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W杯の思い出:チケットが無い?

2014年05月22日 | サッカー

※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。

W杯の思い出:そんな時代
の続き  <目次


 年が明けて1998年1月。一部の旅行社では早くもW杯観戦ツアーが売り出された。早々と近畿日本ツーリストに即日全額を振り込んだ。
 あとは6月開幕まで会社の仕事をいかにうまくスケジュールするかだ。
 でもまさか1月の雪降る寒い夜に上司を飲みに誘い日本酒を差し向けながら「えーっと6月に有休下さい」なんて相談が本気と取られるはずも無く、「わはは」の笑い声とともに「ほんと行くの?へぇー好きだねぇ」と90%ほど変人扱いモードで笑い飛ばされるだけだった。
 毎日毎週仕事しつつも、飲み会など機会をみては「フランス行ってくるわ」とジャブを出し、有休を無駄に消化せず病気もせず目立たず役立たずひたすら日々が流れ5月連休明けとなった。

 1998年は会社の収支決算が12月に変わった最初の年であり、その半期を締めくくる上期決算日は6月である。その上期決算に土日と有休で10日間も休むとなれば、いくらその話が毎回毎回飲み会の席上で語られていたとしても有形無形のプレッシャーがかかるようになってきた。
 しかし既に「1月にツアー代全額払っているのだ」という素晴らしい既成事実があるおかげで、それをキャンセルしてまで働けという話にならなかった。

 誰もがそうであるように旅のほとんどの楽しみは出発する前に集約されていて、あれだこれだと準備することが忙しくも楽しく、これから旅がはじまるのだという高揚感が日常の生活を楽しくする。それが待ち望んだW杯しかも日本代表VSアルゼンチンの初戦観戦となれば、出発直前まで続く仕事もなんのその。今ならなんでも言うこと聞いちゃう状態であった。

 そんな中、関空出発の2日前である6月10日午後6時過ぎ、もうタイムカードを押しちゃえばあとは完全ワールドカップ観戦モードになる寸前であった。当時の会社の休憩室で上司ともどもタバコをくゆらせていると、突然私の携帯電話が鳴った。

 携帯は母が家から連絡してきたものだった。
「あんたテレビ見た?チケットが無くってツアーが中止されるって言ってる」
「???」
 なんのことか理解できぬまま休憩室にあったテレビをつけると旅行会社の共同記者会見を放送している。チケットが無い?旅行は中止?我々も困惑している?...地方の弱小会社が発表しているのではない。日本旅行業協会の共同発表で、JTBから近ツリまでずらりと大手が並んでいる。理解できないまでも何かとてつもない事が起きたと感じた。
 上司の「ツアーが中止なら仕事できるね」という冗談ともとれない言葉を聞き流しつつ、急ぎ兄へ連絡を取り情報収集に努め湧き上がる怒りとぶつけ様の無い苛立ちを居酒屋のビールで流し込み、対策を考えるというよりは確実な話が出るまでグラスを重ね続けた。

※ワールドカップという大イベントで日本は丸ごと騙されたんですから、「こりゃ仕方ない、さすが世界的な詐欺はスケールが違うなぁ」などとは全く思いませんでした。それより、なぜ2日前までツアー客に一本の電話もせずいきなり「記者会見」で事実を知らせるのか、まったくの不意打ちでした。

 結局、この時点でツアーを申し込んだ近畿日本ツーリストは「全国で2700枚のうち55枚」しかチケットを確保できず、事実上ツアーの中止を発表した。他社も同様の状態で唯一JTBだけは「ツアー続行、ただし観戦できなければ代金全額返金」と発表し他社を後々の営業面でリードする対応を見せた。
 兄と相談しつつ色々な情報から私たちはツアー代金返してもらっても仕方ない、行っても観戦できないかもしれんが行かなきゃ絶対に観戦はできない!と判断して12日出発日に関空へ向かった。

6月12日 関空国際線待合室


 当日、関空では近ツリ大阪支店長をはじめ背広組が手に「承諾書」を持って待っていた。承諾書には「観戦ツアーは中止を了解し、手配旅行による観光ツアーで出発します」と記載されている。しかも口頭で「ツアーで行って試合を見れなければチケット代3万円を返金します」と言うではないか。35万円のツアーでフランスの田舎まで観光に行き、しかも観戦できなければ3万返して終わりにするっていう話にぶち切れ寸前ではあったがサインせねば出発させないと二者択一を迫られ、どうせそんなもの何の意味も無いわ!と無理に納得しサインした。
 なぜこんなことになったのか呆然としつつも、これからの旅はどうなるのか不安を抱えたまま飛行機は関空を飛び立ったのであった。


※近畿日本ツーリストが企画したW杯観戦ツアー。企画旅行で試合が観られないとなると旅行そのものが成立しなかったと成りかねないので、のちの訴訟まで考えた結果、「個人手配旅行」に切り替える承諾を取ったと思われる。当時の私達はその後の補償や法律的に云々というより、行かなければ絶対に観られないという一点にこだわった。

戻る 続く

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