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朝永振一郎著作集 別巻1 学問をする姿勢

2008年06月05日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集 別巻1 学問をする姿勢』
   朝永振一郎・著/戸田盛和・解説/みすず書房1985年

学問というものに対する姿勢もいろいろあると思う。ドイツ人の科学、ユダヤ人の科学というものはない。それなのに、そんなものを作り上げてしまう人たちとは朝永博士は関係がなかったようだ……。


「原子研究の町--プリンストンの一年--」というタイトルの文章。下「」引用。

「アメリカという国は、何でも大しかけの国であるが、これは珍しく小さな研究所である。しかしこの研究所は学者のみならず一般の人々の間でも有名である。」

--それはアイシュタイン老先生の故であるという。

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この研究所をは23名の専属所員を除いて、いつも変わっている。
--旅人のような学者が世界各地からやってくるという。
その旅人のような学者の一人に朝永博士もいた。

そして、職員は少ないという。下「」引用。

「物理学部では、専属所員はたった三名しかいない。これに対してお客は三十名もいる。
 三名の専属所員の一人がアインシュタイン老先生であって、すでに引退して名誉所員となっておられる。他の一名は有名なオッペンハイマー博士であって所長をかねておられる。」

プリンストンでは、湯川博士はホームシックになったという。

田無の原子核研究所について。
--原子炉はつくらない。
ということがまた書かれてあった。
朝永博士にも大きなことだったようである。

大学のサイクロトン。下「」引用。

「現に京都大学のサイクロトンはみやこホテルのすぐ下にあり、大阪大学では中之島の街の真中にあるが、何ら近所の人に迷惑をかけていないし、別に反対も起っていないのである。田無の場合、それよりかなり大きいサイクロトンではあるが、特にそれらと異なった危険性は全然もっていない。所内で常時研究に従事するものでも危険のないような、注意深い予防措置も講ぜられている。」


「人間的魅力のハイゼンベルク」という小タイトルがあった。下「」引用。

「梅沢 -略-私が数年前にイギリスで会ったハイゼンベルクの印象は温好で親切な人だという気がした。
朝永 彼は昔から温厚で親切な人です。しかも親切とか丁重とかが形の上でなく、人間的な魅力がハイゼンベルクの気質の中にあるのですね。人間的魅力というのは、ある意味ではアラがあるということだが、彼は自分の説に非常に自信があって、それをあくまで押し通そうとする。ライプチッヒにいったころゼミナーの後でピンポンをやったものですが、かれは大変な負けずぎらいでね。」

クエーカーほどの平和主義には……。下「」引用。

「朝永 -略-日本学術会議で、日本の学者は戦争のためには、科学では協力しないという声明をかつて出したことがあります。これは非常に結構なことだと思うが、しかし簡単なようでむずかしい問題です。パグウォッシュ会議でも、これについていろんな意見が出ました。例えばクェーカーの人たちは、非常に割り切っています。しかしそういうふうに割り切れるものであるかどうかを、私自身反省してみますと-略-私自身クェーカーのように、たとえわれわれがみな殺されても原爆をつくるべきではないというところまで徹底できるかどうか。そういうことを感じます。」

ドイツの教室はさびしかったという。下「」引用。

「そうしているうちに昭和十二年にドイツへ留学することになった。-略-ハイゼンベルクの教室には、その二、三年前までいたそうそうたる連中は、みなナチに追われ、そこにいるのはまだ学生あがりの若い連中ばかり、従ってゼミナールも程度がひくく、どうも期待はずれの感がかくせなかった。」

理研OB会会長となって、OBとはOld Beautyという意味だという。
--これで女性にも問題ないでしょうという朝永。

サボっていたわけではないという。下「」引用。

「伏見 世間に、三十九委員会や学術会議全体がサボタージュをしていて、政界人にどやされるまで何もしていなかったという批難があるようですが、それは認識不足でしょう。学術会議の第一期の時代に、仁科先生が提唱されて、「原子力に関する国際的な管理方式を至急樹立してほしい」という国際的アッピールを行ないました。」











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