サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

こんな事で負けるもんか!

2017-12-08 16:00:04 | 日記
今、すべての人が関心を持つべき最も重要なことは、自分の心の中の「ネガティブ」な思考をどのようにして取り除くかということです。1998-2-25

ポニョ:今日は少し、中東情勢の話をしてから、ポジティブな心温まる話をしようかな。
先ず中東情勢やけれど、シリアのイラクと国境を接している地域をシリア軍が完全にイスラエルやサウジアラビア、アメリカが支援している傭兵組織から取り戻したんや。
という事は、イランから、イラクを通ってシリアに抜ける道が開通したんや。
これは、アメリカやサウジアラビア、イスラエルが一番恐れていた事なんや。と言うのも、この道が開通すると、イランから直接支援物資がシリアで戦っているヒスボラなどに送り届けることが出来るので、イスラエルのネタニヤフは、早速、緊急閣僚会議を開いて、今のうちにイランを攻撃しないと大変な事になると発言したんや。
丸禿げ丼のキナ臭い匂いがどんどん強くなって来ているぜよ。

ヨシオ:ハルマゲドンと言ってくれるか?ポニョは物知りやな。サイババさんは、丸禿げ丼は起こらないと言っておられるので、心配御無用や。ところで、ポジティブな話題って何なんや?

ポニョ:あんたも丸禿げ丼って言ってるやないの。アルジャジーラというカタールをベースに置く、あちら側の人であるアルゴアが、以前株を買って大株主になっているニュースサイトがあるんや。今でも大株主かどうか知らないけれど。
そのアルジャジーラは、毎日、詳しく中東情勢を報道していているけれど、ニュースだけではなく、優秀なドキュメンタリーも放映しているんや。
その中の一つにDefying my disabilty(障害に負けないぞ)というドキュメンタリーを最近見たけれど、とても良かったので少し紹介したいなと思うんや。
このドキュメンタリーはQuds Art Filmsという下請け会社が制作したドキュメンタリー映画で、パレスチナでの人々の生活をフィルムに収めている小さな会社なんや。
このフィルムを紹介する前に、パレスチナについて基本的な話をすると、パレスチナって二箇所あって、海に面した小さなガザ地区と、内陸のヨルダン川西岸にある地区があるんや。イスラエルが侵略して来る前は、もちろん今のイスラエルも含めた一つの大きな国やったんや。
その両地区を行き来する為には、今ではイスラエルの許可が必要で、一般人にはなかなか許可が出ないんや。だから、ヨルダン川西岸地区に住んでいるパレスチナ人は、生まれて一回も海を見た事が無い人が少なくないんやで。
ヨルダン川西岸地区の一部にエルサレムがあるんやけれど、パレスチナ人がそこに行くにもイスラエルの許可が必要で、一般の人には特別な理由が無いとなかなか許可が下りないんや。
パレスチナの人たちは、そこは全て元々自分たちの国土やったのに、イスラエルから酷い仕打ちを受けて生活しているんやで。
話が飛んで悪いけれど、エルサレムに住んでいる画家志望の中校生が、家の近くからよく見えるイスラム教徒の聖地である、この世のものと思えないほど綺麗な、黄金色のドームの屋根の「岩のモスク」を家の近くの道端でキャンパスに描いていたら、イスラエル兵が突然やって来て、「この絵は気に入らないな。見ていたら不愉快になる。」と勝手にイチャモンをつけて絵を投げ捨てた後、その中校生に銃を突きつけて警察に連行したんや。

ヨシオ:何やねんそれって。めちゃくちゃするな。

ポニョ:パレスチナの子ども達に人権なんて無いんや。いつでも理由無しにイスラエル兵がやって来て拘束出来るんや。
日本のマスコミも含めて西側のマスコミは、絶対にこういう事を報じないから、このブログで思いっきり写真を掲載するけれど、いつ見ても怒りの気持ちしか湧いて来ないぜよ。






