一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
墓じまい
最近は墓じまいの依頼が多くなったような気がします。
墓じまいする時に感じるのはどこか寂しいという先祖の思いです。私は菩提寺の住職ではないのでそこまで感じる必要はないかもしれませんがどうしても関わることによって思いが伝わってきます。
時代の流れなので仕方ないのかもしれません。しかしやはり長年供養されてきた墓石がその場所からなくなってしまうことに関してはまるで思いの連鎖が途切れてしまうような気がしてなりません。
逆に私どもの会社が運営している合同墓には年々納骨される方がふえる一方です。年間100体近く納骨されるようになりました。
新しくお墓を建てる時代は変わりつつあります。
建てたとしても永代に続くかどうかは保証されないでしょう。
ちなみに私は自分のお骨は合同墓に入れようと思っています。娘に負担をかけたくない一念からです。
では自分はどのように供養されたいか。
娘が生きている間、忘れないでいてくれればそれでいいです。
私は一番、信仰で大事なことは先祖供養と教わってきました。しかし、しばらくコロナもあり田舎に帰れないことは歯がゆくてなりません。
もちろん毎朝、自分の家の先祖のお位牌は供養していますがどこか寂しさも感じます。
時代の流れで先祖供養のありかたも変わっていくのかもしれません。
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