磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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イワサキ・ライブラリー4 ヒロシマ心の旅路

2008年11月27日 | 読書日記など
『イワサキ・ライブラリー4 ヒロシマ心の旅路』
   児玉辰春・著/村井宗二・画/岩崎書店1996年

元・学校の先生で、絵本を出されている人です。
積極的ですが、情緒も大切にされているようです……。



「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。

「 わたしが、広島の原爆資料館に展示してある「弁当箱」のまつわる悲話を『まっ黒なおべんとう』と題して、はじめて児童本を出版したのは一九八九年八月五日のことでした。その翌年にはアニメ映画になりました。-略-
 被爆五十周年を期して、各地でいろいろな催しが計画されていた一九九四年、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館から広島市に、原爆遺品を貸してほしいという申し入れがありました。とくに「まっ黒な弁当箱」は強く要望されのですが、その持主のお母さんは「息子を殺したアメリカがいまでも憎い」と、かたく断りつづけていました。
 そのお母さんが「わかりました、貸しましょう。原爆もいけんが、戦争がいけんのですのう」と、貸し出しを快諾してくれたもとになったのが、本書の主題である「ヒロシマ心の旅路」です。しかし、アメリカの世論のまえにスミソニアンでの展示は中止となり、館長は辞任に追いやられましたが、広島市はかわりにアメリカ大学で遺品を展示し、弁当箱は最初の海外での展示となったのです。-略-
「原爆のもとは戦争。だから……」と、貸し出しを快諾されたのですから、その間のもろもろのことや経過、今後の展望などを知っていただきたい。そんな願いをこめて。
   一九九六年一月    児玉辰春」

まっ黒なおべんとう』を書くにいたるまでのことが書かれてあります。

マーティン・ハーウィット館長来日。下「」引用。

「一九九三年四月四日の新聞各紙は、アメリカからスミソニアン航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長がやってきて、原爆投下五十周年に被爆遺品を展示したいので貸してほしいとの要請があったことを伝えた。しかも、あの恐るべき原爆を落したB29のエノラ・ゲイ号の機体前部を復元して、同時に展示するというのだ。
 わたしは、アメリカのエライ人たちの感覚を疑い、腹立たしくなるのをおぼえた。しかも、アメリカはあの、まっ黒なお弁当を借りたいと、なによりもいちばん希望しているというのだ。-略-」

お母さんの思い……。下「」引用。

「あるときのこと、お母さんは、
「あのおべんとうの説明文が気になってしょうがないんです。[爆心地から五○○メートルのところで死んだしげる君の弁当です]、これじゃあ意味がないじゃないですか。まるで、見世物じゃないですか。せっかくもっていた弁当もよう食べずに死んだんだと書きかえてほしいと、原爆資料館さんにこんな手紙をだそうと思うがどうでしょうか」
 こういって、書きかけた手紙をみせられた。
 この弁当を通じて、親子の情愛の深さを訴えたいという気持ちをつよくもたれていたのだ。
「おばあちゃん、あたりまえじゃ、ぜひ手紙をだしんさいや」
 こうして、お母さんの手紙でさっそく資料館の弁当のところに、母の短い訴えが添え書きされた。」

伸ちゃんのさんりんしゃ』関連のことについても書かれてありました。下「」引用。

「わたしが、この本を書くきっかけになったのは、「三輪車こぐ音いまも焼きつく」という新聞の記事だった。
 やっと持ち主の銕谷(てつたに)さんを訪ねあてのだったが、やっぱり最初のうちは涙で話を聞くことができなかった。-略-わたしは銕谷さんの気持ちを確かめたいとおもって訪問した。
「アメリカが被爆遺品を借りたいといいうのですが、どう思われますか」
「そうですのう、アメリカのやつは腹もたちますが、いい機会ですのう、アメリカは原爆を落しておいて、ヒロシマの人がどんなに苦しんでいるかを知らんのですけえ、知らせるのにいい機会ですのう。もし三輪車がいくのなら、わたしもいって訴えたいですのう」
 銕谷さんはむしろ積極的であった。」

スミソニアン博物館訪問のことが書かれてある。
--被爆した米兵のことも書かれてある。この著者はその関連の本もあり。

佐々木禎子さんに関することが書かれてあります。下「」引用。

「つぎの日、わたしたちは美術愛好家の家に招かれた。そこには数人の大人と、小学五年くらいのこどもたちに、中学生と高校生だろうか女の子が待っていた。
「この箱の中に、わたしたちがこれから建立する禎子さんの原爆の子の姉妹像の模型が入っているんです。いまアメリカの各州からどんどん送られてきているのです」
 見れば部屋の中に十数個の大きなダンボール箱がつまれ、しっかりと封がされている。-略-」

もくじ

資料の有効活用を望む著者。下「」引用。

「広島の原爆資料館には、被爆遺品が七千二百点収蔵されている。そのうち館内に常時展示されているのは六百点にすぎないという。」

ヒロシマからの貸し出し遺品を展示する所があるという。

埼玉県平和資料館
北海道ノーモア・ヒバクシャ会館
博石館
舞鶴の赤れんが博物館

--「八 シンガポールへの旅」
晩晴園(ばんせいえん)。下「」引用。

「あまり広くない展示場には、ところせましとばかりに、日本軍の残虐行為を示す遺品が約百点と、二百数十枚の写真や資料が整然とならべられていた。-略-」

園長のワン・エンホン(王永年)さん、語る。下「」引用。

「おたがいに戦争の犠牲者は、つねにの罪ももない人々ですよ」

セントサ島戦争資料館

--絵本二冊、英語版があるという。
「十三 配り歩いた“THE LUNCH BOX”」
広島でバグウォッシュ会議があったとき、十一か国地域と、広島・長崎のこどもたちの「こども平和のつどい」でも、この絵本を配ったそうである。










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