ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

瀬々串の媼

2010年05月27日 | 俳句雑考

JR指宿枕崎線の瀬々串で下車したのは、駅名に釣られたからだった。
駅員はおらず、乗車券か運賃をいれるようにと書かれた小さな箱が置いてあった。
画像は26日に写す。

 

すこし歩いていると、媼から、
「なにを撮るかね」
と、声をかけられた。なんでも撮ると応じ、瀬々串の意味を訊くと、産まれて以来ここに住んでいるが、考えたことがなかったとつぶやいてから、再録不能の薩摩弁で、瀬が沢山あるからだろうと説明した。

   デパートの産地訛の粽売り     種 子

北総に住んでいたとき、デパートの鹿児島特産品売場で灰汁巻を買ったことがあったが、薩摩では粽と呼んでいる。

  ゆりの花

媼が白水仙の世話をしていた。できばえを褒めると微笑した。

    見事やと誰も五体をゆりの花   貞 徳

歳時記によると百合の発音は「揺り」からきているそうだが、有名な貞徳句をそう解釈するのを厭う評者もいる。

 涼み

薩摩では珍しい木造の護摩堂で、媼が涼んでいた。

   こころいま世になきごとく涼みゐる     龍 太

神社仏閣の外観は撮影自由と思っているので、そうしていると、媼が若いのに写真を撮るとは感心だという意味らしいことを薩摩弁でいった。
驚いて年齢を告げると、
「おいは八十二にないもした」
といった。

 瀬々

瀬を見に行った。

   晩春の瀬瀬のしろきをあはれとす     誓 子

平安文学が苦手なせいか、もののあわれが解せない。もののあわれが解せないから、平安文学が苦手なのかもしれない。