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ペーパーレスにするために

2015年04月04日 | 仕事 -
たくさんの部署をつないだネットワーク。
PCで共有して、そのソフトの中では参照することが
できるし、総務課からの一斉送信も可能。
今や、このシステムは定番中の定番なのに・・・。
その目的たるは、時短共有ということの他に、
ペーパーレスというエコな目的もあるはずなのに、
またもや、今週に出会いましたョ!
全て印刷して、はんこをもらう古きシステム!


PCが苦手な人 が いるらしい・・・。

「 誰じゃ? 」

部署のトップ ( 責任者 ) がそうだと、指摘しづらい・・・。

世の中、まだまだ年功序列があって、年長者の上司を
尊重した やり方 が まかり通っている場所もあるのです。

印刷する手間と、紙の値段と、コピー機の値段。

こういうシーラカンスのような 「 やり方 」 が、
はたして何時まで通るのだろうか ・・・ と、
疑問に感じる ・・・ 今日この頃。


素朴な疑問を一つ

2015年02月06日 | 仕事 -
最近の独り言・・・。

経営者という立場であり、代表者という肩書がある人が、
頻繁に職場放棄をするということは・・・
少し問題ではないだろうか。

なぜか、消えている。

すごく疑問なんだけれど・・・
不在の理由がきちんと説明されていないことにも、
違和感を覚える。

打ち合わせや、会合など、スケジュールがあって
しかるべきであるとは思うのに・・・。

口頭で説明がある時があったりもするが、
ほとんどの場合は、理由が不明である。



世の中には、いろいろな会社があり、様々な経営者がいるけれど・・・
経営者であれば、何をしてもいいわけではなかろう。

説明責任は、どのような立場の人にもあることで、
それを果たさずして、役員報酬を手にすることはできない。


意志の疎通について

2014年11月30日 | 仕事 -

たとえどんなに長時間を費やして打合せをしても、
同じ感覚にはなりえない。
同じ意識をもつメンバーであっても・・・だ。


言葉を尽くしても、なかなか同じ考えには到達できない。
それが、集団の中の 「 個 」 という存在だ。

しかし、やはり “ ジレンマ ” がある。

その境界線を乗り越えてこそ、手を結べることになるのだろう。



無駄なことはないと思いつつ、若干の疲労を感じている私には、
余計な修飾語が続き、自分も相手も 疲れてしまう可能性がある。
こういう時こそ、余裕ある対応をしないければいけない。


また、ことを早急に終わらせようとして、違った意識が働き、
無用な発言をすることも・・・。    悪い癖だなぁ。
そのためにまた、無用な仕事を増やすことを、自らが導き、
人々に期待させてしまう結果になる。
荷を増やしたのは、まさに自分自身だった・・・。


今日、反省したことを、ここに記録しておくこととする。

生ぬるい意識と対峙して

2014年07月22日 | 仕事 -
公務員 という ひとくくりにするのは、非常に 申し訳ないと
思っているものの・・・今回は 許せないことに遭遇した。

公務員の方の 「 基本的 ( 初歩的 ) なミス 」 による事態だ。

過日、○○○区某出張所の次長から、謝罪の電話連絡をもらって、
私は 不手際の経緯と詳細について 確認作業して頂くよう要請した。



私が、納得いかないことは・・・
仕事に対する危機感のない姿勢  についてである。

謝罪中のご本人自ら、「 公務員だから、生ぬるい 」 と発言し、
私の怒りを伴った 「 理解できない気持ち 」 が噴出した。

仕事に対しての対価 をもらっている人であれば 誰でも、その義務を
怠ることなく 遂行するべきだ。
公務員であるかどうかなど、本来は関係ないのだけれど、
自らが それを 筆頭に 理由にあげるとは・・・ 。

