磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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炎の中を生きて-私の戦争体験記 原爆被爆者の手記-

2008年10月27日 | 読書日記など
『炎の中を生きて-私の戦争体験記 原爆被爆者の手記-』
    原水爆禁止日本協議会・編/日本青年出版社1971年

ABCCのことについて重要なことが書かれてあったと思う。下「」引用。

「「加害者が被害者を調査研究する」という世界にその類をみない非人道的な研究機関」

--都築博士の態度も残念で仕方がない。
それに比べて、アメリカ人から「惨め」といわれる朝永博士の恩師であるドイツのハイゼンベルクは好対照である……。



「序にかえて 白いタスキの文字--被爆者のさまざまな苦しみ」山口勇子・著。下「」引用。

「ABCC(原爆傷害調査委員会)は、戦後いちはやく広島、長崎に設置されたアメリカ原子力委員会の直轄機関です。原爆の「ゲ」の字も口にしてはならないとされた暗い占領下の時代から、いまにいたるまで、ABCCは被爆者を調査研究のための「モルモット」としてあつかってきました。被爆者が死亡したとき、だれよりもさきにかけつるのも、ABCCです。うやうやしく焼香したあと、「ご遺体を解剖させてください」と、花束を持って死者の枕頭にあらわれる。ABCC職員のその出足の早さ。Mさんは先年、被爆者のおじさんがなくなったとき、ABCCが焼場までついてきて、「遺体を奪おうとした」くやしさを語りました。「ようやくおっぱらった」と彼女はしんそこほっとした表情でした。」

他にも、山口勇子はABCCのことを書く。
当時、ABCCは「比治山の鬼」と呼ばれていたそうです。

ABCCと日本政府の関係は、国民より軍事などの優先だったとしかいえない……。

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「私の記録」名越操・著も掲載されていました。

もくじ

「〔長崎での被爆〕白骨とともに--ピカはもういやだ--」永坂昭・著 下「」引用。

「浦上天主堂が、目の前に見えてきました。-略-天主堂のところから、山里小学校をめざして歩きだしましたが、一面の灰の砂漠で、一○センチ以上も足首がのめりこんでしまいます。道の跡は灰のためすっかりなくなり、どこを歩いてよいのかさっぱりわかりません。」

映画などでは、そんな表現はされているのだろうか?
--写真などは幾日もたっているから、それを資料としたら別のものになるでしようね……。

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「〔加害者への怒り〕-原水爆禁止広島市協議会/編より- ABCCの蟠踞(ばんきょ)を許すもの--善意をささえる無関心と卑屈さ--」杉原芳夫・著。

この文章はABCCを研究される人はぜひ一読はされて欲しいと思いました。

ABCCは純粋な民間団体などではない。国家の予算が使われていますね。

ABCCと都築……。
--追求しためために、6日後に都築公職追放。

市当局とABCC……。下「」引用。

「わずか二、三日との診療中に、七名もの白血病患者がみつかるなどという恐ろしさは、医学史上類例のないことではないか、にもかかわらずアメリカ占領軍はもちろんのこと日本政府も、県、市当局も、そのような人びとを放置してきたのである。今でこそ原爆症の権威などともてはやされている学者が、当時は、被爆者の白血病が原爆に起因するとは、決して言わなかった。それは、「ABCCを怒らせるとマズいから」というのが理由であった。」

--ふたたび、都築とABCC。下「」引用。

「教職追放を解除されて、ふたたび日本側の原爆症研究の中心人物として返り咲いた都築教授までも、フシギに原爆ケロイドは、放射能と無関係で、瞬間的な高熱が原因だと主張したのである。被爆直後の原爆症研究において、あれほど残留放射能の重要性を強調し、原爆医療法において、二号被爆者(投下後二週間以内に爆心地から二キロ以内に入ったもの)の定義を確立し、そのことによって被爆者のみでなく、原爆症研究にとっても、はかりしれない貢献のあった博士が、なぜ原爆ケロイドと放射能との関係を、根拠なく否定したのであろうか。それは公職追放と解除という政治的な措置とまったく無関係だったのだろうか。」

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醫學の立場から見た 原子爆彈の災害









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