りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ワタシも気をつけます。

2015-07-30 | Weblog
新国立競技場に続いて、今度はエンブレムですか。

弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂。
ラッキーもアンラッキーも、続く時は立て続けに起こるというが、どうやらそれは人もイベントも同じらしい(笑)

今回の一件、紛いなりにも長年グラフィックデザインの仕事に従事している者としては、興味がないわけではない。
ワタシも今まで様々なロゴマークをデザインしてきたけれど、そういう人間として一言を言わせていただければ・・・・



よくあることだよ(笑)



次元は違えど、ワタシもとある病院や企業のマークをデザインして、後日それを見た第3者から“○○のマークに似てるね”と言われたことなんてしょっちゅうあった。特に駆け出しの頃は。
そう指摘されると“そんなことないですよ~”とやんわりと反論しながらも、頭の片隅で“どっかでそのマークを見たのかなぁ・・・(汗)”と自分で自分のことを疑心暗鬼になったりした(笑)
最近はあからさまにそう指摘されることは少なくなったが、それでもマークだけでなくポスターやパンフレットをデザインしてしばらくしてから、“あ、今思えばあのデザインは、○○(著名なデザイナー)の手法を参考したんだな”と、後々になって自分で気がつくことが多々ある。

今回の東京オリンピックのエンブレム、個人的には良いデザインだと思った。
でもその一方で、最初にエンブレムを目にした時、反射的に「田中一光っぽいな」とも思った。







そのデザインを見た人に日本を想起させようとすれば、ある程度似たような手法を用いてしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。

エンブレムにしろマークにしろ、突き詰めれば、○と△と□の組み合わせで出来ているようなもの。
それをどう組み合わせて意味を内包させるかが、デザイナーやアートディレクターの腕の見せ所なのだろうけど、これだけ文明が来る所まで来てしまった現代の世界で、誰も考えつかなかった全く新しい図形を発明してそれをデザインすることは、もはや至難の業なのではないかと、思うことがある。
マンモス狩りの様子を洞窟に描いた1万年前からアポロが月へ行った1960年代末くらいまでで、人類が思いつくデザインに関する基本的なアイデアは、ほぼ出尽くしたのではないか。
あとは、それをどうアレンジするかの繰り返しが、今日のデザインなのではないか。
・・・デザイナーの端くれとして、ワタシはそう思うことがある。

だからこそ、酷似するようなデザインには、気をつけなければいけないのだけど。
経験上、酷似するのもイヤだし、酷似されるのは、もっとイヤだから。

う~~ん、今日の日記は、世界中のデザイナーを敵にまわしたかな(笑)?

●東京五輪エンブレム ベルギー劇場ロゴに酷似
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150729-00000137-spnannex-spo
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しょせん、記号。

2015-07-27 | Weblog
ワタシの名字は、珍しい。

初対面でまともに読んでもらえることは、本当に少ない。
小学生の頃、電話帳で同じ名字を探したことがあったのだけど、父の名前と親戚のおじさんの名前しか掲載されておらず、“やっぱりな・・・”という落胆に近い気持ちになったことを今でも憶えている。

だからか、子どもの頃は、自分の名字が好きではなかった。
むしろ、嫌いだった。
田中とか高橋とか佐藤とか山本といった、誰が読んでも間違えない在り来たりの名字に心の底から憧れた。

それが時間を経て、大人になってからというもの、ふと気がつけば、そんなことを思っていた自分はどこにもいなくなっていた。
たぶんそれは、名前にしろ名字にしろ、しょせん「記号」に過ぎないのだと、どこかの時点で気づいたからだと思う。

善し悪しにつけて、人間は中身。
名前も名字も、後からついてくる。
それを重くするのも軽くするのも、自分次第・・・そんなことに気づいたのだと思う。

それに気づいてから、自分の中に変化が現れた。
自分の名字に、親しみらしきものが生まれはじめたのだ。
「記号みたいなもんだ」と突き放しておきながら、その途端に愛着が湧いてくるなんて、自分でも矛盾しているような気がするが(笑)
今思えば、たぶんその頃になって、長年好きになれなかった名字も、手足や目鼻と同じように、ワタシを構成するパーツのひとつとして、やっと受け入れることができたのだと思う。

時間が過ぎて、今現在。
実は、今、娘がワタシが子どもの頃と同じような状態でいる。
名前や名字の話になると、「こんな名字、もうヤダ」とか「普通の名字がいい」と口を尖らせる。
現在、娘は思春期真っ只中。
見方を変えれば、自意識が形成されつつあるからこそ・・・ということなのだろうけど。

