自問自答

2009年10月19日 | 自分 -

私にとって、喜びとは何だろうか。

根源的な幸せとは、何を意味するのだろう。
自分が穏やかに心豊かに過ごすことだろうか。
それだけでは満たされず、周りの人にも想いを投げかけ続けながら、
あらゆるサイクルにネットワークしていくことだろうか。

私は、何を大切だと感じ、何を意図して、これから生きていくのだろう。

私の根幹を操作しているものがあるとしたら、それは一体どういうものなのか。

どのようなビジョンを描き、何をするのが、一番快適だと感じられるのだろう。




人は・・・・すべてを手に入れることはできい。
というよりも、「私は、すべてを手に入れることはできない」。
 (これは、どのような状況にも当てはまる現実である)
たとえば、あらゆる力及ばぬ何かに阻まれることも多い。
そんなときこそ、自分の真価が問われる。

仕事がらみやプライベート関係などの“他人とのかかわり”の中では、
どのような対処をしていくのか、相手との関係性や距離感などが、
あらゆる場面で、繰り返されることになる。
そうして、人間関係は構築されているのだが・・・・・
ポイントは、その「質」である。
結局は、“私の対応次第”ということだろう。
それには、相手へのケアも含まれ、自分の“感情処理能力”も含まれる。




人は・・・言葉にだした途端に、相手にも影響を与えることになるし、
その波紋は、大きな広がりを持つことにもなる。
だからこそ、これは非常に大きな意味を持つ行動であるはずなのに、
この重要な行動を、(現実には)日々何気なくやってしまっていることになる。
「果たして、それでよいのか」。
私としては、どのような意識で、行動していくことが、よりベターなのだろう。

すべては、自分の奥底に潜む「自我」や「自尊心」から発せられている何かが、
影響を与えているような感じがする。
私個人は、よりシンプルで、たよやかに生きていきたいのに・・・
まだまだその境地には達していない。



自分を呼んでいる何かが、聞こえる気がした。
自然の中に身を置いて、心のままに全てを手放してみると、必ず涙があふれる。
それが何か・・・わからずとも、感情がゆさぶられるのが確固たる証拠である。
しかし、実は・・・その理由に、私は気がついてしまっているのかもしれない。
それは、もしかしたら・・・
私が“今も愛してやまない人”の魂や理念・理想・願い・・・その人の全てが
自然の中に息づいているからなのだ。決して忘れることのできない事実があり、
それは、普遍的なものでもあり、この星のいたるところで繋がっていることだ。
そのことを認めたくないわけではないが・・・反射的に反応してしまう理由は、
そこにあるような気がするし、何らかの影響を与えているのかもしれない。
そして、それを完全に受け容れることによって、私はまた一歩前進することが
できるのではないだろうか・・・。
今回、「その事実を素直に認めることに、重要なカギがある」と感じたのは、
意味のあることだったと思っている。



私は・・・この数日間の“森の生活”で、多くの「問い」を持ち帰ってきた。
これらの問いは、私自身の非常に深い部分を突っつく問いばかりである。
今の私自身に、“大いなる自然”から与えられた問い!
これこそ、これからの私が、抱きしめていくべきものかもしれない。
今は、そんな気がしている。



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