サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

愛の物語シリーズ7️⃣愛のしばきは痛いなの巻

2015-10-03 00:00:54 | 日記
アートマの悦びに満たされたいと願うなら、自分の欲望を戒めなければなりません。
どんな思いが浮かんだときも、その思いがどんな性質のものかを考えてみてください。
自分の胸に聞いてみるのです。
「この気持ちは、私の成長にとって望ましいか、害になるか、どちらだろう。」
神を信じる者にとってまず特に気をつけるべきは、自分の思いによこしまなものが無いかどうかです。
何の思いも無くすことなど、普通の人には無理でしょう。
ただせめて、悪い思いが浮かんだときに、何らかの手があるはずです。
悪い思いにとらわれてはいけません。
それを忘れなさい。
どんな思いも、すぐ良い思いに切り替えるのです。
それから、いつも良いことだけをするように心がけなさい。
そしてどんな場合もその仕事を神に捧げ、自分の務めを神様へのお勤めとしていくのです。
すべての思いを尊い思いに変え、すべての務めを神様へのお勤めとする事によって、神への道を自然に進んでいけることでしょう。
そうやって思いを正しいものにしていけば、怒りが生じても抑えることが出来るでしょう。SGc9

ポニョ:今日は二つほどババの愛の満ちたエピソードを紹介しますね。そのうちの一つは、おいらが一番気に入ってる、しばきの愛エピソードです。

ヨシオ:しばきの愛エピソードって、俺にピッタリやないか。昔、しばきまくってたからな。こちらに来てからも、バスケのトレーニングで自分の息子がヘラヘラと気合が入らないトレーニングをしていたので、一発しばいたら、一緒にトレーニングしてた子供達が泣きべそをかいて親に言いつけたんや。それで親たちが俺に、こちらでは日本と違って子供をしばいたら刑務所送りですからやめて下さい。と言って来たんで、俺の出身校は体罰で有名な桜ノ宮高校や。と言ったけど、そのオチは通じなかったな。

ポニョ:どこが桜ノ宮高校やねん。あんたが行ってた高校と違うやないか。家が近かっただけやないか。それに、桜ノ宮高校の体罰事件は、オーストラリアまで名前が通ってないやろ。でも、体罰はやめましょうね。非暴力の教えを守りましょう。

ヨシオ:ババの教えに触れるまでは、何でもありの世界に住んでたからな。と言う事で、自らの教えを破って体罰をされた、ババのエピソードを紹介しましょう。

ポニョ:その前に、サイの学生を諭されたお話をしようって言ってたやろ。

ヨシオ:そうやったな。インタビュールームで、ある年配のサイの帰依者に、サイババさんが「あなたの家に、この前、あなたが一人でいるときに訪ねたでしょう。」と言ったら、その帰依者の人は、「突然、あなたが家に現れたので恐ろしかったです。」と言ったんや。

それを聞いていたその学生は、心の中で神さんが自分の家に身体を物質化させてわざわざ来てくれたのに、怖かったですやて。ちょっとおかしいのんと違うか。この人ほんまに帰依者なんやろか。ほんまの帰依者やったらサイババさんと二人っきりになったら、怖いんではなくて喜ばないかんのに。と思ってたんや。

しばらく経ってから、その学生はプーナチャンドラホールの舞台にいて,いつものようにサイババさんが緞帳の閉まっているところを抜けて会場に行かれるのを手伝ってたんや。

というのも、二つの緞帳が舞台の真ん中で重なり合っていて、その二重になっている二三メーターぐらいの間を抜けて行くので、二人の学生が緞帳を手で広げてサイババさんが重なっている部分を歩きやすくするんや。

その日、サイババさんはいつものように緞帳を手で開けるように学生に合図されたんや。でも今回は一人だけで良いと言われて、その学生を指名されたんや。

それでその学生は一人で緞帳を手で広げながらサイババさんと二人で二三メーターぐらいのカーテンが重なっているところにサイババさんと二人でゆっくりと通り抜けてたんや。

重なっている部分のちょうど中間ぐらいにいた時、周りはカーテンだらけで真っ暗で何も見えなくなったんや。そこでサイババさんは止まれと言われたんや。そして何も言われずにじっとされてたんや。

サイババさんと真っ暗なカーテンに囲まれ何も見えないスペースに二人っきり。沈黙と暗闇。
サイババさんは、その学生に今どんなフィーリングや。と聞かれたんや。

学生は、何も見えないので少し怖いです。と言ったんや。
サイババさんは、こうして神である私と二人っきりでも怖いのか。あの時の帰依者と同じ事を言うんだな。と言われたんや。

その言葉を聞いて、自分があの時、あの例の帰依者を心の中で批判したことをサイババさんが読み取って、こういうレッスンを自分にされたと分かったんや。

ポニョ:なんと奥深い。そんな人の一瞬の心の動きまで読まれて、何日も後になってそれを正される。愛の化身ってほんまやな。カスツーリさんの本にも面白い話が書いてあったな。そのエピソードに登場する御主人は本当に怒りがコントロール出来ない人やったな。