 「 よく ご指摘をもらうので・・・ 」




日本の国民の税金で、安定した仕事を手にしている 公務員 だからこそ、
その自覚を持って、きちんと対応を怠らないでほしいと思う。

人間は 誰でもが ミスをする。
だから、何ら不可思議なことではないし、許せないことではない。

しかし、基本的な仕事に対する姿勢が 「 生ぬるい 」 というレベルから
スタートしていることに対しては、一個人としては許しがたい


立場にあぐらをかいている人や、 ( 自己完結して ) すぐ諦めてしまう人に対して、
私は 全く 共感しない。


そして、今回のように、その人から発せられる言葉の怖ろしさ・・・。
無防備に、自分の潜在意識から派生した理由は、日ごろの生活意識を連想させ、
私自身の感情を ゆさぶる。
ある意味では、自分が手にできないからこそ、羨ましさや嫉妬のような感情が
ふくまれているとも思う。
それを自覚したうえでも、やはり、職業として背負っているもの については
目をそらしてほしくはないものである。



公務員の人が全部、こんな意識で働いていたら・・・
この国の将来は、おそろしく不安だ。
そうでないことがわかっているからこそ、あえて言及する。
生ぬるい態度で仕事に向かうことに対しては、しっかりと意義を となえたい。



希望に満ちた “ 武者震い ”

2014年06月09日 | 仕事 -
新しいことにチェレンジすること は、
ある意味でリスクをも伴うことだと思う。

でも、やらないで(後になって)後悔するよりは、
一応「やってみっか!」というのが、私のスタイル。

それでも、明らかに、「 リスク~~! 」 という・・・
五感から受け取る何かがあったりもする(怖)。

いつになっても、 「 チャレンジ 」 というのは、
いろいろな側面をはらんでいるものだ。



自分の意志の固め方

2014年03月25日 | 仕事 -
ひとつの決断を下すとき・・・
自分の決めたことに、“ 100%納得しているか否か ” という観点も
(ある部分においては) 微妙に影響を与えるものだと 感じている。

私自身が、その 「 納得できる確信 」 を 得るためには、
充分すぎるぐらいのリサーチをして、検証を重ねていく過程で、
自分の意思を確立してくようにしている。


そのために、必要なことは、 “ 時間をかけて固めていく ” という作業だ。
私は、まず 「 調べる 」。
インターネットリサーチは、基本的な情報収集法の表層だ。
人に“ 生きた話 ” を聞かせてもらうし、多くの意見を吸収した上で、
徐々に 自分の意思を 周りから構築していく。

というのは、自分の決定 ( 結論 ) に、自分自身が疑問を感じていると、
自己の意思決定を信じきることができないから、相手を説得することなど不可能だ。
そして、最終的に、「 後悔しない 」 という現実を手にするためには、いくつかの
「 丁寧な過程が必要なのだ 」 。

こうして、自分が リーダーシップを とらなくてはならない時には、
相手や周囲に、そして 何よりも 自分に対して、「 恥ずかしくない状態を
維持し続けること 」 が大切だと思う。


「 相手の意見を聞くという姿勢 」 は、その次に必要なことになるわけで、
まずはスタートラインに立った時には、 「 自己への信頼 」 が 何よりも
重要なのだと・・・いつの時も、感じている。

絡まった糸をほどくこと

2014年02月25日 | 仕事 -
人と人との間に入って、「 こと 」 を おさめることの難しさ。

今日は、それを しみじみと感じた。


誰もが、自分の経験値を基にした解釈を常に繰り返して、相手に物事を
伝えていくものだけれど・・・
そこに気持ちが入りすぎると、対象者に対して威圧感を与える。

立場上の違いや、上下関係、関連団体などの “ 複雑な関係 ” があればこそ、
余計に複雑な様相を呈してくる。



私は、貧乏くじを引くことには 慣れている。
しかし、自分の存在価値を貶めてまで、貧乏くじは引かない。

穏便におさめられない場合は、代替え案を提案するのが私のスタイル!



それにしても・・・
人は、「やっぱり自分の立場を優先的に考えて判断して、動くものだ 」ーと
改めて思い知った一日が、今日だった。

私にとっては、決して無駄になった経験ではないが、
冷や汗をかいた一日ではあったと思う。



「 自己への信頼 」

2014年01月28日 | 仕事 -
バックボーンをもたない “ 孤立した自分 ” の過去を振り返ると・・・
根拠のない自信・・・いわゆる 「 どうにかなるさ的思考 」 が、
低迷期の自分を 救ってきたことが 思い出される。


    

変化の激しい時代だと言われて 久しい。
実際、たった数年で 生活を取り巻く環境や、情報ツール形態が完全に変わり、
グローバル化、人口構造の変化など、世界規模で起こる様々な事件や変化にも、
私たちの “ 日常の仕事 ” が 影響を受ける時代だ。

