ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

小林薫被告、死刑決定

2006-09-26 16:35:04 | Weblog
2004年の11月、奈良市で女の子が誘拐され、悪戯され、殺された。犯人は、その姿を携帯メールで女の子の母親に送りつけた・・・その犯人小林薫被告に、検察は死刑を求刑していた。

けれど、通常、被害者の人数が三名以上にならないと、なかなか死刑判決は出ないらしい。殺害の方法が残虐であるなどの理由があれば、被害者数が二人でも死刑になることはあるらしいが、一名だと死刑になる確率は極めて低いのだとか。

が、小林被告は、性的犯罪の前科があり、逮捕後も反省の様子は全く見せず・・・また、社会で幼い子どもが被害者になる残忍な犯罪が増えていることから、もしかしたら、死刑判決もあるやも・・・と、判決の行方が注目されていた。

そして・・・結果、死刑。世論を反映した判決だと言えるんだろうな。

わたしは、世の中には「死をもって贖うしかない罪」があると思う。そして、小林被告の犯した罪は、その「死をもって贖われるべき罪」だと思う。だから、死刑判決は、しごく妥当だと思う。

ただ・・・本人が死をもって贖うのではなく、死をもって贖わせるとなると・・・それを誰がするのか・・・神ならぬ身が、それをしてもよいものだろうかと思わなくもない。このジレンマ・・・。

が・・・たとえ解けぬジレンマを感じているとしても、宙ぶらりんで選択しないまま放ってはおけない。どちらかを選ばなくてはならないとしたら・・・わたしは、子を持つ親として、死刑の執行を選択する。ここで、国家が犯人を死刑にしなければ、今度は、国家が遺族を殺すことになると思うから。だって、たとえ体は活きていたとしても、子を無残な形で奪われた親の心は死んでしまうだろうから。彼らに対して、国家が出来ることは、犯人を相応しい罰で処罰することしかないから。犯人と被害者、双方を前にして・・・完全に公正な立場など、取りえないとしたら、わたしは被害者に偏る方を選びたい。

ただ・・・もし、被害者の人たちが、犯人の死刑を望まないなら、それも考慮して欲しいと思う。つまり、わたしは、司法は無機質に公正であるより、被害者及び彼らが属している社会の味方であって欲しいと思っている。それによって生じる、判決の幅を、不公平だとは、わたしは思わない。