『絵本 まっ黒なおべんとう』
児玉辰春・文/長澤靖・絵/
新日本出版社1995年
表紙裏に書かれてあります。
「一九四五年八月六日広島市街に原爆投下。建物疎開の作業にでかけたまま、しげるは二度と帰ってこなかった--。原爆資料館にある弁当箱にひめられたかなしいお話。」
おばあさんが孫たちに語りかける
形式になっています。
おばあさんが若かったころ、
子どもが原爆で亡くなられたことを、
せつせつと語っていかれます。
この絵本は今では原爆資料館で
見ることができるようです。
原爆資料館では、
いろいろと解説して
くださっています。
「滋(しげる)くんの弁当」をクリックしてください。
この絵本をつくるために、何度もしげるくんのお母さんの
所に作者は行ったそうですが、涙で言葉にならなかったという。
この弁当は、アメリカのスミソニアン宇宙航空博物館から、
戦争終結五十周年記念事業として展示に貸してくださいと
要請があったというが、おかあさんは一度は断られました。
「弁当」は息子さんそのものだというのです。
しかし、説得されて、平和のためということで、
貸し出しを許されたようです。
だけど残念なことに、横やりで展示会はできませんでした。
【本日のニュース】
「被爆少年の弁当再現 平和学習の教材に '06/5/21
広島原爆資料館(広島市中区)の展示の一つで、原爆で死亡した折免滋君=当時=が持っていた弁当を、同市内のホテルと資料館の売店が再現した。予約販売しており「修学旅行生の平和学習の教材にしてほしい」と呼び掛けている。
滋君は一九四五年八月六日、爆心地から約六百メートルの地点で被爆。三日後に母親のシゲコさんが、黒焦げになった弁当を抱きかかえて死亡しているのを見つけた。-略-」
くわしくは、ここ(中国新聞)をクリックしてください。
くちなしの花 八月 ヒロシマ ヤケノハラニ ナル
イワサキ・ライブラリー4 ヒロシマ心の旅路
もくじ
児玉辰春・文/長澤靖・絵/
新日本出版社1995年
表紙裏に書かれてあります。
「一九四五年八月六日広島市街に原爆投下。建物疎開の作業にでかけたまま、しげるは二度と帰ってこなかった--。原爆資料館にある弁当箱にひめられたかなしいお話。」
おばあさんが孫たちに語りかける
形式になっています。
おばあさんが若かったころ、
子どもが原爆で亡くなられたことを、
せつせつと語っていかれます。
この絵本は今では原爆資料館で
見ることができるようです。
原爆資料館では、
いろいろと解説して
くださっています。
「滋(しげる)くんの弁当」をクリックしてください。
この絵本をつくるために、何度もしげるくんのお母さんの
所に作者は行ったそうですが、涙で言葉にならなかったという。
この弁当は、アメリカのスミソニアン宇宙航空博物館から、
戦争終結五十周年記念事業として展示に貸してくださいと
要請があったというが、おかあさんは一度は断られました。
「弁当」は息子さんそのものだというのです。
しかし、説得されて、平和のためということで、
貸し出しを許されたようです。
だけど残念なことに、横やりで展示会はできませんでした。
【本日のニュース】
「被爆少年の弁当再現 平和学習の教材に '06/5/21
広島原爆資料館(広島市中区)の展示の一つで、原爆で死亡した折免滋君=当時=が持っていた弁当を、同市内のホテルと資料館の売店が再現した。予約販売しており「修学旅行生の平和学習の教材にしてほしい」と呼び掛けている。
滋君は一九四五年八月六日、爆心地から約六百メートルの地点で被爆。三日後に母親のシゲコさんが、黒焦げになった弁当を抱きかかえて死亡しているのを見つけた。-略-」
くわしくは、ここ(中国新聞)をクリックしてください。
くちなしの花 八月 ヒロシマ ヤケノハラニ ナル
イワサキ・ライブラリー4 ヒロシマ心の旅路
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