多くの企業からは、「 若者が育たない 」 「 ミドルの成長が停滞している 」
「 シニア世代のキャリアが描きにくい 」 という声が、後を絶たない。
これらの現象は、昔も今もあったけれど、特に 最近は 多くなってきたと思う。





          

危なげなものに、必死に しがみついていた “ 不安定な自信 ” は、
つきつめていくと、下記のようなキーワードにたどり着く。

「 自分への信頼 」 
「 周囲との人間関係 」 
「 将来への希望 (未来の展望) 」


   ★ 自分なら、何かがあっても、どうにか乗り切れるだろう。
   ★ 困難なことが起きても、おそらく私は大丈夫だろう。
   ★ 人を信頼して、真摯に仕事をしていれば、信頼を得られるだろう。
   ★ どうしようもないことが起きたとしても、頼れる人が誰かはいるだろう。
   ★ 新しいことに挑戦し、いろいろなことを経験することは素晴らしいし、
     そういうことに楽しみを見いだせる余裕は、私の中にあるだろう。
   ★ 見知らぬ人と出会い、新しい世界を経験することは、私にとって
     大きな励みになり、未来へむけての原動力になるだろう。

こういう 「 根拠のない自信 」 は、ずっと想い続けることで、いつしか・・・
本当の “ 自信もどき ” に 変容していく。
それが、確実に、自分の肩をたたいて、背中を押してくれていたと思うのだ。

そして、一つ一つ、失敗をしながらも、着実に 人生の階段を 登ってきた。




     

かえって、今の方が・・・すべてに対して、慎重になって、臆病になっている。
それが、年を重ね、経験を重ねてきた先に、 私が たどり着くものなら、
正直なところ、切ない気持ちは隠せないが・・・
プロジェクトを立ち上げても、帰着点が予想され、経緯を想像するのも容易で、
未知の世界 という感覚が薄れてきたのは、「 人生の風景が狭くなった 」 ように
感じてしまうのは 仕方がない。

後輩や、希望に満ち満ちた若者と、突き詰めた話をすると・・・
そんな自分自身の “ 感情の断片 ” を感じ取る。
それが、良いことなのか 悪いことなのかは わからないけれど、
過去には 感じられなかった喜びがあるのも 事実だ。

  
 
人は、常に変わるから・・・
変わった自分を愛おしく感じてあげていれば、自分を見失うことはない。
これもまた、「 根拠のない自信 」 だ。

けれど、根拠がなくても、たとえ不安定でも、ある種の 自信 があれば、
胸をはって 生きていける!

だから、この姿勢(スタンス)は、これからも 大切にしていきたい。

リスクに関する経営管理

2013年09月25日 | 仕事 -

私は、基本的にはフリーランス(フリーランサー)である。
この立場でいることには、一長一短があり、個々の判断によって、
いろいろな結果を招くことになる。

私の場合もそうで、忙しい時は 二つ三つのプロジェクトを掛持ちして、
徹夜も珍しくない日々を過ごす。
所属会社も、プロジェクトごとに 会社が違うがために、
名刺を幾つか持ち分けたり、長きにわたって一つの会社に所属して
働くこと(年棒制契約) などがあったり、本当に様々である。




この一週間、数年前の仕事に関する重要素材についての問い合わせに
メールで (何度となく) 対応していた。
最終的結果としては 「 見当たらない 」 という会社側の報告があった。
当時の担当者である私としては、気持ちが落ち着かない。
まるで、素材紛失の要因が、こちらサイドにあるように取れるような・・・
対応をされると、非常に遺憾である。

私からすると、大事な書類や素材、資料を保管するロッカーには、
“ 鍵をかけるべきだ ” という基本的な結論になる。
入館が容易な状態であるがために、日中夜中と誰が会社に入っても不明で
どうしようもなく、防犯カメラもないような環境下なので、私としては
「 大事な物を守り通すのは難しい会社だ 」 と思う。

