りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

8月を知らない蝉。

2013-07-17 | Weblog
今朝、目覚めたら、いつもの朝と何かが違うことに気づいた。
何が違うのかすぐには気づかなかったが、顔を洗って、朝食のパンを
ひと齧りした時、分かった。

蝉が、鳴いている。

ずいぶん前に梅雨明けをしてからというもの、溶けてしまうどころか、
身体が蒸発してしまうのではないか、と思うほどの猛暑猛暑の連日だったが、
どうもその暑さに奥行きというか、立体感がないなぁと思っていた。

そうか、蝉だったんだ。

蝉の鳴き声が加わったことで、心なしか粗かった夏の編み目が一気に
細かくなって、いよいよ夏のアイテムが揃ったような気がする。
これで子どもたちが夏休みに入れば、いつもの夏の出来上がり・・・と
いうところか。

しかし、蝉は忠実なのだな。

たしかに蝉が鳴きはじめるのは、毎年今ごろだもの。
やっぱり今年の梅雨明けは異常に早かったのだと、あらためて実感した次第。

しかし、これからは分からないぞ。

生物は、その時代その時代の地球の環境に順応した者のみが、自然淘汰を
繰り返して生き残ってきたわけで。
そのうち、徐々に早まる梅雨明けに順応して、七夕の頃からジージーと鳴き出す
蝉が当たり前のようになる日がやって来るかもしれない。
蝉の成虫の寿命は1週間程度らしいから、そうなると、大半の蝉が8月を知らないまま、
短い命を全うするようになるのだろう。

・・・なぁ~んて、悠長に蝉の心配をしてる場合かよ(笑)
もっと心配しなければならないことが、他にもいっぱいあるような気がする。
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多忙は神様からの贈り物。

2013-07-16 | Weblog
いつもより1日少ない一週間が、今日からはじまった。

突然だが、先週は元気がなかった。
自分を取り囲む前後左右の諸々の事がすべて厄介に思えて、勝手に憂いで潰れそうになっていた。

週が変わった今日。
厄介な事は、相変わらずワタシの前後左右にある。
でも、さほど、潰れそうでもない。

何が違うのか、自分なりに考えてみた。
その結論として行き着いたのは、“時間”だった。

仕事においては、先々週までは忙しく動いていたのだが、先週はその反動か、さほど忙しくなかった。
おかげで、それまでの仕事の整理をしたり、今月下旬から動く仕事の下準備をして過ごす事が多かった。

つまり、いつもより時間があったのだ。

自身でコントロールできる時間があるのは、誰でも嬉しい。
でも、それにも適度があるようだ。
あまりにも時間がありすぎると、普段は考える必要のないことまで、考えはじめるのかもしれない。
ポジティブな事だけを考えるのなら良いのだけど、それに飽きたら、まるで振り子のように、ネガティブな
領域へと、そのベクトルが向かってしまう。

・・・で、自分自身が、不安になる。

若い頃は、そんな事はなかった。
どんなに時間が余り溢れていても、不安になる事など、全くと言っても良いほど、なかった。
今思えば、若い頃・・・つまり仕事も未熟で、家庭もなく、お金もない(これは今もない)頃は、何も持って
いないのだから、不安になる必要などなかったのだ。

不安というのは、突き詰めれば、自分の持っているものを失う恐怖の感情なのだと思う。

この20年ほどで、ワタシも様々なものを持ってしまった。
その代わりに失ったものがあるとすれば、それは“時間”なのではないかと思う時がある。

仕事を覚えれば覚えるほど、家族が増えれば増えるほど、ワタシの時間は失われていった。
そしてその代償として、公私に関わらず、今まで持っていなかったものをたくさん得てきたように思う。

それなのに、先週に限って、失くしたはずの“時間”が、まるで思い出したかのように、突然ワタシの元に戻ってきた。
それが原因で、夏風邪のように、不安の禍中に陥ってしまったのだと思う。

