日本列島を台風17号が縦断し、各地に被害が出ています。お見舞い申し上げます。
中秋の名月(満月)もまぬかれざる客で雲の中ですね。
カルデラ体験学習会の続きです。
トロッコは工事の基地水谷連絡所に到着です。看護婦さん常駐の診療所もあります。
吉友嘉久子著「カルデラの赤電話」に、作業員の皆さんの生活が描かれているそうです。
お宮さんもありました。
カルデラに通じるトンネル内(もともとこのトンネルも軌道の一部でした)を通って、いよいよカルデラ内に。
カルデラから大鳶崩れ、小鳶崩れの眺め。
左手前はに、有峰二の谷・三の谷 雨水で削られ、トゲのようにそびえたっていました。
白岩右岸部岩盤対策工見学:景観を維持した岩盤補強、アンカー工、白岩トンネル内で見学
今通ってきたトンネルの横にあります
工事関係者のみが利用できる天涯の湯、800m上流の泥谷で湧き出ている温泉を引いています。
天涯の湯の足湯は見学者も入れます。
ここでバスで来られた1班と入替です。
白岩えん堤(国指定重要文化財)へ、 管理橋から見学
管理橋から見学、下の立派なダムが、あまりにも急こう配で見えません。
白岩ダムが望める下流展望台から
主堰堤の高さは63m、長さ76mあり、7基の副堰堤を合わせると落差が108m(日本一)になります。膨大な土砂をカルデラの出口で押さえるかなめです。1934(昭14)年に完成。
水谷平方面(工事の基地)を見ると、 水谷の滝、柱状節理、トロッコが
六九谷展望台:昭和44年(1969)8月の豪雨で崩れた谷、発生した年から命名。
崩れの碑(幸田文)や大規模な砂防ダム群が多数ある多枝原平を通り、
立山温泉跡地:1580年、立山温泉が発見された。その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、江戸時代は非常に賑わった。1969年(昭和44年)に発生した豪雨により温泉への道が被害を受けたことと、1970年(昭和45年)に立山黒部アルペンルートのバス路線開通を受け、1973年(昭和48年)に廃湯し、当地の源泉は立山山麓温泉へ供給されるようになった。
金庫も
天涯の橋:立山温泉跡地と泥鰌池の間を流れる湯川に架かる橋は鋼鉄製のつり橋で、河原よりの高さが10数m天涯の橋から湯川を見る。
ドジョウ池:立山温泉跡地から湯川を挟んだ対岸にあります。 この池は、安政5年(1858)の大地震によって崩れた鳶(とんび)山の土砂が、湯川をせき止め、その堰が決壊した後に残ってできた小池でした。その後、立山温泉の経営者たちは、食料としてこの池にドジョウ、フナやニジマスを放流したり、池に小舟を浮かべて船遊びをして楽しんだ(○○接待?)というお話も聞きました。
途中に、松尾峠に通じる工事用緊急避難路の看板:過っての立山温泉への松尾峠からの道が復活
熊さん なぜか新しい標識大好き(コールタールが好き:シンナー遊びの先駆け?)
思い出しました! '07.07.01に、ナチュラリスト同期の皆さんと、Kさん(当時立山荘支配人さま)に松尾峠を案内してもらった時の、松尾峠側の入り口です。
皆さん 若かった~
天涯の水をいただき、林道経由で薬師岳の登山口折立から有峰記念館へ
ヤマブドウが色付いていました。
有峰記念館より、有峰湖を眺める。今夏、まとまった雨が降らないので、水位が下がっています。
島は 宝来島(陸続きになっていました)
今日の雨で回復できたでしょうか?
