァ神が地上に降臨したというメッセージを受けて南インドまでシヴァ神を探しに来てサイババさんを見つけたって話をしたけど、それと同じように十人ほどのヨギのグループがヒマラヤの洞窟から抜け出てサイババさんのアシュラムに来たことがある。
ババは毎日食べ物がないので大変やろ、と言われて食べ物が無限に出る壺を物質化されてそのヨギのグループにプレゼントされたんや。
そして、このグループの中に一人弱い奴がおるな。それからもう一人はすぐに死ぬ事になっておるけど助けてあげよう。と言われたんや。
アシュラムからの帰り道ヨギたちは湖のほとりで瞑想を始めたんやけどとても長かったので一人だけ脱落してグループから抜けたんや。
というのも一人だけ弱い奴がいるって言われた時それは自分だと知っていたんや。
その時にババが物質化された壺を癇癪を起こして湖に放り込んだ。
しばらくして一人ひとり瞑想から覚めてみると一人のヨギが消えていて壺も無くなっているのに気付いたんや。
それで、一人のヨギが心眼を使ってツボを探したところ湖の底に沈んでいるのを見つけたので潜って取りに行ったんやけど、とても深くて取り戻して岸に浮かんだ時にはもう仮死状態やったんやけど、暫くして生き返ったんや。

ポニョ:神様って何でも知ってはるな。
そのヨギが湖に潜って仮死状態になるのまで見抜いておられたんやな。それに洞窟など、本当におもしろいものをこの世界に創造してはるな。
この写真はアマルナート洞窟。下に蟻のように見えているのが巡礼者です。


ディズニーランドよりもっと面白いもんがあるのに、なんであんな高い金出して、人工的な乗りもん乗って、お土産いっぱい買わされる。おいらには分からんわ。

ヨシオ:お土産は、自分で買うもんや。強制じゃないやないか。

ポニョ:でも、これ買え。あれ買え。の世界やろ。金をいかに使わせるかが勝負やからな。
みんな家の中で小さいネズミ見ただけでギャーギャー言うて逃げまくるのに、あんな化けもんみたいな巨大ネズミが、踊ったり抱きついたりするのんが平気って、不思議やと思えへんか。



ヨシオ:そう言われれば、そうかな。でもぬいぐるみやし、怖くないで。それってめちゃポニョらしい発想や。

ポニョ:前にも言ったけど、ネズミーも奴らの手先やねんで。あいつら絶対に、家族愛とか描いたアニメ作れへんやろ。
家族愛とか神を愛するとか、そんなんは、あいつらの信じてる事と正反対やねん。
あいつらは、神を認めへん。悪魔崇拝者やからな。

ヨシオ:何や。その悪魔崇拝者って。昔、水木しげるの悪魔くんっていう漫画あったけど、その漫画のファンか?

ポニョ:あのな、漫画のファンやったら誰も苦労せんわ。
奴らは、自分らは、悪い事して地獄に行っても地獄を支配する悪魔ルシファーを崇拝してるから、罰せられへん。と勝手に思い込んどるんじゃ。

ヨシオ:メチャ自己中やないか。

ポニョ:奴らは本当は元々欧州貴族で小児性愛傲慢同性愛偏愛悪魔崇拝遺伝子組換門産都毒撒人口削減毒混人工甘味料毒混枠珍通貨勝手発行戦争大好武器商人気狂麻薬密売殺人地下秘密基地嘘付自己中愚弄把瑠襟都死愛映画操ってる偽湯田屋のグループやからな。

ヨシオ:それって、メチャややこしそうなグループやな。
あのところで、このブログいつの間に中国語のブログになったんや。ようそんだけ漢字並べられたな。

ポニョ:彼らは悪魔崇拝者やから死んだら閻魔さんの弟子になれると信じ込んでいるんや。名前は違うけれどルシファーという悪魔やねんけどな。インドやったらヤマ(死の神)や。でも本当は一番怖いのは、自分のりょうしんやねんで。
それを、閻魔さんって言うてるんや。

ヨシオ:自分の両親が閻魔さん?うちの両親は優しかったで。考えられへんわ。

人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。

人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。

子どもたちに良心の声があることを意識させなさい。
20/12/65

ポニョ:そうや無い!良心や。呆け方ひどいで。あんた。生きてる時に、人は自分の良心の声を無視して悪い事をたくさんする。でも本当の自分は、「あかんで。そんなんしたらあかん。やめときや。」って言うてるねん。

