一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
家門高く
人は末永く幸多かれと祈りながら生活しています。
そう、誰しも幸せになりたいのです。
でも実際はその願いが叶えられることはそうはありません。
思いを現実にするのはなかなか簡単なことではないのです。
家門高く、栄えたまえ
祝詞にそうあります。永代に家が続き、そして栄えていく。子孫が繁栄し、家門が隆盛する。
誰しも一族の安泰を願うのは縁ある魂として集いし、家族の率直な思いです。
私がお葬儀の後に祭壇をつくりに自宅にいくと家族の皆さんがお葬式を終えた安堵の中、語り合っている光景をしばしば目にします。
お葬儀の後だからこそ、仲睦まじくしている姿に心を打たれるのです。
悲しみを共有しながら乗り越えていく光景だからだと思います。
この世で人が知り合いになる人数は約2万人くらい。その中で家族、友人になる人は限られた人です。
その人とはソウルメイトといって輪廻転生を繰り返しながらこの世での修行を全うするために縁者になった大切な存在同士だと思います。
願うならばすべきことをしてこそ、この世に同時期に生を受けた意味があるというものです。
時には助け合い、時には支えあい、意見の合わない時もあれば、長い期間疎遠になることもある。
しかし、それだけの縁はそうは簡単には切れないものです。
長い人生の旅路。時には別の道を歩むことだってあるでしょう。
しかし到達点が同じであれば道はいずれつながっていきます。
生きた証はやがて子孫に受け継がれ、子や孫、ひ孫、その下の代へと自身の魂は反映されていくでしょう。
家門高くは家が裕福になるという意味ではないと思います。
志を高くということです。
一門の繁栄は最後は志がどうであるかで決まるのです。
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