ー安政5年2月26日(1858年4月9日)に、飛越地震が発生しました。
この大地震の結果、立山カルデラでは大鳶山と小鳶山が完全に崩壊、「鳶山崩れ」が起こってカルデラ内に土砂が大量に流れ込んでしまいました。(旧暦の)3月10日と4月26日の2度にわたり決壊、下流の富山平野に激甚な被害をもたらしました。まだ残っている立山カルデラ内の土砂(2億㎥)が全て流出すると、富山平野は厚さ2mの土砂で埋まってしまいます。明治35年から砂防工事が行われています。
ナチュラリスト大先輩のI氏の詳しい説明がわかりやすかったです。
ご案内していただいた砂防事務所OBの解説員の方からの話で印象に残った言葉に、
”防災と減災” ”素因と誘因”
久しぶりのトロッコでのカルデラ、時間がゆっくりと流れ、楽しい一日でした。
中秋の名月(満月)もまぬかれざる客で雲の中ですね。
カルデラ体験学習会の続きです。
トロッコは工事の基地水谷連絡所に到着です。看護婦さん常駐の診療所もあります。
吉友嘉久子著「カルデラの赤電話」に、作業員の皆さんの生活が描かれているそうです。
お宮さんもありました。
カルデラに通じるトンネル内(もともとこのトンネルも軌道の一部でした)を通って、いよいよカルデラ内に。
カルデラから大鳶崩れ、小鳶崩れの眺め。
左手前はに、有峰二の谷・三の谷 雨水で削られ、トゲのようにそびえたっていました。
白岩右岸部岩盤対策工見学:景観を維持した岩盤補強、アンカー工、白岩トンネル内で見学
今通ってきたトンネルの横にあります
工事関係者のみが利用できる天涯の湯、800m上流の泥谷で湧き出ている温泉を引いています。
天涯の湯の足湯は見学者も入れます。
ここでバスで来られた1班と入替です。
白岩えん堤(国指定重要文化財)へ、 管理橋から見学
管理橋から見学、下の立派なダムが、あまりにも急こう配で見えません。
白岩ダムが望める下流展望台から
主堰堤の高さは63m、長さ76mあり、7基の副堰堤を合わせると落差が108m(日本一)になります。膨大な土砂をカルデラの出口で押さえるかなめです。1934(昭14)年に完成。
水谷平方面(工事の基地)を見ると、 水谷の滝、柱状節理、トロッコが
六九谷展望台:昭和44年(1969)8月の豪雨で崩れた谷、発生した年から命名。
崩れの碑(幸田文)や大規模な砂防ダム群が多数ある多枝原平を通り、
立山温泉跡地:1580年、立山温泉が発見された。その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、江戸時代は非常に賑わった。1969年(昭和44年)に発生した豪雨により温泉への道が被害を受けたことと、1970年(昭和45年)に立山黒部アルペンルートのバス路線開通を受け、1973年(昭和48年)に廃湯し、当地の源泉は立山山麓温泉へ供給されるようになった。
金庫も
天涯の橋:立山温泉跡地と泥鰌池の間を流れる湯川に架かる橋は鋼鉄製のつり橋で、河原よりの高さが10数m天涯の橋から湯川を見る。
ドジョウ池:立山温泉跡地から湯川を挟んだ対岸にあります。 この池は、安政5年(1858)の大地震によって崩れた鳶(とんび)山の土砂が、湯川をせき止め、その堰が決壊した後に残ってできた小池でした。その後、立山温泉の経営者たちは、食料としてこの池にドジョウ、フナやニジマスを放流したり、池に小舟を浮かべて船遊びをして楽しんだ(○○接待?)というお話も聞きました。
途中に、松尾峠に通じる工事用緊急避難路の看板:過っての立山温泉への松尾峠からの道が復活
熊さん なぜか新しい標識大好き(コールタールが好き:シンナー遊びの先駆け?)
思い出しました! '07.07.01に、ナチュラリスト同期の皆さんと、Kさん(当時立山荘支配人さま)に松尾峠を案内してもらった時の、松尾峠側の入り口です。
皆さん 若かった~
天涯の水をいただき、林道経由で薬師岳の登山口折立から有峰記念館へ
ヤマブドウが色付いていました。
有峰記念館より、有峰湖を眺める。今夏、まとまった雨が降らないので、水位が下がっています。
島は 宝来島(陸続きになっていました)
今日の雨で回復できたでしょうか?
ー安政5年2月26日(1858年4月9日)に、飛越地震が発生しました。
この大地震の結果、立山カルデラでは大鳶山と小鳶山が完全に崩壊、「鳶山崩れ」が起こってカルデラ内に土砂が大量に流れ込んでしまいました。(旧暦の)3月10日と4月26日の2度にわたり決壊、下流の富山平野に激甚な被害をもたらしました。まだ残っている立山カルデラ内の土砂(2億㎥)が全て流出すると、富山平野は厚さ2mの土砂で埋まってしまいます。明治35年から砂防工事が行われています。
ナチュラリスト大先輩のI氏の詳しい説明がわかりやすかったです。
ご案内していただいた砂防事務所OBの解説員の方からの話で印象に残った言葉に、
”防災と減災” ”素因と誘因”
久しぶりのトロッコでのカルデラ、時間がゆっくりと流れ、楽しい一日でした。