会社の仲間を信頼しないというわけではないが・・・
最近の悪ふざけと同じように、派遣要員や安月給の契約社員などには、
責任というような自覚にかけるメンバーもいると感じるがゆえに、
会社としては正社員として雇用しないのであれば、きちんとした対策を
こうじておく必要があるのではないかと、ずっと感じていた。
( 雇用形態に不満を抱いている人も多く、会社愛がないからだ )

実際、資料DVDを 同社内で紛失した経験がある私としては・・・
完璧に全社雇用人を信頼している状態ではなかった。
事実、社内100人以上にまわる総務部連絡メールには、自覚のない
紛失や故障に関する・・・メールが多くて、呆れることも多かった。



私が、後味が悪いのは、会社の管理不足が、大きな要因なのに、
私の方に、「 会社のメンバーが盗ることはない・・・。不思議だ・・・。
他に保管しなかったか 」という再三の問い合わせ内容についてだ。



やりとりの果ての最終結果としては、不透明になってしまった。
「 大事な素材を紛失して、困っている 」 ということであり、会社としては
「 大きな損害を被っている 」 ということになるのだろう。



私としては、会社の管理経営方法に対する異論を唱えたい。
数年前のことについて、(一歩も足を踏み入れていない会社の状況など)
把握しきれないし、当然 コントロールもできる状態ではなかった・・・。
大事な資料をロッカーに保管する際に、鍵をかけない会社に対して、
私の仕事中は 「鍵を要請して、私に管理させてもらった 」 から安心だったが、
終わってすぐに総務部に鍵を返却したのだから、本来は会社が重要書類などは
きちんと管理するべきなのに、・・・それらを放置してあったのに・・・
その事実を棚にあげて 「 管理不足的な対応を受けるのは、遺憾である 」。

鍵がはずれた過去の私のロッカーには、私のメモがしっかりと残っていて、
実際の素材だけが紛失しているのだという。
もし、私がその素材を持ちだしていたのなら、メモなど残さないだろう。
引き継いだ対応者の管理と、元来の“意識の低さ”を指摘したいものだ。


  実際、HDDだって数万円もするものであるし、再利用も可能なものだ。
  契約内容に不満のある若い雇用人からすると・・・個人的に利用したり、
  売りとばしたりすることだって、ないとは限らないゆえに、リスクに対する
  意識の高さは必要だと思う。
 

不測の損害を、( 最小の費用で ) 効果的に処理するための経営管理手法が、
いかに大切か・・・ 「 リスクマネジメント 」 の意識を持っていただきたい。
特に、問い合わせがあったような “ 人材を大切にしない会社 ” にとっては、
しっぺ返しをする雇用人がいないわけでもないーと思う。
実際、私も、すぐに会社の体質について感じるところがあり、仕事の継続を
断ったこと事体、当然の流れだと感じている。



自分のかかえているスケジュール以外に、このような 遺憾なやりとりを 毎晩、
毎朝にすることは、精神衛生上、よくないことだ と、切に感じた。

「自分が信頼していない人には、信頼されなくてもいいや! 」 的な感想が・・・
ふつふつと芽生えてきたことは、私自身としては、ちょっとした驚きだったが、
それも自然な感情だと受け容れた。
誠実な人や会社と付き合って、質のよい仕事をすることは自分のためになるし、
何よりも得るモノが多いと思う。
自分の眼で判断する能力は、大切な要素だ。

首都高速から見えた風景

2013年07月17日 | 仕事 -
        


一週間前・・・首都高速を走っていると、見降ろした街に、
白いシャツを着た典型的服装のサラリーマンさんたちが、
ランチに向かう姿が見えた ・・・。

ぞろぞろと、同じ格好をして、力なく 歩いていた。

その日も、とても暑かった。

コンクリートジャングルの谷間だけでなく、
緑の街路樹の間をも、多くの人が歩いていた。




彼らは、雇用体系は其々だと思うけれど ・・・
その中には、かつては 「 企業戦士 」 と呼ばれた仕事一筋の
会社員がいたかもしれない。
今も 熱心に、企業利益のため、一生懸命に働いている という
人も多くいただろうと思う。