しかし、心が欲望や復讐心、性欲、貪欲、傲慢、高慢、プライドなどで汚れているから耳を傾けることが出来ないんや。

ヨシオ:また、いっぱい出て来たな。それやったら俺にも言えるで、嫉妬に、失望、それと執着、妬みに憎しみ、ネズミーランド。

ポニョ:何やねん最後のネズミーランドって。

ヨシオ:だって、あんたさっき、ネズミーランドは奴らがコントロールしてるやからあかんて言うたやろ。

ポニョ:おいらはあんたとおったら、何を話してるか分かれへんようになって来たわ。そや、思い出した。
自分の良心があかんって言うてるんや。でも死んだら人は魂となって身体から離れる。
それらの悪い性格は、肉体に関係していることやから、身体が滅んだと同時に何処かに行ってしまい今まで本当の自分自身が自分ににささやいてきた良心の声が、コンサートのボーズのスピーカーの横に立っているみたいによく聞こえるようになるんや。

ヨシオ:それってちょっとうるさすぎるのと違うか。

物質、生命力そして良心を一つと見なしなさい。

常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。

良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。
SS21/1/93


ポニョ:その時になって初めて人は、今までささやいて来た良心の声は、実は自分自身の声やったという事に気付くんや。それって、めちゃ怖いと思えへんか。

ヨシオ:怖い怖い。絶対怖い。

ポニョ:その時人はものすごく後悔するんや。だって自分が自分の良心の声に従わなかったおかげで、人や社会や国に迷惑をかけたということを実感認識するんや。
しかも霊になったら、迷惑をかけてしまった相手の想念が手に取るように分かるから、その時に傷つけた相手の苦しみや、悔しい思いまで遡って分かるんやで。



だからもう一度地上に戻って来て、今度はお天道様を見て生きて行こう。迷惑掛けた人には次の生で借りをお返ししよう。悪うございました。
あっしの為に、こんだけ迷惑をかけやした。どうやってこの罪を償うたら良いか分かりませぬが、もう一度でも、二度でもいや、千回生まれ変わっても償わさせて頂きやす。
と言って、ものすごく後悔するんや。



ヨシオ:なんで、突然時代劇みたいなしゃべり方するねん。おもろいなポニョは。

ポニョ:それでも、カルマを支払い足りない時は、自分が精神的肉体的に辛い目にあっても、人から蔑まれ続ける人生であっても、その生の最後の一瞬まで耐え抜いてカルマを支払うんや。
このように誰でも自分で自分の次の生を決めてから生まれ変わって来るんや。だから地獄で罰を与えるのは自分自身なんや。後悔して後悔して、泣き叫ぶ場所が地獄や。

真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。SS3/96p, 70

良心のささやきが、聞こえますか~

御仏の心の痛み分かりますか~

物質文明花ざかり

カリユガの悪のその中で

真理の叡智に触れるため

私は、御仏求めます

ナミアミダブツ唱えます

(Sainatha Bhagavan Sainatha Bhagavan のメロディで)


自分のカルマによって、次の生の人生や身体が五体満足かとか裕福かとかまたは、良い配偶者を得られるかとか、子供はどんな子が出来て、その子は良い子かどうか、長生きするか早死にするかはさっきも言ったように、全部もう生まれる前に決められてるんや。
この世においら達が生まれて変わってくる前に決められているんや。



ポニョ:だからこの世を幸せに生きるコツは、どんな事、たとえそれが受け入れられないぐらい苦しいことであっても、なるべくしてなってるという確信を持って受け入れて生きる事やぜよ。
それと新しいカルマを作らない様に、人からされた悪い事はすぐ忘れる。そして人にしてあげた良い事もすぐ忘れる。
逆に人から良い事をしてもらったらいつまでも感謝の気持ちを忘れない。自分が間違ったことをして人を傷つけたら、もう二度と同じ間違いを防ぐために忘れない。
という、二つの忘れると忘れないを人生の伴侶として生きて行けば、おいらのような素晴らしい人生を歩めるんや。



ヨシオ:ポニョさんちょっと質問。

ポニョ:はい、どうぞ。

ヨシオ:ポニョの人生がそれ程素晴らしいんやったら、誰も今ポニョが言った事を守って生きて行かないと思いますが…。

ポニョ:あのね君。おいらと友達でいときたかったら、もうちょっと遠慮して喋ってくれますか。

ヨシオ:怒っちゃたの。それやったら、今ポニョが言った事に、人から言われた悪い事はすぐ忘れるも付け足さなあかんやろな。

ポニョ:あのね…。(汗)

各人は神聖なエネルギーを与えられています。

それを正しい目的の為に用いなさい。

良心の命ずるままにしたがって、力を正しく用いねばなりません。

良心が満足する時、エネルギーは神聖化されます。

今日人々は神聖なエネルギーを利己的な目的の為に誤って用いています。
18/12/95



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