5月10日(水)晴 気温11-23℃ 湿度40-65% 風速1-2m/s
玉川上水の通船はわずか2年で廃止された。
江戸市中の人口増加により、生活物資は人馬・大八車では需要に追いつかず、また、街道に設置された宿場の問屋などの利益獲得競争も激化し物流費の高騰へとつながった。
そうしたなかでの通船事業でしたが、100隻以上の船が活発に往来したことで、上水の汚濁が問題になって、明治5(1872年)年5月30日、廃止されました。約2年1ヶ月の運行でした。
あきらめきれず、再開運動を続けていた明治16年のこと、陸上より舟輸送の方がはるかに安かったことから、江戸の一部商人は、玉川上水の近くに新たな掘り割りを設ける運動が起きました。
しかし、地域の農民が、農業に支障が出ると猛反対に遭い実現しなかった。その後も再会運動が続けられましたが、いずれも許可されませんでした。
一方で、時代の流れとともに、甲武馬車鉄道→甲武鉄道→JR・中央線につながっていきます。