こんにちは、ゆうこです
絶対に無理と思っていた級外になることが、いきなり決まって始まった不妊治療2年目・・・。
級外になってみて、担任の先生方をうらやましく思ってしまうのかな?クラスがないことをさみしく思うかな?と思っていたのですが
実際はそんなことは全くなく
むしろ肩の上にずっしりとのっていた重りがすっかり消えたように、身も心も軽くなりました。
そして、1年目の失敗を生かし、自分ががんばれば!という考えを捨て、妊活中だということを公表して周りを頼るようにしました。
特にやっておいてよかったと思ったのが、時間割を組む主幹の先生に事情を話し、病院に通いやすいように5、6時間目の授業をできるだけ入れないようにしてもらったことでした。
私は1~6の全学年と特別支援学級2つの授業を受け持つことになっていたものの、主幹に相談できたことで週2日は午後に何もない日を設けてもらうことができたので、その時間を通院に充てることができました。
その時間は最初から授業がないので、補欠に入ってもらう先生の手配や、自習のプリント作りをする必要が全くない
担任の時のように学校を抜けるための準備に苦労し、通院が終わってからも戻って仕事をしなければならないということが一切なかったのがありがたかったです。
(不妊治療中は、周りに事情を話さず極秘にしている方もいるかもしれませんが、私は自分がやってみてオープンにしておいた方が絶対に楽だ、と思いました。)
そして、2年目に心がけたのは、とにかくストレスをためないこと
私の場合は、「できません」が言えなくて仕事をうけてしまい、結局無理してやり遂げる、というのが心身ともにものすごくストレスになっているのがわかっていました。
(原因は見通しの甘さと、自分への過信、できない人と思われたくないプライド等)
でも、不妊治療中ですと公表してからは、そもそも無茶な仕事を振られることはなくなりました。
たまに、それはちょっと甘えすぎじゃないですか??というぐらいいろいろ頼んでくる人もいましたが、反省を生かしてにっこり断るようにすると、自分でやってくれるようになりました。
よく、「仕事ができる人のところに仕事が回ってくるんだよ」と聞くのですが、断ることをしないと、永遠に回ってくるんだなと思います。
ストレスといえば、病院に通う(毎回採血がある)ことも地味にストレスだったので、2つのことを決めました
1,病院の後は絶対学校に戻らない。
2,病院が終わったら、お気に入りのカフェによってのんびり過ごす。
おかげで、自分の中で「通院の日は、病院に行くけど半日お休みできる日。休憩の日」という位置づけになって、ぐっと気が楽になりました。カフェで晩御飯まで食べてしまって、帰ったらゆっくり休めるというようにしたのもよかったです。
そんなふうに自分なりに工夫しながら、万全を期して臨んだ8月の3回目の移植
結果は・・・・
NGでした
この時、ずっと不妊治療をしていたいとこのお嫁さんが妊娠したということと、大好きな祖母が急死する
ということが重なり、なんで私はダメなんだろう、と心がぽっきり折れてしまいました
続く