でもそんな彼女も、これから先、普通に生きていけば、いずれ自分の名字も、単なる記号に過ぎないことに気づいて、そしてそれと同時に、それまで抱いたことがなかった名字への愛着というものが生まれる時が来るのかも知れない。
・・・もしかしたらその前に、否応なく名字を変えなければならない出来事が訪れるかもしれないけど。
まぁ、マンガとアニメ命!の今の娘を見ていても、そんなこと、まったくもって想像できませんが(笑)

そんなことをぼんやりと考えさせられたニュースでした↓

●滋賀の県名「変えない」8割 県民は愛着多数
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150727-00000011-kyt-l25
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撒き餌。

2015-07-26 | Weblog
今日の朝刊一面の記事下広告。

まだもう暫くは、又吉ブームは続くというか、出版業界は続かせようとしているんだなぁ、と寝ぼけ眼でぼんやりと紙面を見ていたら、携帯電話が鳴った。
実家の親父からだった。

「おはよう」とあからさまに寝起きだと分かるような口調でワタシが電話に出ると、「朝からすまんな、実はの・・・」と、親父がいきなり本題を話し始めようとした。

只ならぬ予感がした。

親戚のおじさんかおばさんが亡くなったか?
それとも、自身の体調で何か異変があったか?
それとも、お袋の方に何かあったか?
親父75歳、お袋71歳。
何があっても、もうおかしくない。

「実はの、前々から話そうと思っていたんじゃが、この前の・・・」

言葉を選びながらゆっくりと親父が話を続ける。
ワタシは親父の息子を、もう45年もやっている。
だから、分かる。

親父がこういう口調の時は、自分の身の上話をする時だ。

受話器の向こうから聞こえる声は、なかなか本題の核心にたどり着かない。
年齢を重ねるに連れて端的かつ早口で喋ることができなくなってきたこともあるが、どこかしらまだ迷いながら話しているようにも思えた。
遠回りをしながら話す親父の言葉を耳にしながら、自分なりに推測した。

おそらく、ここ数年で悪くなった腰のことではないだろうか?
数年前に骨粗しょう症が原因で背骨を圧迫骨折をして以来、親父は足腰で苦労している。
それらを完全に治すには手術すべきなのだが、50代の時に大病をしてガリガリに痩せてしまった親父には、その手術は負担が大きいらしい。
最悪の場合、車椅子の生活になるかもしれなかった。

それでも、手術をする気になったか?
もしするなら、暑さがピークを越えた9月頃か?
元気に快復すれば何も問題ないが、もしも車椅子の生活になったら、どうする?
とりあえず、実家の玄関は段差があるからリフォームしなければいけないだろう。
介護保険も考えなければいけないかもしれない。
考えたりしなければいけないことが山のようにあるぞ・・・。

そんなことを考えていたワタシに、受話器越しに親父が尋ねた。

「芥川賞を獲った又吉、知っとるか?」

はぁ?
あまりにもアサッテの方向の話に、思わず声が裏返った。

「この前、あの本を買って読んだんじゃが、ダメじゃ。ワシには、どこが面白いのか、さっぱり分からん」

はぁ・・・。

「お前、読んだか?」

いや。

「孫らは?」

いや。でも興味はあるみたいだけど。

「じゃあ、やるけぇ、また取りに来い」

それで、電話は切れた。

何なんだ・・・?
眠たかった頭はすっかり目覚めたが、その代わりに消化不良のようなモヤモヤが身体の中に生まれた。
とりあえず、娘に祖父との電話の話を伝えた。
すると、やりぃ!といった表情でピースサインをした。

あ、なるほど。
そういうことか。

ワタシの娘と息子が読書好きのお笑い好きだということは、祖父である親父もよく知っている。
たしかに、又吉の本は、そんな孫たちには打ってつけだ。
近所に住んでいると言えども、最近は部活や塾で子ども達が実家へ顔を出すことが少なくなっていた。
親父にしてみれば、孫たちの顔を見るきっかけが何でもいいから欲しかったのかも知れない。

とどのつまり、又吉の「火花」は、孫たちに会うための撒き餌なのだろう(笑)

夕方、娘と実家へ行ってきます。




・・・というわけで、借りてきました。

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特等席から。

2015-07-25 | Weblog
自宅の裏の丘から花火を見てます。

スマホで撮ったら迫力ないけど、遮蔽物もないし人もいない。
10年間も暮らしながら、こんなにもよく見える場所だっただなんて、今まで知らなかった。
最高の特等席だよ、ここ。

まさに、灯台下暗し。
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初・電子書籍。

2015-07-23 | Weblog
ここ数日、就寝間際の布団の中で、村上龍の「69-sixty nine-」を読んでいる。

1969年の高校3年生が主人公の自伝的小説。
今から28年前に発表された作品なのだが、当時主人公と同じ高校3年生だった私は、下校時に高校の近くの書店に立ち寄って購入した。