その時 ・・・
深い尊敬の気持ちと共に、一種のアイロニー的心情が芽生え、
私の中に、複雑な感情が現出してきた。

それを突き詰めていくと、
おそらく ・・・
会社のコマだけには ならないでほしい 」 という ・・・
一人一人に対するエールのような気持ちではなかったかと思う。



厳密に言うと ・・・
今の私は、都会人や都会生活に対する印象が 変わってきている。
疲れているのは事実だが、 「 自分の人生 」 を 優先すると・・・
ひけないものが出てくるのも事実だ と、切実に感じているからだ。

だから ・・・
汗を流している企業人全てが、有意義な仕事環境で働けていることを
心から願ってやまない。

 

基本的な 「ビジネスマナー」

2013年05月29日 | 仕事 -

今日、六名の方と会った。
その内で、マジに 初対面が 五名にも及んだ。
このような面談を繰り返すことは、大変疲れる。
その一方で、歴然と感じたのが、基本である・・・
相手に対する 「 ビジネスマナー 」 の善し悪しだった。

“ 名刺の渡し方 ” という初歩的なことから、
好印象を与える態度、心から湧き起こってきた心情の伝え方、
清潔感のある印象(服装) など、 感じたことが 多々あった。

基本中の基本であるビジネスマナーが体得できていない人が、
二人もいたのが、びっくりである。
正直・・・少しばかり、呆れたし・・・、
日本の未来が 不安にもなった(笑)。
基本的な 「ビジネスマナー」 は、会社が教えるべきことだと
感じたのだけれど、最近は そうではないのだろうか。



とにかく、その人の仕事のやり方や、やり過ごし方も含めて、
其々の個性と 特徴を、嫌が応でも 知ることとなった。



人間は、とても正直で、
本当に 「目の前の人がどのような人なのか」 ということを
お互いに探りあいながら、また同時に、歩み寄りながら
交渉をすすめていくものだ と 思う。
少なくとも、私の場合は、そうだった。
だから、自分のアンテナを 初対面の相手に対して
力の限りを尽くして “ 張った ” からこそ、
精神的に どっぷりと 疲れてしまったのだろう。



私が、不適切な感覚をもった二人の印象を振り返ると・・・
「態度」 と 「会話」 という 二つに たどり着く。
そして、さらに、もっと凝縮して考えていくと、
「真剣で、真摯な気持ち」 と 「どれだけ主張していくか」
という・・・非常にシンプルなことになってきた。

詐欺やクレーマーが多くなった不安な時代になったからこそ、
好印象を抱いてもらいながら、自分の思う (願う) 方向へ
相手の気持ちを向かわせようとしていくことは、なかなか・・・
簡単なことではない。
昨今は、急に豹変する性格の人も 多くなった。

信頼感を抱いてもらうこと・・・。
お互いを、認め合うこと・・・。
頑張りたい・・・という姿勢を、周囲に 伝えること・・・。
そんな ちょっとした気持ちのやり取り ( 交流 ) で、
全ての結果が変わってきてしまうこともあるのだ と、感じる。



「 笑顔 」 と 「 適切な反応 」 を 繰り返しながら、
相手の話をよく聞き、自分の意見も伝えていくことの大切さ。

非常に単純な 「 気持ちのやり取り 」 の延長線上に、
仕事の降り幅は、大きくうねっていくものなのかもしれない と
心から感じる。


相手が信頼できるかどうか・・・、一緒に仕事をしたいかどうか・・・
そういう単純なことが、背景に ひそんでいることは当然で、
それは初対面の人にでも、感じとられてしまう何かがあったり、
相性のようなものを感じてしまうことがあったり・・・で、
「 鎧をかぶっていなくても、自然に 感じとれる! 」 のが、
「 人間の感性 」 というものなのだ と 思う。
心しておきたいポイントだ・・・。

夜中 の 「 スカイプ 」

2013年05月16日 | 仕事 -

この数年、本当の意味で、頻繁に使っている。

日本全国さながら、世界中でありながらも、ネットがあれば、
同じ状態で話すことができるからだ。
そのうえ、声だけでも指定できるが、映像も見られるので、
相手の顔色をうかがいながら、話すことができるのは便利だ。

メールで、日時のアポがきて、スカイプをオンラインしていると、
お呼び出しがくる・・・。

今朝も、英国からスカイプアポのメールがきたところで・・・
距離の長さを全く感じないことに、何よりも感謝した。

私がヨーロッパに長期滞在していた頃に、こんな便利なツールが
あったらよかったと、本当に思う。
あの頃は、電話代とファックス代の値段(金額)が気になって、
どうしても生連絡する数は減ってしまい、手紙が中心だった。


