磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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軍服を脱いだジャーナリスト 水野広徳

2008年03月04日 | 読書日記など
NHK綜合 2008年2月27日
その時歴史が動いた vol.316

軍服を脱いだジャーナリスト
水野広徳が残したメッセージ~


昭和20年5月、B29から大量にまかれたビラ。
「米国を侮ることは誤りである。」
それは20年前の論文で、水野広徳が書いたものだったという。

--軍国主義から戦争反対を唱えるジャーナリストへ--

日露戦争では海軍に。
--欧米列強に並ぶ強い国になるべし!

その後、ペンをもつ。
軍備撤廃主義へ転身。

【何が水野を変えたのか】
・軍縮から訴えたという。
増税にあえぐ国民に受け入れられる。
・しかし、戦争にむかい、水野の言論も封じられていく。

◆◆◆その時
昭和16年2月26日
水野広徳が意見を発表する場を奪われた。


--日露戦争後。
「此一戦」は軍人の活躍を描きベストセラーとなった。
その著者が現役の海軍軍人・水野広徳。
--水野は軍隊がいかに国民を訴えるものであるかを訴えたという。

当時、欧米列強はアジアに進出。
--日本も同様の道を歩もうとしていた。
……水野も同様だった。

◆◆◆第一次大戦後。
水野はヨーロッパに軍事視察。
--戦勝国フランスのベルダンに。
50万人以上の犠牲者をだした地域。
--軍人以外の民間人、女性老人が巻添えになっている惨状を見た。
国の膨張政策の後の結果がこれ……。
--国は国民を守るためではなかったのか?
軍隊があることで国民に犠牲を招いているのでは……。


水野は国を守るためには軍備は必要ないという軍備撤廃主義者へと変わった。

水野は帰国して自分の信じる道を歩むため軍を辞めジャーナリストに。
--水野は軍縮を訴える。
欧米列強も軍縮へ。
そして日本の陸軍も3万4千人が人員整理されたという。


1930年、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれる。
■海軍が異義を唱える。
統帥権の干犯(かんぱん)であると主張したという。
--天皇だけの統帥権をもっている。
政府は口出しができなくなったという。
--この時、軍部の暴走がはじまったという。
政府に統帥権と脅せば通るようになったという。

◆◆◆水野は反論
--憲政の将来を危たいならしむるの恐れあり。
軍部があたかも、統帥権が軍のものであるかのようにしていることを非難。

■右翼のテロ■
・軍部に逆らうことができなくなる……。

■満州■
・全国の新聞社のうち132社が出した共同声明。
景気がよくなることを願って、満州建国を歓迎した。

index

◆◆◆水野は冷静な現状分析をした。
・世界、中でもアメリカを敵にまわすと指摘。

■軍部独走■
・犬養首相がテロに襲われた。
首相は満州のことをよく思っていなかった。

◆◆◆水野は軍部を批判する
・アメリカと戦争することになり、日本は甚大の被害を受けると。
・跡はただの灰の街 焦土の街 死骸の町である。
この水野の本は発禁処分をうけ、読まれず。

水野は講演活動をはじめると、暴漢に襲われたという。

■海軍大臣にあてた公開質問状■
・黙殺された……。

◆◆◆水野の身辺に暗い影。
・憲兵につきまとわれたという。

◆◆◆その時
昭和16年2月26日
水野広徳が意見を発表する場を奪われた。
--執筆者禁止リストに載せられたという。

■大本営発表■
・それしか国民の情報はなくなっていく……。

そして、太平洋戦争へ突入していく……。

日本は劣勢に……。
国民に伝えられるのは日本軍の優勢の情報ばかりだった。
東京の空に米軍機がきても、日本の勝利を疑わなかった……。

投降すればひどい目にあわされると教えられ、ひどい虐殺をうけたていく国民……。

水野は故郷、愛媛で原稿を書いていたが、妻にさえ見せなかった。、

そして、誰に語ることもなくこの世を去っていく……。

死から31年後。
厖大な水野の原稿が発見された。

同じ過ちを繰返すという水野のメッセージが残されていたという……。

「反逆児
  知己を百年の
    後に待つ」

【磯野鱧男の感想】

元軍人は、平和を訴えてはいけないように書く人もいるが、餅は餅屋の部分もあると思いました。

ぜひ、軍人をやめて平和主義者になってもらいたい。













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