※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。
W杯の思い出:モンタバンの母娘の続き <目次>
部屋に戻った私たちは、近くのスーパーで購入したパンやチーズで夕食をとりながら今後の対策を話し合った。今後といっても今日一日ツールーズでチケット交渉をしただけで、もう明日の午後には試合が始まってしまうのだ。
そしてわかった事は、自力でダフ屋から購入するには言葉はもちろん予算が圧倒的に足りないという事実だ。やはり近ツリの手配に賭けなくてはならないのだろうか。しかし、近ツリはチケット入手に関して途中経過を報告するようにはなっていたが、依然、具体的な枚数やら配分状況を知らせるまでには至っていない。
そして私たちが考えたことは、近ツリのM添乗員を脅しても解決にはならないということと、彼らの力を使ってなんとかチケット入手するという点である。しかし、このまま近ツリが試合直前に「5枚チケットがあります。抽選になります」とやられてしまえば、まさかツアー客の前で彼を殴り倒して2枚奪取する訳にもいかず、その時点で抽選にはずれれば、もう試合開始まで時間がなく結局みることができない可能性が高い。
リスクは冒せない、しかし近ツリの手配は信用できないし自力入手も困難だ。この行き詰まり状況を真剣に分析し、ついに私たちはある作戦にでた。
息を整え慎重にダイヤルを回した。添乗員Mの部屋番号だ。あくまでも冷静にそして丁寧にこう伝えた。 「すいません。すこし相談に乗って頂きたい事があるのですが。本来なら私たちがそちらに出向くのが筋ですが、他の方の誤解を招いてもなんですから、できればこちらの部屋まで来て頂けませんでしょうか?」
「はい、すぐに伺います」ピレネーの車中で兄がキレてからひたすらツアーと別行動し、何かと怒りを持った目でつっかかりそうな2人が丁寧に電話を入れてきたのだから、添乗員Mは息をのんだことだろう。
部屋へやってきた添乗員に椅子をすすめ取り囲むように私たちも座った。(事前にどこへ座るかシュミレーションまでやっていた)
そして静かに口を開いた。
「どうでしょうか....チケットの入手状況は」
「はい、頑張ってますがまだ手に入りません」
「Mさん。現実的に明日までにツアー客30人分のチケットが入手できる可能性は無いでしょう? 良くて数枚ですよね。そうしたらどうなりますか?」
「...ええ。おっしゃるとおりです。数枚は公平に抽選することになります」
「公平?! 抽選?! 1月に全額支払った俺たちと昨日今日支払った人たちを一緒に抽選するのが公平なのか!」兄が立ち上がらんばかりに声を荒げた。
もう打合せすることもなく兄弟は「脅し役」と「なだめ役」を自動的に演じていた。しどろもどろになる添乗員Mに追撃を加える兄を見ながらタイミングを計った。
「ね、Mさん。なにもそのチケットを私たちに優先的に配分しろと言ってるのじゃないんですよ。皆さんが全員で見れたらいいですよね。私たちもそれを望みます。近ツリさんも今がんばってチケット入手して下さってるんでしょ」
「だけどね、抽選というリスクは私たちは冒せないんですよ」
少し場がおさまった
私たちの主旨はこうだ。近ツリが手配しているだろうチケットは全員に渡る可能性が低く、手に入ってもせいぜい数枚なので、これはこれで引き続き全力で入手にあたって欲しい。しかしそれとは別で必ず2枚のチケットを入手するよう近ツリの資金力と交渉術を提供して協力して欲しい。
「実はね、今日ツールーズの街で"チケット下さい"のボード持って交渉したんですよ。でもね、なんと1枚3000フラン以上するし手持ちの金は無いし個人ではもうどうにもならないんですよ」
「...判りました。引き続き努力して報告します」
添乗員Mは具体的ではないがなにやら絶対逃げられない契約を取り交わしてしまったかのように若干うなだれて部屋を後にした。
明日の決戦を前に私たちも浅い眠りについた。
※試合前日の夜になってもまだ1枚もチケットが配分されないということは、このツアーには最初から「枠」があてがわれなかったのだろうか。初戦でいうと少なくとも2000人以上が近ツリのツアーで渡仏しているはずだが、55枚のチケは均等に配分されずお得意様に回されたのかもしれない。
「チケットがありません」の記者会見からわずか数日しかなかったこの初戦ツアーは、ダフ屋でかき集める猶予も無かったと思われる。
何も情報が渡されないまま「添乗員ともども、まるごと見捨てられていた」可能性が高い。
戻る 続く