「多忙は神様からの贈り物」

誰の言葉だったかはもう忘れてしまったけど、そんな言葉を聞いたことがある。
良い言葉だと、素直に思う。

自身の前後左右に数多のものを持ってしまった以上、もう今のワタシには余計な“時間”は要らないのだろう。
おそらく、いつかリタイヤする時が来るまで、時間と追いかけっこするくらいの生活の方が、きっと良いのだ。
今回の一件で、それを学習したような気がする。
それだけでも、ポジティブに考える事としようか。

ところで話は変わるけど、子どもたちは来週から、いよいよ夏休みだそうだ。

・・・やっぱり、羨ましい(笑)
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不覚にも、共感。

2013-07-15 | Weblog
三連休の最終日。
そこそこ用事があったが、今日だけは終日フリー。

梅雨が明ける前からクルマの洗車をしていなかったので、
ピーカンの炎天下、ゆっくりじっくりと洗車をするつもり
だったのだが。

ご覧のように、こんな天気 (-。-;

おまけに、にわか雨が降る前兆なのか、五線譜の音符のように
数羽のツバメが電線で羽を休めている。

どう考えても、今日は洗車日和ではないぞ。

それでもワタシは、躊躇することなく、洗車セットと大量の
ボロ雑巾をカーポートに出してきた。

ずいぶん前から今日は洗車するって、決めていたんだ。
今さら、予定を変えられるかよ。

ひと言でいったら、そんな心境か。
まぁ、ほとんど意地ですな。

・・・あ、なるほど。
あの方々も、こういう心境なのか。

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、“お役人”の仕事の仕方に
共感している自分がいます(笑)
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多くは語らず。

2013-07-13 | Weblog
昨夜は、高校時代の同級生2人と飲んだ。

2人とも高校時代はやんちゃだったり、
トンガっていたりしていたが、
今は親の後を継いで、地元に根ざした企業の
社長業に勤しんでいる。

今日は、徳島からトヨさんが尾道へ来てくださった。

トヨさんは、印刷会社勤務のデザイナー。
何年も前に某SNSで知り合ったのだが、お互い、
同じような寂れた(失礼)地方の、同じような
小さな会社の、同じような立場のデザイナーなので、
とても親近感があって、以前から同業者でないと
分からない悩みや問題や相談や愚痴を聞いてもらっ
ていた。

同級生たちとも、トヨさんとも、本当に色んな話が
でき、また本当に色んな話を聞かせてもらった。

でも、そのことについては、多くは語らない。

別にあまりにも恥ずかしすぎて、とてもここには
書けない話題ばかりだった・・・というわけではなく、
どちらかといえば、まったくその逆だった。

大切で貴重な話が多すぎたのだ。

自分にとって有益すぎて、上手く言葉にできない、と
いえば、少しは理解してもらえるだろうか。

別の見方をすれば、なんでもかんでも言葉に変えて、
ブログにUPできるわけではないことが分かったという
ことかも知れない(笑)

だから、今日の日記は、自分で読んでも雑だと思う。
でも、ワタシも普通の人間ですので、たまにはお許しください m(_ _)m
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絵に描いたような人生。

2013-07-11 | Weblog
島耕作が社長を退任するらしい。
・・・という以前に、島耕作が社長になっていたことすら知らなかった。

ワタシが島耕作を愛読していたのは、今から20年以上前。
「課長・島耕作」時代だ。

大学生という立場にあぐらをかいて、完全に社会をナメきっていた当時のワタシは、
喫茶店やコンビニや友達の家に置いてあった「課長・島耕作」の単行本を読みながら、
“いやぁ~、サラリーマンは大変だねぇ”と軽口を叩く大バカモノだった。

それから間もなく「課長・島耕作」の連載は終了し、そしてそれを合図にしたかの
ように、ちょうど同じ頃、ワタシも大学を卒業して就職した。

それ以降も、島耕作は断続的に連載をしていたようで、マンガの冠も課長から
部長→取締役→常務→専務と変わっていったことは、おぼろげに知ってはいたが、
大学生の頃ように夢中になって読むことはなくなっていた。