理屈抜きで面白い小説だった。
秀逸な小説とはあらすじだけではなく、文章表現や言葉の選択やその行間に滲み出る味や空気が肝要なのだと、高校3年生だったワタシは、この小説で初めて知った。

それ以来、今でもこの本は家の本棚の中に置いてあるのだけど、ここ10年くらいはページを開くことがなかった。
それが先日、ふと思い立って、また読みはじめた。
しかし、本棚の中から28年前に買った本を引っ張り出してきてはいない。
その代わりに、布団の中でスマホをいじって読んでいる。
いわゆる、電子書籍である。



今まで、電子書籍に触手を伸ばすことがなかなかできずに躊躇していた。
購入方法も分かる。便利なことは百も承知。
ワタシ自身、作品を電子書籍化してサイトで発表もしている。
しかし、いざ自分が購入するとなると、それはまた別問題。
やっぱり、あの紙をめくる感覚が無いことに違和感を憶えていた。
しかし、音楽もCDよりもダウンロードで購入することが多くなった。
CDはもとよりレコード世代のシッポでもあるワタシからすれば、これも最初はなかなか抵抗感のある購入方法だったが、それが今では当たり前になりつつある。

何事も、最初は壁。
でも、乗り越えてしまえば、それは階段。

・・・というわけで、今回電子書籍を購入したわけで。
そして最初に購入するなら、まだ頭が柔らかい頃に感銘を受けた、自身にとって無垢な作品がいいだろう・・・ということで、「69-sixty nine-」を購入したのだった。

ダウンロードしたら、作品はibookの中に収まった。
すると、電子書籍サイトwookで発表していて、以前試しに自分自身でダウンロードしていたワタシの作品たちと同じ棚の中に並んでしまった。



無名のアマチュア作家の作品と、日本有数の人気作家の代表作が並んでいる。
これもある意味、電子書籍のメリットか?

・・・いや、デメリットだと思う。
不必要な勘違いを起こしてしまいそう(笑)

●電子書籍サイト「wook」
http://rikiru.wook.jp
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夏なんです。

2015-07-20 | Weblog
梅雨、明けたでしょ?

ニュースとか見てないから、正式に発表されたのか知らないけど、明らかに明けてるよ、この陽射しは。
嬉しそうに蝉が鳴いてら。

3連休の最終日。

初日と二日目は、地区の神社の夏祭りの準備や開催に終始。
初日は、露店で焼き鳥の販売。
頭にタオルを巻いて、見事なテキ屋っぷりを披露。
買いに来られた近所の知り合いから「サマになってるねぇ」と、イジられること数え切れず(笑)
でも、サマになってるのは風貌だけで、技術や中身は素人そのもの。
最初はマジメに焼き鳥を焼いていたが、あまりの暑さに耐え切れず、気がつけば近くの祭りの本部テントから、勝手に缶ビールを拝借してきて、一緒に焼き鳥を焼いている地区のお父さん方とビール片手に焼き鳥を焼きはじめる始末。
挙げ句の果てに、焦げ過ぎて売り物にできなくなったフランクフルトやつくねを「賄いだよ、賄い」と自分たちに言い聞かせながら、酒の肴に。
飲食業への転身は、ワタシには無理です(笑)

二日目は、子どもの神輿。



雨が降り始める中、地区内を隈なくまわった。
一応、神輿を担ぐ子ども達のサポート・・・という名目で付いてまわったのだが、同級生たちと遊ぶことが楽しくて楽しくて仕方がない10歳前後の子どもたちが、マジメに神輿を担ぐわけがない。
最初は物珍しさから神輿の棒を担いでいた子どもたちも、しんどくなったのか飽きはじめたのか、進むに連れて担ぎ棒から一人抜け、二人抜け、ぐるっと地区を廻って神社に戻って来た時には、神輿の担ぎ手は、サポートのお父さんたちにほぼ入れ替わっていた。
神社を出発した時の担ぎ手は、未来に満ちあふれた純真無垢な子どもたちだったのに、戻って来た時は、人生も半ばを過ぎて色んな経験をしてきたおじさんたちに変わっていたのだから、本殿で神輿の到着を今か今かと待っていた神様も驚いたんじゃないだろうか。
まぁ、見方によっては、神輿を通じて「人生」というものを体現してみせた・・・とも言えるかもしれないけれど(笑)

