磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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碑(いしぶみ)

2008年09月24日 | 読書日記など
『いしぶみ』
   広島テレビ放送・編/ポプラ社1978年、1981年16刷

『ポプラ社文庫A133 いしぶみ』
   広島テレビ放送・編/ポプラ社1983年、1985年3刷

以前にも版ちがいで紹介したことがある本です。

どちらの本も目次は同様です。
--どちらも、背では『碑(いしぶみ)』とタイトルしてあります。
しかし、表紙では『いしぶみ』ですね。

夏休みなしというのは、イヤだったでしょうね……。下「」引用。

「三年生以上は勉強をやめて、軍需工場に働きに行き、一年生と二年生だけが学校に残っていましたが、畑でイモをつくったりする作業があって、勉強できる日はすくなかったのでした。だから、この年には夏休みというもはありませんでした。」

疎開で転入。下「」引用。

「広島には空襲がないというので、広島県立広島第二中学校には、東京や大阪から転校してくる生徒もたくさんいました。
 東京都立第三中学校から転校してきた久保田英樹くんは、五学級に編入されました。いま長野県にいらっしゃるお父さんの手紙です。-略-」

担任たちも被災した……。下「」引用。

「本川は八時二十分、満潮から引き潮に変わり、流れはだんだん速さをましました。その流れに、川下に流れていく生徒もありました。
 川にとびこんだ一年生は、先生を中心にして、落ちてきた木や板切れにつかまって、おたがいにはげましていました。四学級担任の箕村登(みのむらのぼる)先生は、めがねがこわれ、上着は焼けて、たいへんなやけどでしたが、大声で生徒をはげましておられました。」

“海ゆかば”を歌ったという。下「」引用。

「五日後の十一日昼、遺体をたずねてあてたお母さんが、途中いろいろ友だちに話を聞いて想像されたわが子の最後のもようです。
「やけどをして、岸から吹きつける火をさけて水の中を浮きつ沈みつしているとき、先生が、君たちはみんな戦場で戦っている兵隊と変わらない働きをしているのだ、さあ、みんなで“海ゆかば”を歌おうと、先生と生徒が合唱したのです。川の中で浮きつ、沈みつしているうちに目がつぶれ、賢治はつかまっている木が燃えだしたので、力つきて沈んだようです。
“海ゆかば”を合唱したあと、天皇陛下万才を唱えたと申します。」

山本先生だったという。下「」引用。

「もう、わたしはだめだ、しかし、君はがんばれよ、といわれてはなればなれになったが、そのとき、先生としっかり手をにぎって別れました。」
 この先生の名を山本先生といったようだ、とお母さんはいっておられます。」

山本先生の娘さんの

半数以上はゆくえ不明。下「」引用。

「死に場所がわかった生徒もいますが、広島二中一年生の三百二十二人の半分ちかくは、遺体をみつけることができませんでした。」

いしぶみ  広島二中一年生 全滅の記録

ポプラポケット文庫805-1








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