会いたくない医師の開業

2015年03月08日 | 出来事 -

父が最期を迎えた病院で、裁判まで考えた副院長がいた。
内科医だったが、基本的な医療態度だけではなく、
モラルのない言葉を ( 横暴極まりなく ) 周囲の人や
患者や家族にあびせかけ、看護士からも評判が悪かった。
自分を大きな存在とでも勘違いしているような意識だった。
  ( 横浜にある某病院だった )

院長との再三の会談でも、 「 言ってもきかないからねぇ 」 と
諦めたような発言をもって、彼の姿勢を説明してくれた。



その医師が、開業医として、自分の医院をもった

余暇時間に、ネットサーフィンしていて、新しい医院の紹介で
ヒットしたのだ。

その医院の紹介コーナーでは、“ 誠心誠意対応する ” ことと、
患者さんにとって心地の良い医院です・・・と告知されていた。

正面には、あのモラルなき医師が、院長として大きく出ている。
見たこともないような満面の笑顔である。




彼は、あの頃とは、違う医療精神で、日々を過ごしているのだろうか。
私の中では、100%のうちで、半分は疑う気持ちが消せない。

医療という分野は、お金もうけには適した世界だけに、
また、知識のない患者さんを言いくるめることが可能な世界だけに、
本当に誠実な医療を心がけてほしい。

患者さんたちには、誠実な医師と巡り合ってほしい。
なぜなら、自分の命を預ける相手だからだ。



父の主治医が慰めてくれてくれたように、遅かれ早かれ、
「 その時 」 を迎えることは必然のできごとで・・・
わが父の状態は、末期症状だったから、そんなに大きな差異は
なかったかもしれない ・・・。( そう言って慰められた )

けれど、まだまだ、私と一緒に暮らせたはずだし・・・
父の立場からしたら、恋焦がれていた故郷に帰ることもできたし、
四国の姉弟達と旅行にも行ける可能性だってあったわけで、
何よりも 「 もっと生きることができた 」 のだから・・・
それを想像すると、 あの病院で 私が食らいついた数か月の日数が
克明に 思い出される。


    救急車で、たまたま運ばれた某病院は、
    父の死期を早めることになった。
    それは、確実に、彼らの対応が原因である。




人は、過去の細かいことは全て 「 なかったことにできる 」。
悪影響を及ぼす経歴などを切り捨てられるのが、過去だ。
過ぎ去って、変えられない事実など、伏せてしまえば問題ない。
そうして、彼のように、新しい環境で、新しい人生をスタートする
権利を、皆が有している。

願わくば、彼が・・・変わってくれていることを心から願う。


            
           

    ※ 私は、二度と、彼と会うことはないだろう。
     

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