マンガ自体に接することが激減してしまったこともあるが、それよりも、社会に出て以降、
自身の経験を通してその実体が徐々に分かってゆくに連れて、この手の・・・いわゆる
サラリーマンを主人公にしたマンガを読むと、業種や立場は違えど、まるで自分の事の
ように身に詰まされてしまうことがイヤだったのかもしれない。

でも、40代になった今なら、20代の時とはまた違った視点で読めるかもしれない。
マンガにしろ、小説にしろ、映画にしろ、それなりに時間を経てから再会すると、
初めて触れた時とはまた違った表情を見せてくれる。
それが面白く奥深いところなのだと思う。

それにしても、島耕作は順調に出世していったんだなぁ。
まるで絵に描いたような人生じゃないか。
・・・あ、そうか。これはマンガか(笑)

<島耕作>社長退任で「会長編」へ 連載30年節目に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130710-00000021-mantan-ent
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厄介な爪痕。

2013-07-09 | Weblog
報道で伝えられるとおり、たしかに福島第一原発の放射能が
直接の死因ではないのだろう。

しかし、この方が人間が一生涯に放出すべき“エネルギー”の
大半を、2011年3月11日からの数ヶ月でほぼ消費したであろうことは、
この国で暮らす人なら、容易に想像できるのではないだろうか。

東京電力の社員で、しかも原発事故を起こした発電所の所長であった以上、
この方が未曾有の大事故の“加害者”としての責任を追うべき一人であることは
紛れもない事実だ。

しかしそれと同時に、福島の方々に対してのそれとは少し違うけれども、
この方に対しても、“被害者”のような想いを抱いてしまうのは、なぜだろう。

あの原発事故は、人の感情というものにさえ、厄介な爪痕を残してしまったの
かもしれない。

吉田昌郎さんの御冥福を心よりお祈りいたします。

<福島第1原発>吉田元所長が死去 事故時に現場対応
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130709-00000047-mai-soci
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ある晴れた夏の日の午後。

2013-07-08 | Weblog
今日、梅雨が、明けた。

例年より相当早い梅雨明けらしい。
先週までの連日雨(しかも豪雨)には心底うんざりしていたが、
あまりにも早く到来する猛暑にもうんざりしてしまう。
まったく、相変わらずわがままな生き物だ、人間は(笑)

今朝、窓からの日差しで目が覚めた時、「あ、梅雨が明けたな」と思った。
別に超能力があるわけではないが、なぜかそう直感したのだ。
たぶん、空気の質や光の強さが明らかに昨日とは違うことを、
自然と身体が感じ取ったのだろう。

実際、今日は熱かった。
誤字ではない。
今日は“暑かった”ではなく、今日は本当に“熱かった”。

これから、おそらくワタシや妻の誕生日の頃・・・つまり9月の下旬頃まで
こんな天気が続くのだろう。

ここまで書いて、ふと思った。

いつからだろう?
夏の暑さに眉を顰めるようになったのは。

最後にYOU TUBEから。
夏の歌といえば、昔からトロピカル(死語)な歌が大好きだったけど、
いつの頃からか、はっぴいえんどの「夏なんです」や吉田拓郎の「夏休み」と
いった日本の夏を想起させるような歌に惹かれるようになった。
この歌も、そんな歌のひとつだと思う。
PVも秀逸。
歌の途中、尾道や竹原やしまなみ海道など、ワタシが暮らすおだやかで優しい
瀬戸の景色が登場するのも、ワタシがこのPVを贔屓する理由かもしれない。

浜田省吾「ある晴れた夏の日の午後」
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渡船のある風景。

2013-07-06 | Weblog
今年の2月に、こんな日記を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/bf0564471f7985bd592faea516c34c87

