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「医療と死生観 ①はじめに」

2012-07-14 09:15:11 | 日本

医療と死生観に関する論文があった。
これは凄い!
以下、3回にわたり記す。



①はじめに,

 
人間が避けられない死に直面して、生と死の意味を問わざるをえないとき、各人は自己の死生観によって生と死を意味づけている。患者自身が、自己の死生観を持っていることが望ましいのは当然である。医療者が死生観を確立することは、「生と死」の生物・医学的意味だけではなく、人間の「生と死」の宗教文化的、社会学的意味を考え、患者の全人的医療のための基礎となる。
近代以前の社会では、人の誕生と死は、共同体や地域社会の共通の関心事であり、出来事であった。人間の臨終は、大家族、親類縁者や地域社会の人々に見守られ、身近な日常的な出来事であった。人々は臨終に居合わす機会も多く、死に往く者の末期まつごの姿を見守ることができた。

ところが、現代社会では、人間の平均寿命の伸びと核家族の増加によって、死を身近なものとして目撃し、臨終を迎える者と共に過ごす機会が大幅に減少してきた。また、医療制度の充実、医療技術の進歩と総合病院としての医療機関の増加によって、大多数の人々が在宅ではなくて、最先端の医療設備に囲まれ、最大限の延命治療を受けて、病院で死を迎えるようになってきた。人の死は地域社会の出来事ではなく、病院における個人の死となってきた。

その結果、無意味な延命治療を拒否する尊厳死やホスピス・ケアの要求が高まってきた。ホスピス・ケアのみならず、一般病棟における死を看取る医療としてのターミナル・ケアも医療者の重要な役割となってきた。

現代でも変わらない医療の最も重要な目的は、患者の病気の治療、健康の回復および救命・生命維持である。しかし、現代社会における個人の価値観や基本的人権の尊重は、医療における医療者と患者の関係に「インフォームド・コンセントの原則」が求められるようになってきた。それは、原則として、意思決定能力のある患者の人生観や価値観に基づく「自己決定権」を尊重することである。患者は、しばしば、意思決定能力がありながら、 医学的、専門的判断による患者の利益とは異なる治療法を選択をすることがある。患者の選択は、生を意味づけてきた「死生観」に基づいている場合がある。

例えば、医療者から見れば、救命のための輸血を拒否することは、不合理で、馬鹿げているように思われる。しかし、宗教的理由による「輸血拒否」は、死後の「永遠の生命いのち」を信じる宗教的死生観に基づいている。 また、末期癌と診断された患者が、医師の勧める治療法を拒否して、単なる延命よりも現在の生を充実させようとする。これも自己の仕事を完成を自己の人生の証とする「死生観」に基づいている。

さらに、医療技術、救命・延命技術の進歩によって、医療に「生と死」をめぐる諸問題が提起されてきた。「脳死」を「人の死」と見なすことによって、臓器移植が法的に認められたとしても、欧米に比べて、臓器提供者が圧倒的に少ないのは、単に医療不信があるだけでなく、日本の民俗宗教の死生観に基づく生命観や遺体観が根底にあると考えられる。

また、末期医療における安楽死や尊厳死の求めは、無意味な生物的生命の延長よりも尊厳死を選択する死生観に基づいている。妊娠中絶に反対する主な理由の一つは、宗教的生命観に基づいている。




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