スカイプは、顔も見ながら話せるし、時間も気にならない。

電話と違って、受話機を持つ手と、耳の疲れ(痛み)も感じない。

使用料(値段)も 気にならない。

離れて暮らしている家族や、海外にいる友人・知人とも、
気楽に話せる素晴らしいアイテムだと思う。

もっと、もっと、活用できる。
数年前から、名刺に、スカイプのIDを表記している人が増えた。
皆が、気楽に使用してくれると、有り難いと思う・・・。



  企業の研修などでも、定点カメラで、各国の営業所をつなぎ、
  ネット会議は欠かせなくなった。
  映像は鮮明ではなくても、臨場感は伝わるようになっている。



個人のケースでも、インターネットをつかったアクセスは、今や
大きな可能性を広げている。
英語会話の勉強も、カウンセリングも、仕事の打合せだけでなく、
すべてスカイプで行われるように なってきた。
すごい変化だと思う。

ありがたや、ありがたや。  

仕事関係者 との 「食事会」

2013年05月14日 | 仕事 -

仕事仲間の人から、食事に誘われる。

もちろん、これまでも、私から誘うことが、頻繁にあった。
その意図は、いろいろで、「 なぁ~んもない 」なんてことは、
極々稀なことだ。

私のケースは、「関係を近くする」 ということもあるが、
日々の 「感謝の心を伝える」 ということも多い。




若い頃は、異性の仕事仲間との(二人だけの)食事会には、
なんかあるんじゃないかぁ~と、危険な香りを・・・過度に感じて、
一人すべったりしたことも多々あるが・・・・
今の経費削減状態の中で、食事会をセッティングして、あえて
誘っていただけるというのは、本当に有り難いことだとも思う。

しかし、だからこそ、昔のように、“気楽に応じられない自分” も
感じつつ、その対応には窮することがある。



仕事のオファーなどは、「会ってしまうと断れなくなる」 という
ケースが、時としてあって・・・・
ただ、オファーをもらった後に会うというのは、特に その傾向が
濃厚である。


仕事仲間でも、同じ立場の人ならば、気にしないことも、
立場や肩書きが違うだけで、対応する当方の意識が変わるなんて、
とても切ないことではあるけれど・・・
実際には、真実の姿 (関係性) である。
駆け引きまではいかないが、そこには“交渉のようなやり取り” が
避けられないからだ。
雑談だけで時間が過ぎることなく、常に雑談は前ふりでしかない。


このような仕事とプライベートの間にある「ひととき」 こそが、
今の私には、非常に危険をはらんだ時間に感じる時がある。



メール&電話で何度もお誘いを受けて、何度も断るのは気が引けるし、
これまでは「そんなことはなかった」のだから、相手もビックリする。
そんなに忙しいのかと、いつものように感じてくれると有り難いが、
忙しいからこそ、自分の時間の大切さは 大事にしたい。
そして、これまでの経験値から、食事会の展望が見えているからこそ、
断っているという事実があるのだが、それを直接言うわけにもいかず、
なんともムズムズする日々である。


本当に利害関係が無く、仕事関係者でも、過去の仕事仲間であったり、
ただ懐かしさを確認するための会合は問題なく、いつも楽しい時間だ。
そんな長い付き合いの仲間こそ、これからも大事にしたい人たちだと思う。

ボランティア的な 「仕事」

2013年01月08日 | 仕事 -

100%仕事満載の場合は、問題ないのだけれど・・・
私の場合は 「ボランティア的仕事」 というグレーゾーンが
存在する。

それは、意外と、昔からのことだ。
情に流されやすい性格を上手にくすぐられると、断れなくなり、
ほとんどの責任を伴う “労働” を 自分に課することがあった。


このグレーゾーンというのは・・・
「自発的に行動はしている」 のだけれど、
知人・友人との “しがらみ” から、頼まれてしまって、
「断りづらいモノ」 のことである。

