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「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

MINIチャリ散歩:武蔵国分寺跡②

2012年08月08日 08時20分46秒 | MINIチャリ散歩

前の記事で武蔵国分寺址をご紹介しました。今はただ礎石と思しきものが残るだけの
土地でありますが、日本でも有数の規模を誇った伽藍の数々が消失したのは1333年
に遡ります。

新田義貞が兵を興し、鎌倉幕府と対峙したのがこの近くの多摩川のほとりの分倍河原。
義貞は10万余の幕府軍の前に敗北し、撤退の際にこの国分寺を全て焼き払いました。
ここに聖武天皇が詔を発して建設され600年近く関東の信仰の中心であったこの地も
灰燼に帰してしまいました。 

しかし、不思議なことに義貞は翌々年、国分寺の伽藍のひとつ、薬師堂を再建させています。
ある意味鎌倉幕府の象徴とも言える国分寺を焼き払ったことに対する謝罪の気持ちの表れ
と思えるのですけど、このことは政治と宗教は全く別物と当時の人たちは考えていたという
ことなんでしょうか。更に義貞は多額の賠償金を敗戦の翌年に支払っています。

写真は国分寺山門。建設時は残念ながら不詳です。

山門にこんな扁額が。
「国を分け 宝を積みて建つ寺の 末の世まで利益残せり」と。

 

山門の後ろには現在の武蔵国分寺が。ちょうどこの後ろが度々ボクのブログで登場する
国分寺崖線(通称「はけ」)の高台です。この崖線は国分寺から始まり、多摩川の流れに
沿って、遠く田園調布まで続き武蔵野の豊かな台地を形成しています。

古代から多摩川がせっせと丘を削った跡でもあります。

 この現代の国分寺。別名を通称「万葉寺」とも。先の住職が万葉集に歌われた植物を一生懸命
採集され、この国分寺崖線に植えられたことに起因します。それぞれの植物には万葉集の歌の
短冊が置かれて。春秋の季節がこのお寺を訪問するには最適。万葉集の和歌と植物の名前が
一度に覚えられます。

ということで、花のない今の時期は閑散として。はい、ボクも今回はパスです(苦笑)

 

 

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Phoenix 東北&関東
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