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雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

うちのかあちゃん

2010-06-25 | 雑記
 去年の秋頃、友人の小説がある雑誌に載ったのだが、それをうちの母が読んで大層感動していた。
 一人称で書かれたその小説。主人公の親は実の親ではないという設定。

 さて先日、用事があって母のところへ行ったのだが、なんやかやと話をしているうちに、その友人の話になった。

「でもたいへんやねー、あの人。親御さんが他人やもんねー」


 いやいやいや!

 めっちゃ血繋がってるって! もう、並んだら誰がどう見ても親子に見えるし!

「え? だってあの小説……」

 
 いやいやいや!

 ありゃ『小説』やん! まるっきりの嘘話やて! ってか、誰が小説にホントのこと書くかい!

「でも、渡辺淳一はね……」


 知るかー!

「なーんや、お母さんあれ読んで涙ぼろぼろ流したんに……」 

 いや、別に、いいやん。なんか嘘やったら価値下がったみたいな言い方すんなや……。


 ピュアなのかバカなのか……そんなうちのかあちゃん。

かあちゃん/重松 清

2010-06-25 | 小説
 ある、ひとりのかあちゃんの償いの人生が、若い世代の者たちの心を打って、しっかりとそれが伝わっていく……。
 果たして、こういう展開になろうとはまったく予期していなかった。
「母の話」だろう、ということはタイトルから確実に判る。そこになにやら「いじめ」の問題が加わるという。と、すれば、早計に考えれば「母と子の、いじめになんて負やしない」的な、つまるところ母子愛でいじめに打ち勝ってこれからも負けないぞー、みたいな陳腐な物語を想像してしまう。いや、しかし、あの重松清が、まさか……。
 
 そう、やっぱり重松清は凄かった。序章、いや第一章なんだけど、この連作短編だか長編だか曖昧な本の中で、この最初の章はやはり特別。この凄まじい「かあちゃん」があったからこそ、後々のストーリーが効いてくる。しかしいったい、この序章から誰がここまでいじめ問題を掘り下げて考えられただろうか。これはもう、重松清でしかありえないストーリー展開ではなかろうか。また、そこから派生してくる様々な「母」たちの姿。あまりにも巧みすぎる。もはや国宝級だ。

 しばらく重松小説から遠ざかっていたから尚更なのかも知れないが、久方ぶりの重松節はなんとも心地好く、それでいて問題の重さを鋭く刺し込んできて、読む者の心と感情を揺さぶりあたためる。どうにもこうにも、泣かずにはいられない。
 人それぞれ、泣きどころは違うだろうけど、自分の今作でのいちばんの泣きどころは、アスパラとグリーンピースでつくった「ガンバレ」の文字。こーれはズルい(笑