パレスチナの子供達が理由もなく不法に警察や兵士に連行される事件は、日常茶飯事なんやで。









毎日のように、通学途中や帰宅途中の子供たちが何も悪い事をしていないのに、毎年七百人もの子供達がイスラエル兵士に捕まって警察に連行されるんや。








外で遊んでいる小さな子供が、イスラエル兵にいじめられるのも日常茶飯事やし。



中には殺された子供もいるんやで。もちろん誰も罪を問われないんや。




まるで不法地帯やぜよ。昔の沖縄と一緒や。今でも日米地位協定がある限り、日本も基本的にはパレスチナと変わらないんや。


女の子でも情け容赦無しや。





それでもパレスチナの子ども達は無謀な抑圧に負けずに頑張っているんや。



因みに、今、イスラエルがタンクを出して来て、ベツレヘムつまりイエスの産まれた街で、トランプのエルサレムへの首都移転認定に反対するデモを制圧しているけれど、そこはヨルダン川西岸地区なんや。
ヨルダン川西岸地区は農業地帯だけれど、イスラエルが農家を立ち退かせ、イスラエル人の新しい入植者に土地を確保する為に、パレスチナ人の農家の人達が精魂込めて育てた収穫間際の野菜や果物を収穫出来ないようにする為に、飛行機から毒薬を散布したりしてひどい嫌がらせをしょっちゅうするんや。さっきのパレスチナ人の子供への虐待も含めて、これらのイスラエルによる非人道的な行為は、決して西側のマスコミは伝えないんや。
後ろでイスラエルのロビーが糸を引いているから。ひどい世の中やろ。
イランのプレスTVはこういうニュースを伝えているから、イランの人たちはパレスチナの人たちの窮状をよく知っていて、昨日も、トランプの首都移転宣言に反対してデモをしているパレスチナの人たちに、イランの大統領が「近い将来、君たちをイスラエルの抑圧から自由にしてあげるよ」と、連帯を表明したんや。
そして、イスラエルは大きなコンクリートの高い塀を作って、ヨルダン川西岸のパレスチナ人たちを、その地区に閉じ込めようとしているんや。
アラファト議長の時に、ヨルダン川西岸の地区は、イスラエルから独立した地区と認められたけれど、それは名ばかりで、実際は三つのカテゴリーに分けられていて、そのうちの一つのカテゴリーの地区だけが、パレスチナ人の真の自治区で、他の二つはイスラエルが軍隊や警察を常駐させて人々をコントロールしているんや。
という事で、今日はポジティブに生きようというテーマだったのに、だんだんネガティヴな気分になって来ました。ごめんなさい。

ヨシオ:別に謝らなくてもええやないか。ポニョが悪い事をしているわけじゃないんやから。でも、上の写真のように子供をフェンスに引っ掛けてぶら下げるって酷いよな。俺も自分の子供に同じ事をして遊んだ事はあるけれどな。三人一緒にぶら下げたら、三人一緒に手足をバタつかせて喜ぶから、おもちゃみたいで面白いで。でも嫁さんに見つかってシャツが伸びると言って叱られたな。

ポニョ:当たり前やないの。自分の子供で遊ばないでくれますか。
パレスチナの話をしていると、イスラエルや支配層に対してだんだん腹が立って来るので本題に入って行きますが、今日ご紹介するのは、そのうちのガザ地区に住んでいるパレスチナ人の若者たちの話です。
https://m.youtube.com/watch?v=WfmA9s0LwHg
この動画は、一年前に公開されたのにも関わらず、まだ二万人弱の人しか見ていない動画やけれど、とても心が温まる動画だったぜよ。
内容は、パレスチナのガザで、イスラエルによる爆弾やミサイルで手足を失った若者や、他の理由で身障者になった子供や青年たちが、半分戦時下のような社会で希望を失わず、力強く生きている姿を描いたドキュメンタリーなんや。
特に、右手と右足を爆弾で吹き飛ばされたのにも関わらず、学校に自転車で通っている青年が、自転車をハンドルを離しても乗り続けている得意げな表情が良かったな。

その青年は、爆弾や銃弾で右手と右足を失って大量の出血をしながら、だんだん自分の意識が薄くなっている時にも、まだそこら中に銃弾が飛んで来ていて人々が逃げ惑うのを見ていたんや。
そして、その時に彼が思ったことは、「人って生まれれば必ずいつかは死ぬ。その死ぬ日にちは神様しかわからないけれど、死は必ず誰にでもやって来る。そして、一人の人間に、たった一回しか死はやって来ないんだ。
銃弾が雨あられのように降って来て人々は逃げまくっているけれど、彼らにも死は一回しかやって来ない。だったら逃げる必要なんてないんじゃないか?」と思いながら自分の身体から噴き出す血の海の中で、意識をだんだん失いながら逃げ惑う人々を見ていたんや。

