デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

私の仮説に対するいろいろな反論に答える・新・・日本人の起源はアイヌ

2005-03-26 11:49:34 | Weblog
 先ず、アイヌ民族はBC5000年の地軸大移動の際の生き残りです。彼らは極東シベリアのチュクチ半島にいたと考えています。

アジアで、アイヌ以外で生き残った民は西シベリア人で、現在の蒙古、中国人です。彼らは当初は西南に移動したので、中国に現れたのはBC4000年紀だと思います。
                                   Rokunowa


地軸大移動の謎・・・クリックよろしくお願いします


極東シベリアでアイヌが稲作していたのが熱帯ジャポニカであったとしても、オカシクはありません。北極海をはさんで英国フランスは当時熱帯であったのです(河馬の骨の出土)極東シベリアは熱帯に近い温帯でありました。

また冷凍マンモスについては、私は著書で多くを書き、またyahooの天文カテのデエダラボッチのトピでもふれています。

 貴方のマンモスに関する主張は、例えば冷凍マンモスの年代が正しければ、通る主張です。しかしC-14の年代測定に関して私は断固反対しています。この測定法は間違っています・・・何故なら、大気中のC-14の濃度は何時の時代にも一定であったという大前提が疑わしいのです。これもyahooの天文カテのデエタラボッチで私が主張していることです。

 私に言わせると、現在シベリアで採取できる冷凍マンモスはBC5000年の地軸大移動で絶滅したマンモスを、C-14測定で1万8千年前だと間違った解釈をしているのです。マンモスは今から7000年前に絶滅したと言うのが私の発見です。だから私の仮説では矛盾はありません。
 縄文時代も今、1万5千年前に始まったと言っていますが虚偽だと私は主張しています。ソレは7千年前に始まったのです。このBC5000年紀は地軸大移動の節目です。戦前の考古学者は苦心して縄文時代は7千年前から始まったのだと主張していました。この主張は今、私の地軸大移動説によって裏付けられ、C-14の測定の不備はあばかれたのです。

 魏志倭人伝も記紀も文献です。文献としては何も語りません。後代の人が解釈して初めて、こうであったり、ああであったりします。その解釈の主流派が、金田一京介の虚偽の断定によって目が曇った輩達の解釈なのです、例えば倭人の文化とアイヌの文化、服装は異なるとの解釈になります。しかし、同じではないにしても倭人の伝統の半分はアイヌ文化だと私は絵をみても感じます・・・そこで文献だけの問題でなく、金田一の悪影響を論ずるしかないのです。


xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

最新の画像もっと見る