龍の声

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「医療と死生観 ③死生観(死と再生)の類型」

2012-07-16 06:12:05 | 日本


原始、古代、封建社会などの前近代社会において、特徴的な「死生観」の類型は、「生と死」が循環し、繰り返される円環的死生観である + 。宇宙そのものと同じように、人間の生と死は「この世」と「他界」、「現世」と「来世」の二つの世界の間で死と再生が繰り返され、循環する。それは、祖霊信仰に基づく二世界的、神話的、宗教的死生観である。特に東南アジアや我が国では、聖霊信仰に基づく汎心〔神)論的、多神教が支配的である。それに対して、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教では、創造者、絶対者、超越者としての唯一の人格神を信仰する一神教が支配的である。


社会が近代化するにつれて、世界から宗教的、神秘的意味連関が払拭ふっしょくされ、自然や社会が物質的な法則性を持った自立的で、独立した客観的な世界として意識される。その世界に属する人間も物質的なものとして対象化され、客観化される。従って、自然科学的、唯物論的死生観が成立してくる。特に、現代ては、生命現象も分子レベルに還元され、解明されるとき、人間の生命活動は無機的自然に還元される。

また、世界の存在の客観的自立性を意識すればするほど、自我は自己を世界と異なった「主観」や「実存的自我」として他者や世界に還元されない自立的な存在として意識するようになる。その結果、近代的自我は、自己の存在の根拠を何も必要としないかのように自立性の虚構を確立する。この近代的自我意識は、自我と世界を創造し、支配した神を否定して成立した。しかし、逆説的に、自己の挫折、限界状況や絶望の中で、自己の存在の根拠を絶対者である神を求めざるをえない。自己の存在の根拠を見出せなければ、「自己と世界」の存在の意味も価値も喪失したニヒリズム的死生観を出現させることになる。


現代においては、死後の「彼あの世・来世」や「神の国」における往生や救済としての二世界的な宗教が求められているのではなくて、現世における現在的な救済と癒しの宗教が求められている。自己の生の限界状況や自己超越の帰結として人格的な神に出会うキリスト教や、他力の信仰あるいは無我の境地によって達成される「悟り」を求める仏教は必要性を増している。

 さらに、現代社会において最も絆の強い共同体は家族である。共存在者との愛と信頼は、生に希望と勇気を与え、死に往く者へ慰めと救いを与える。また、自己の人生の証を社会に果たしてきた役割や功績に求めるたり、自己の生の意義を自己の存在の歴史、すなわち「自分史」に求めたりするのは、現代の死生観の切実な模索であるかもしれない。<了>




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