ヨシオ:まだ若いのに死ぬ間際になっても、そこまで悟れるってすごいよな。

ポニョ:彼は死を全然恐れていないんや。でも彼は奇跡的に生き延びたんやで。まだ死んでおられないっちゅうに。おいらやったら、指が一本吹き飛んでも痛い痛いって叫びまくるやろな。

ヨシオ:指一本がちぎれた方が、却って痛みはキツイかもしれないで。俺は知らないけれど。

ポニョ:知らない事はないでしょう。あんたはヤクザな生活から堅気の生活に戻る為に、組を抜け出なくてはいけないから、小指の先を切り落とそうとしたと言ってたよな?
でも痛くて切り落とす事が出来ず、切るのを途中でやめたから、いまだに小指の先が、第二関節から曲がったままやなんて言って、おいらに曲がった小指を見せていたやないか。

ヨシオ:ハッハッハ。あれは冗談や。小指の先が曲がっているのは、バスケットの試合で脱臼したからや。

ポニョ:な〜んや。そうやったんや。今の今まで、その話を信じ切っていたぜよ。信じて損した。おいらはいつもすぐに騙されるから。

ところでそのドキュメンタリーには、六七人の身体障害者達が登場するんや。

ある小学生の女の子は、大きな鉄の車椅子が重た過ぎて、手が疲れるので学校に行けなくなってしまったんや。
その代わりお父さんと遊ぶのが大好きで、いつも笑顔を絶やさずニコニコして冗談ばっかり言っている娘さんなんや。
その娘さんは、「私はいつも前向きにポジティブに生きるようにしているので、笑って生活することが出来るのです」と言ってたな。彼女の大きな一つの希望は、学校に戻りたいという事だったので、ドキュメンタリー制作スタッフがわざわざ学校まで車椅子を押して連れて行ってくれたんや。
その時の彼女の笑顔が忘れられないくらい美しかったな。
教室に入るや否や、その少女はクラスの仲間全員に、満面の笑顔で、「みんな元気でやっていましたか?」と聞いたんや。

ヨシオ:普通は学校を休んでいた人に、「長い間、学校に来なかったけれど、具合はどうですか?元気ですか?」と聞かなければいけないのに逆やないか。

ポニョ:そうやろ。でもその少女はめちゃポジティブな性格で他人を思いやって、いつもニコニコしてるんや。でも先生が、その少女に「どうして学校に来なくなったの」と聞いた時に、その質問に答えなかったのが、ちょっと可哀想やったな。

ヨシオ:もうちょっとその少女の気持ちを汲んで質問すれば良いのにな。その少女は毎日学校に行きたくて仕方がないのに。

ポニョ:また、小学校一年生ぐらいの下半身に麻痺がある男の子は、毎日自分でリハビリをしているんや。
おかげで車椅子生活から解放されたけれど、まだ、一人で歩けないんや。でも毎日大変な努力をしてリハビリをしていたな。
自分でイメージをしながらリハビリをするんや。例えば、「今日はこれからおじさんの家に遊びに行きます。
制限時間は一時間です。」と自分で課題を課して、壁を伝い、自分を励ましながら一歩一歩歩みを進めるんや。その時に、「残り時間はあと四十二分です。

あゝ、靴が溝に挟まれて取れなくなりました。でも頑張るんだ。もう少しだ。やっと靴が取れたけれど、足がとても疲れています。そうだ!手の力を使って進めば良いじゃないか。そこの壁を伝って立ち上がれ、頑張るんだ。でも、もう時間が無い。今回は制限時間内に着けないのか?諦めるなよ。頑張るんだ。もう少しだ。ほら、諦めなかったら着いたじゃないか。やった!ちょうど制限時間内に着けた。バンザーイ」と独り言を言いながら、自分でリハビリをしていたな。