ヨシオ:怒りがコントロール出来ない人は、食事に問題がある場合が多いな。特に、カレーのような料理はトンガラシをたくさん含んでいるので、そういう辛い料理を摂ると、どうしても怒りがコントロール出来なくなるな。

怒りが生じそれを抑えようとする場合にどうすれば良いのか沢山の人が悩んでいます。
怒りを抑える優しい方法があります。
自分の中に怒りが生じたことに気づいたなら大きな声で笑います。
また浴室に行って冷たいシャワーを浴びます。
水を一杯飲んで、涼しいところでくつろぐのもいいでしょう。
怒りが生じたらすぐにその場所を離れ他の場所に移るというのはすぐれた効果があります。
これらの方法をみんなやってみて、それでも怒りを抑えることが出来なかったら、鏡の前に行って自分の顔をよく見てご覧なさい。
自分の怒った顔を見れば、きっとうんざりしてすぐに怒りを抑えることが出来るはずです。
こんなふうに、怒りに対して打つ手は色々あるのです。
もう一つ、怒りが生じたときに出来ることが一つあります。
それは、どうして怒ったのか、その原因を振り返ってみるのです。
果たして自分の怒りは正当化できるのでしょうか。
自分が怒って誰かを傷つければそれは罪を犯すことになるし、自分のためにもなりません。
こうした方法は、どれも普通の人には難しいかもしれません。ただ、怒ったときに口汚い言葉で人を罵ることをしなければ、まずはよしとして下さい。
少し時間をかけてよく考えてご覧なさい。
怒りはいろいろなやり方で修行を志す人を弱くしてしまいます。
怒ったときにその怒りを抑える努力をすれば、身体も丈夫になるし心も清められるでしょう。SGc9

奥さんがサイの帰依者やけれど旦那さんは違うんや。旦那さんは奥さんが家の金を使い込んでるって思い込んで、嫁さんに暴力を振るうんや。

それで、奥さんは私は清廉潔白です。そんな事をしていません。もしあなたが言うように私が金を使い込んでいるんでしたら、私のグルであるサイババさんがご存知です。

二人でサイババさんのところに行き、私が金を使い込んだかどうかをサイババさんに聞きに行きましょう。と言ったんや。旦那はそれに同意して一緒にプッタパルティまで着いて行ったんや。

二人はインタビューに呼ばれ、そこでサイババさんはあんたの奥さんは、あのラーマの奥さんのシータのように清廉潔白で、あなたの金には、びた一文手をつけていないよ。と言われたんや。

でもその旦那は、奥さんが使い込んでると思い込んでいたんで、その言葉を受け入れることが出来なかったんや。それでそんな事あるか!こいつが盗んだのに決まってるやろ。と言ってインタビュールームのドアをバタンと閉めて表に飛び出して行ったんや。

そして、一人で夜行の汽車に乗って帰って行った。

そしてその後、その旦那が乗った汽車の車掌が、突然通路を顔を押さえたまま大きい声で泣きながら走って来る乗客を見つけたんや。

何か事故だと思い急いでその乗客に元に行くと、その男の顔が腫れあがってるんや。それにとても興奮して泣いていたんや。

少し男が落ち着いてから話を聞くと、その男はサイババさんが自分の寝ているコンパートメントに突然入って来て男をたたき起こし、大きい声で男の頬を思いっきり何発も叩きながら怒鳴りつけたんや。

お前は、あんたの奥さんが金を盗んだとまだ思ってる。私は奥さんが無実や。そんなんしてない。と言っているのにお前は信じようとしてない。もう一度言う。あんたの奥さんはシータのように立派な奥さんや。清廉潔白や。分かったか。

それとな。もう一つお前に言っておくことがある。お前が自分の嫁はんやと思ってこんな風に好き勝手に嫁をいつもしばいとるけどな、あんたの嫁さんはわしの可愛い娘なんや。わしの娘を二度とこんなふうにしばき倒すな。分かったか!


実は、この車掌はカスツーリの教え子やったんや。それで車掌が非番の時にカスツーリとバス停で会った時に、この話をしたんや。

その後旦那は借りてきた猫みたいに大人しくなって、暴力も振るわなくなったんやて。

私は賞賛も嘲笑も、尊敬も軽蔑も、怒りも幸福も、超越しています。私には、徹頭徹尾、一つの属性があるのみです。それは私の愛です。
私は私を憎む者をも愛します。私は私に対する悪い宣伝に耽る人さえ愛します。私は誰のことも敵とは見なしません。すべての人は私のものです。
私は母親のように、皆さん全員に気を配っています。私の愛は一人の母の愛ではありません。私の愛は千人の母の愛です。サイの愛は千人の母の愛です。
ひとえにその愛ゆえに、私は皆さんのあらゆる過ちを顧みず、前を見て歩んでいるのです。
誰かが過ちを犯したときはいつも、私は本人を呼び、声を高めてその人を正します。ですが、私はその人に怒りを示すことはしません。私は誰に対しても怒りはありません。実際、私には怒りという感情はまったくありません。23/11/08

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