2009年06月22日 | 自分 -

「めぐり合わせ」と言うべきか、大げさに言うと「運命」なのか(?)。
「縁がない」というべきなのか、誰かが会わせなくさせているのか(笑)。

「会いましょう~」と約束して、その人のためにプレゼントを買って、
急な理由で会えなくなって・・・・また、約束して、また会えなくなって・・・
何度か、同じようなことを繰り返して・・・

部屋の片隅に、数年前に買った「プレゼント」が、うっすらほこりをかぶって、
「いつになったら日の目をみるのか」と“嘆いている”ように感じられた。

「次にあったときに・・・」そう思いながら、随分な年数が過ぎた。

20代からずっと多忙だった私には、こういうことは、よくあることだった。
次なる約束を取り付けない限り、(果てしなく)ご無沙汰してしまうものである。
そして、いつしか・・・より“会いづらくなってしまう”ものだ。




このところ、仕事に時間的な余裕ができてくると(意図的につくっている)、
「休みたい」「やっと休養がとれるぞ」と思っていた途端に、まるで・・・
私をいじめるかのように、「心を揺さぶられる出来事」が続いた。
また、休めない個人的事情が重なったり、出費が突然押し寄せてきたりと、
「心を揺さぶられる出来事」は、今も“続いている”ようだ(笑)。


あまりに精神的に「へこんだ」ので、カードで「一人占い」をしてみた。
なんと、私にもらえたキーワードは、「歓喜」だった。
遊びや気休めだとは判っていても、これにはビックリした。

「よろこび」・・・私は、神性(こころ)が「歓喜」に向かっているらしい。

「歓喜」といえば、ベートーベンの「歓喜の歌」。
我が実家近くの独捕虜収容所で、日本で初演されたことでも有名だが、
それがとっさに頭をよぎった。
いやぁ~全く「歓喜」とは・・・現実とは反対の言葉に、意表をつかれた。
しかし、大好きなベートーベンのメッセージも、受け取れたような気がする。

私の感想としては、単純だが“励まされた”。
そして、楽になった・・・。
結局「こんな辛いことや面倒なことは、そう長くは続かないものだよ」という
根拠なき自信が、自分自身の中に芽生えてきたからだ。

仕事先での自分の立場、仕事の質、他人とのコミュニケーションのあり方、
・・・いろいろと「心が乱れる」ことがあるのが、日常である。

「バランスがとれているということか!?」
「忙しい時期に、このようなたくさんの事態が重ならなくてよかった!」と
素直に受け容れて、そう考えるべきだろうか。
そんな“短絡的で、安易な発想”さえも忘れていたことに気づかされた。

思っているだけでは何もはじまらないし、実績の対象にもならない。
やはり、「気持ちを伝えること」と「行動で示すこと」が何より大切だと思う。
その「行動」こそが、私を「歓喜」へ導いていくポイントかもしれない。




会えない人たちにも、連絡をしてアポを取り付ける「行動」で、また再び、
「縁がつながる」こともある。
この「縁」が、単なる「めぐり合わせ」や、避けられない「運命」だとしても、
自分の“あきらめない行動”によって、「縁は結ばれる」のである。