まだ小学校一年生ぐらいの男の子やで。自分でリハビリをしたおかげで、少し歩けるようになり、自分が使っていた大事な車椅子は、お兄さんにプレゼントすると言ってたな。
その子供は、自分が一番大事にしている車椅子をプレゼントして、自分の事より他の人の事を思って生きていたんや。本当に涙が出たな。あの言葉を聞いた時は。

ヨシオ:小学校一年生と言えば七歳ぐらいやろ。その男の子は偉い大人になるやろな。

ポニョ:その男の子は、将来の夢は何かと聞かれた時に、「僕は医者になるんだ。」と目を輝かして答えていたな。

ヨシオ:自分のような境遇の子を将来、医者になって助けたいなと思って答えたんやったら、天使の生まれ変わりやろな。根性がありそうやから医者になれるやろな。

ポニョ:また別の青年は、両足が爆弾で吹き飛ばされて失ったけれど、家族には一切迷惑をかけたくないのです。自分のことは自分で全てするんだ、と言って、近くの叔父さんが経営する骨董品屋さんに働き始め、休み時間になると、少しお金を稼ぐ為に、通りの車のボンネットの上に上がって、車のフロントの窓ガラスを綺麗に拭き、小銭をもらう生活をしているんや。

その青年は、学生だったんだけれど、まだ勉強する意欲を捨てていないんや。骨董品屋さんで真面目に一生懸命働いたので、マネージャーになり、健常者を雇って自分が出来ない仕事を手伝ってもらっているんや。
その青年は、「自分は、自分の体がこのようになってしまった運命を恨んでなんかいませんよ。却って神さんに感謝しているくらいです。だって健常者の頃には気が付かなかった人々の親切心とかが分かるようになったし、全てが神の意志で起こるわけですから、自分はいつも幸せな気持ちでそれらを受け入れれば良いだけの話ですよね。
この世で、何も理由無しに起こるなんて事はないので、神様の意志を深く信じて、いつも神様を心に思って生きて行くようにしているんです。」と言ってたな。

ヨシオ:彼らはパレスチナ人で、イスラム教徒やろ。俺たちはイスラム教の教えなんてあまり知らないし、知ろうとしないけれど、今までポニョが紹介してくれた人々の話を聞くと、宗教って人々を正しい方向に導いて行くんやなと新ためて思うよな。

ポニョ:ドキュメンタリーに登場した全ての人々を紹介出来ないけれど、最後に紹介するのは、写真や美術を学んでいた画学生の話なんや。
その画学生は、叔父さんの家で、兄弟や両親、祖父母、甥っ子や姪っ子など、家族全員が集まって楽しく夕食の準備をしていたんや。そこに、突然イスラエル軍のヘリコプターが近くに飛んで来て、そのヘリコプターからミサイルが自分たちのマンションに撃ち込まれて、自分以外のほとんどの家族が死んでしまったんや。

その青年は、視界の片隅にミサイルが落ちて来るのを、まるでスローモーションの映画を見ているように見ていたんや。
それで家族に「逃げろ」と言おうとする間も無く、ミサイルが自分の真横で爆発して両足がぶっちぎれたんや。
記憶に残っているのはそこまでで、後は病院で、自分の家族がほとんど亡くなったという悲しい知らせを耳にするまで昏睡状態やったんや。
両足に義足を付け、リハビリも終わって、これから一体どのように生きていこうかなと考えていたんやけれど、いつもミサイルが爆発する瞬間が脳裏から離れず、トラウマになってしまってネガティヴな感情が自分を支配している事に気付いたんや。
それで、こんなネガティヴな感情のまま、これからの長い人生を歩んで行く事は良くないと自分に言い聞かせて、自分が生まれ育った美しいパレスチナのガザ地区を人々に紹介していこうと決め、写真家になって、出来るだけたくさんのパレスチナとそこに住んでいる人々の美しい笑顔を撮り続けて個展を開いたりしているんや。
でも、ある夜、月明かりが綺麗だったので、海岸で写真を撮っていたらイスラエルのガンシップが沖合いにやって来て、自分を強力なサーチライトで照らし出し、どこに逃げてもその強力なライトは自分を追いかけて照らし出すので、生きた心地がしなかったと言ってたな。とても怖くて一晩中恐怖で震えたと言っておられたな。