今朝、通勤前に桟橋の方へ行ってみた。
いつものように渡船が本土と島の間を行き来していたが、
今日が土曜日だということを差し引いても、
明らかに乗客は少なくなったように見えた。
自動車の利用は、特に。。。。

運河のように狭い海を渡船が行き交う風景は、この町の代名詞の
ような風景だけれども、10年後にはもうなくなっているかも知れない。

写真には写っていないけれど、この横の岸壁で
小学生の男の子が、釣りをしていた。
あまり釣れていないようだったけど、何度も何度も
竿を遠投していた。

こんな子どもが、今でもいたんだ。

海に落ちないように、気をつけて。
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免許、取ろうよ。

2013-07-05 | Weblog
クルマが大好きなのである。

小学生の頃スーパーカーブームの直撃を受けた世代だし、マンガ「サーキットの狼」は今も全巻持っているし、
愛車のTwinは今年で10年落ちになるけど、カスタマイズしまくりで自分でも呆れてしまうほどピッカピカだ。
そんなワタシであったが、仕事の中で今まで一度もしたことがない事があった。

それが、クルマのラッピングのデザイン。

バスなどの公共交通に施す広告デザインは何度もしたことがあるのだが、いわゆる普通自動車のラッピングは、
恥ずかしながら今まで未経験の仕事だったのだ。

早春、長年お世話になっているクライアントの自動車学校から依頼があった。
その依頼を受けた時、新人の頃のように“オレに出来るのか?”という不安な思いがよぎりつつも、“ヨッシャー!”と
心の中で手を突き上げて叫んでいるもう一人の自分がいた。

さっそく、取りかかった。
何案も何案もデザインを起こした。

しかし。

力が入ってしまったのだろうか。
いや、入り過ぎた、というべきか。
いくらデザインを提案しても、クライアントは、いい顔をしてくれなかった。
振り返ってみると、どうもワタシは、“奇抜で斬新な、他の自動車学校とは違う、個性的なラッピング”という
突飛なデザインばかりを追っかけていたようだ。
こういうのを“木を見て森を見ない”と言うのだろう。
社会に出たての新人がよく陥るパターンじゃないか。
ホントに、恥ずかしい・・・。

その後、数回のプレゼンテーションを経て、なんとかデザインが決まり、そして今月、新しい教習車がお披露目になった。

今回のこの仕事に関わった人間にしか分からないが、当初提案していたデザイン案に比べれば、かなりおとなしく緩やかな
デザインになった。
しかし冷静に見ると、教習コースの近くに大きな川が流れ、そこからそよぐ風が心地よい、自然に囲まれた自動車学校の
イメージによく似合っていると思う。
何よりも、クライアントにとても喜んでいただけたことが、ワタシにとっては一番の勲章だ。

昨今は、自動車免許を取得しない若者が増えているらしい。
様々な要因が重なって、以前ほど自動車そのものに魅力や価値観が見出せなくなっていることが理由のようだ。
最近、自動車メーカーが自社のクルマのCMだけでなく、免許取得を啓発するようなCMを制作しているのも、それらと
全く無関係ではないのだろう。

このブログを読んでくださっている広島県東部の若者のみなさん、新しいラッピングになった教習車で免許を取らないか?

ホントにクルマは、楽しいよ。
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変化の種。

2013-07-04 | Weblog
たったひとつのことだけがきっかけで、それまでのすべてが一瞬にして変わると
いうことは、どちらかといえば稀なことなのではないだろうか。

ひとつずつ、少しずつ、“変化の種”に遭遇して、ある日、ふと気づいて振り返って
みると、いつの間にか原型を留めないほど一変していた・・・物事の変化とは、
ほとんどがそんなふうに起こっているような気がする。

変わることは、悪いことではない。基本的に。

ただ、“変化の種”の自覚もできず、なし崩しで変わってしまうことだけは、
勘弁願いたい。

それが、どんなことであっても。どんなモノであっても。

●430人超が立候補へ―参院選公示
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130704-00000035-jij-pol
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