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「医療と死生観  ②ターミナル・ケアと死生観」

2012-07-15 09:37:55 | 日本

伝統的医療では、生命と健康のために病気を治療し、最後まで救命・延命治療を放棄しない教育が行なわれてきた。もちろん、末期医療においても、患者の身体的病状に対する対症療法や疼痛緩和は医療者の重要な役割であることに変わりない。

しかし、末期医療においては、残された患者の生命の質を高めるために、救命・延命治療から、よりよき死を迎えるための援助をするケアへと転換しなければならない。医療者には、患者の病状に対する対症療法や疼痛緩和治療をするだけでなく、死が差し迫った患者の苦悩、死への不安、恐れを和らげ、孤独を癒し、慰めるための精神的、心理的ケアが求められる。また、医療者は患者の家族の不安や心配にも対応しなければならない。

もしも、医療者が極端に死を恐れたり、死が間近な患者を敬遠しようとするなら、死の恐怖、不安、孤独に苦悩する患者とのコミュニケーションをとることができない。ターミナル・ケアにおける患者と医師の真実の対話が成立するためには、医療者が予期される死の告知をおこない、多様な患者の「死生観」を理解し、医師自身の「死生観」を確立することが不可欠である。患者を全人的に理解して、初めて、死に直面した患者の不安、恐れ、孤独、絶望に共感し、共鳴できる医療者となりえる。


特に、病気による人間の死は、生の断絶、終末あるいは敗北を意味する。死は共に生きてきた人々との永遠の別離を意味する。死は築き上げてきた社会的関係を断絶する。死によって人間の存在は「無」に帰する。死が予期され、迫っていることは、人間の存在が「無」に接近しつつあることである。そのとき、人間は、死という「無」を前にして自己の存在の喪失の恐れ、不安、孤独と絶望に襲われる。

従って、人間は次のような問いの答えを求めようとする。人間は、死を予期しつつ、いかにして苦悩、孤独や絶望に耐えて生きる希望があるのか、また何によって、誰によって癒され、慰められるのか。「死」を受容し、諦観ていかんするために「生」の意味を何に求めるのか。そのためには、これまでの生と残された生を確固たるものとして意味づけることである。「生と死」の意味づけこそが、死生観の問題である。

この問題は、有限で、死すべき存在である個の死が、生物的生命の終末、断絶であるにもかかわらず、超越者としての神、自然の神々、自然や永遠な存在としての生命的宇宙、共に生きた家族や集団と繋がり、連続し、継続しているという不死性を象徴化 3 することでもある。この意味では、「死生観」の問題は「死と再生」の問題でもある。 

現代社会では、世界から神話的、宗教的意味が失われ、超越的価値や存在に対する信仰が希薄になってきた。地縁、血縁を中心とした共同体社会が崩壊し、地域社会や家族との絆が稀薄となり、核家族化が急激に進んできた。

従って、社会の中で孤立し、孤独であると感じている人々が増大している。それだけに、医療者を含めて、看護者の末期医療における「死生観」を基礎にした精神的、心理的援助はますますその重要性を増している。




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