ヨシオ:ガンシップのサーチライトに照らし出されたら誰でも怖いよな。でも、彼らは身障者であるにも関わらず、希望を失わずにひどい環境の中を生き抜いているのが偉いよな。
俺も二週間ぐらい両足首や膝が痛風になり、歩けなくなったので車椅子生活を余儀なくされたけれど、俺の場合は、若い頃バスケットをして、その後ビールを飲み過ぎたから、そのカルマを今支払っているだけやけれど、パレスチナの人たちは、同じ車椅子でもミサイルや爆弾で足をぶっ飛ばされたんやろ。カルマの程度が全然違うよな。

ポニョ:そら、パレスチナの人たちの窮状と比べたら、あんたの贅沢病の痛風なんて、どこ吹く風のようで全然比べようがないぜよ。

ヨシオ:あのね、どこ吹く風って、痛風は風が当たっても飛び上がるくら痛いと言われているんやで。

ポニョ:そうなの。今度扇風機で試してみようかな。ところで彼らに共通しているのは、どんな酷い目にあっても前向きに生き、ポジティブだって事やけれど、それ以外に全ての人々が、パレスチナの国土とそこに住んでいる同胞たちを愛しているんや。
お上から無理やり植え付けられる愛国心って本物じゃないズラ。そういう愛国心は、戦争を始めようとする権力者が、他国を侵略する前に無理やり人々に植え付けられるんや。
そうではなく、本当の愛国心とは、一人ひとりのハートの奥に、この素晴らしい国土で生かしていただいているという、仏や神への感謝の気持ちと共に目覚めるものなんや。
パレスチナの人たちは、自分の事だけではなく、パレスチナに住んでいる全ての同胞を、自分の家族、兄弟姉妹と見做して愛し合い、助け合って生活しているんや。
それが感激したな。

ヨシオ:パレスチナの人たち、特にガザ地区に住んでいる人たちは、全てイスラエルから容赦のない屈辱を受けているから、団結力が強いんやろな。それにしてもみんな賢そうやな。誰もポニョみたいにボーッとしてないよな。
座禅会で、右に突然頭を傾けて頭を叩かれたり、中学一年生の時に、初めての英語の時間で教科書を読まされた時に、緊張して、Chaptor ONE を、チャプター オネって読んだんやろ。あれは笑っちゃったな。そんな芸当が出来るのはポニョぐらいやろな。

ポニョ:あの二つの件は、長い間トラウマになったぜよ。特に最初の座禅会で失敗した件は、大きな声で「いてててっ」と叫んだので、座禅会に参加していた全員から、白い目で見られたんや。

ヨシオ:当たり前やないか。ドジ男やな。

ポニョ:おいらは元々ドジで、それほど頭が切れる方じゃないから許してくれますか。それに今はマシになったけれど、昔は緊張すると、考え過ぎたりしてヘマをしてしまうんや。知ってる?世界中の民族で一番頭が切れて賢いのはどの民族か?つまり人口当たりの博士号を持っているのが一番多い民族は、一体どの民族か?

ヨシオ:多分ユダヤ人やろ?

ポニョ:残念でした。パレスチナ人でした。あれだけの大変な環境の中でも、みんなしっかりと勉強しているんやで。ガザ地区にも大学があるんや。

人生に何が起ころうとも、あなたは、「これは私にとって良いことなのだ。」と考えるべきです。
あなたに起こることすべては、結局あなた自身のためになると言うことを知るべきです。
これがポジティブな考え方です。
今、人はこれとは逆にネガティブな考えで頭がいっぱいです。
あなたの身体と心と知性と感覚は完全にネガティブですが、魂や良心、すなわちアートマはポジティブです。
神があなたの良心なのです。
どうしてあなたが、神を悟り、体験することが出来ないか知っていますか。
それはあなたのネガティブ思考と姿勢のせいです。
ですから、霊性の向上のためにはポジティブ思考と行動が必要不可欠なのです。
そうして初めて、平安と悦びに満ち、成功することが出来るのです。
私たちは、神聖な感情、神聖な考え、良い思いといった、あらゆるポジティブな思考で心を満たすべきです。1998-2-25




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