やはり、ひとことで「仕事」 とは言っても、
自分が自発的に取り組むものだから、下手なことはできないと
深く思うために、そこには確固たる “こだわり” がある。


また、正当な金銭的な対価が派生しないプロジェクトに
関わる際には、自負心が強くなって、美意識を投影するがうえに、
周囲との連携の中で、「自分の意見を通したい」という欲求が
ふつふつと 芽生えてくることもある。
もちろん、常ではなく、自分のコントロールがうまくいかない
・・・そういう場合のみに限るのだけれど・・・。


単純に、金銭的な価値に還元ができる場合は・・・
私は全体の中でバランスをとって、意図を主張しながらも、
上手に調整をしていくことを選ぶ。
自分を律して、総合的な調和を求めて、仕事を運んでいく。
だから・・・、やはり、「 対価の有無 」 は、大きな違いだ。



グレーゾーンの “こだわり” は、時として面倒であり、
その活動やプロジェクトに入れ込んで、熱心になれば なるほど
強くなっていくのが常で、そういう「客観性」を失くした状態で、
よりベターなものを制作することは、(私の場合は) 難しい。


常に、バランス良く、調和をはかっていても・・・
どこかに “ほころび” が出てくるものである。
でなければ、精神的に、自分を追い詰めていたりして、
気がつかないところで 「負担に感じている自分」 を発見する。
それが、しがらみに縛られた 「ボランティア仕事の実態」 だ。



やはり、「自発的な行動」 と言うからには、常に 100%が
自発的な行動でなければ、有効的な効果に結びつかないことが
多々あったことを、しみじみと思い返す。

倫理や正義を礎に、(自分の心を) 無理やり納得させても、
やはり心の底から 「やりたい」 と思ったことでなければ、
ボランティア仕事は特に、もやもやが 付きまとうものなのだ。
また、随分と後になって、「こうだった」「ああだった」 と
感じるとしたら、自分の費やした時間が哀しいではないか・・・。



一通りの経験を積んだ今、全ての関係性を客観視できる自分と、
明確な線引きができる自分と出会えることを、心から願う。

私がやり遂げた仕事には、正当な対価がつくはずであるし、
自発的にやりたいと思った仕事には、気持ちの良い後味が残る・・・
そういうローテーションを維持していきたいと 心から思う。

「自分中心」 の仕事のやり方

2012年12月21日 | 仕事 -
昨年から、いたるところで言われている言葉。

「信頼関係を構築することの大切さ」 ・・・。

とても身にしみる。



私などは、会社の中で、たった一人で 「仕事をしている」 。
これは安全なことだが、想定効果以上を期待することはできない。
やはり、チームでやるのが、トータル的に考えると効率的だ。
リターンも大きい。

一人では、たとえそこそこの特徴や能力を持っていても、
チームで実現できるリーダーとしての能力がなければ、効果は少ない。


しかし、昨年から今年、そして、私がいつもコンタクトしている人で
「この人は 当然 ダメでしょ?」 と感じる人が、最近は多くなった。
その例として、一言で解りやすく表現すると、
昔は、「立場を守ろうとする人」 だったけれど・・・
今は、「自分一人で勝とうとする人」 が多くなったように思う。

このような人の性質は、少しずつ “ 共通している要素 ” があって、
それは「周囲の気持ちを配慮しない」 とか、
「指示したら、誰もが従ってくれると 短絡的に 思っている」 とか、
「部下やチームメンバーと、心地の良い達成感を共有しない」 とか、
とにかく、似たり 寄ったりだ。

部下は、ロボットではない。
自動で動いてくれるわけでもなく、指示をするときには、克明な説明が
必要だということを 忘れている人もいる。



今日も、今年の総括の報告書類を、社長宛に書類を送ったが・・・
何の返事もなし。
あっても、いつも 「 了解しました 」 か、「 確認しました 」 の一言だ。

心がこもっていないのが、誰にでもわかる 「仕事のやり方」 だ。
関心もないのだろう。
お金の数字だけを、確認しているとしか思えない反応だ(笑)。


そういうリーダーや、代表のもとで、働くモチベーションなど・・・
必要以上に育つはずがない。

結束力や使命感も育つはずがない。
ほどほど・・・というレベルで、働くことになり、効果も半減するかも・・・。


 


やはり、「信頼関係をつくる」 ということからはじめるべきだ。
これは、とてもシンプルで、非常に難解なことである。