さて、連休の最終日。
何も予定なし。

とりあえず、今、洗車の準備中。
カーポートに洗車グッズを用意して、取り掛かる前にスマホでブログを更新中。

陽射しは鋭角だけど、適度に乾いた風が吹いているので、さほど暑さを感じられない。

夏がはじまりますね。
この歌でも口ずさみながら、のんびりと連休最終日を過ごしたいと思います。

「夏なんです」(ほぼ)はっぴいえんど

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転ばぬように、気をつけて。

2015-07-17 | Weblog
安保法制、台風直撃、又吉芥川賞受賞・・・。
この一週間、大きなニュースが日替わりメニューのように続いていますが。

新国立競技場の一件も、動き出したようで。
こういった場合、従来なら“喉元過ぎれば何とやら・・・”を呪文のように唱えて、関係者はじっと我慢することが常だったのに、今回は意外な感じで。
見直すんですなぁ。
何だよ、やればできるんじゃねぇか(笑)

で、今回のゴタゴタの原因というか元凶というか、なんでこの一件がここまで大騒ぎになったのか?
ワタシなりに考えたりしたんだけど、やっぱりこの人の“存在感”も、その一因なんじゃないだろうか。


森喜朗さん。


東京オリンピックの開催が決定した直後、この御仁が大会組織委員会会長に就任したというニュースを耳にした時、まず最初に胸に去来したのは“なんだかなぁ・・・”という思いだった。
元政治家、しかも元総理(たった1年だけど)、人脈が広い・・・etc.
選出された理由はもっともらしいし、実際そうでなければ務まらない役職であることは、ワタシにも十分に分かるけど。

でもねぇ・・・と思ってしまうのは、ワタシだけだろうか(笑)

何なんだろう?この感覚。
単に生理的なものなのか、それとも直感的なものなのか。

学生時代にラグビーをされていたのでスポーツマンだと自負されているそうだが、失礼ながら、現在の風貌からはそんなものは微塵も感じれられない。
失礼ついでにもうひとつ言ってしまえば、“利権”という言葉を人間のカタチにしてみたら、こんなカタチになりました・・・という風にしかワタシには見えない(笑)

だけどそれは、ワタシの大いなる誤解なのかもしれない。
本当の森さんは、今も現役バリバリのラガーで、100mを10秒台で走れて、常に広い視野で物事を考え、自分よりも他人を優先し、野花や小動物を愛でることが何よりの生き甲斐・・・そんな御仁なのかもしれない。
でも残念ながら、御仁からそんな連想はどうひっくり返ってもできない。
周りの人のプロデュースが下手なのだろうか。

オリンピックは、イメージが大切。
開催都市や施設はもちろん、これからはこういった人選も“実力+イメージ”も考慮した方が、物事は上手く進むのかも知れない。
そういうことを教えてくれただけでも、今回の騒動は意味があったということなのかも。

そういえばこの御仁、フィギュアの浅田真央選手がソチ五輪で転倒した時、「あの子、大事なときは必ず転ぶ」って発言して、凄まじいバッシングを受けた。
森さん、あなたも大事な大事な新国立競技場に躓いて転ばぬように、どうか気をつけて。

・・・まぁ、転んでもタダでは起きそうにはないけど(笑)



●新国立競技場“見直し”が話題に、安倍首相と森元首相が会談
http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20150717/Tbs_news_38115.html
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消えちまえっ。

2015-07-16 | Weblog
フォルダを整理していたら、グラフィックソフト「Photoshop」で加工した画像が出てきた。
たしか4~5年前に、時間が空いた時にチマチマといじって作った画像だと思う。

●瀬戸内の景色

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     島も船もいらなくね?
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●しまなみ海道

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    もともと、橋なんか無かったんだ。
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●尾道水道の渡船

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      なんか、ゴチャゴチャしてんな。
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推測するに・・・これを作った当時は、ずいぶんとストレスが溜まっていたようです(笑)
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夏色。

2015-07-14 | Weblog
今朝、目が覚めたら、明らかに昨日までと天気が違っていた。

直線的な、陽の光。
霞み気味なのに、空の色が深い。
今日の太陽を幼児がイラストに描き起こしたら、きっとその表情はつり目の険しい顔になると思う。

梅雨が明けたか?

でも、南の海上にはでっかい台風が舌舐めずりしながら上陸する機会を窺っている。
この招かざる客、予報では今週末にこの辺りで大暴れするらしい。

梅雨明けは、やっぱりその後か?

ラジオから、ゆずの「夏色」。

嫌いな曲じゃないし、むしろ好きな曲だけど、今日のように分かりやすいほど夏の日差しが強烈な日には、何だか嫌味のように鼓膜に響く。
まるで焼肉をおかずにカレーライスを食べている感覚・・・というような感じ。
・・・単にワタシがひねくれているだけだろうか(笑)

まぁ、もう夏に対して過度にノスタルジーに浸ったり期待を掛けるような年齢でもないし。

さて、今日も頑張りますか。

ゆず「夏色」
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アサガオの庭。

2015-07-05 | Weblog
梅雨も終盤なのか、ここ数日は雨模様。

今日は曇天だったけど、雨は降らなかったので、庭の草むしりを。
そしたら、庭の真ん中でこれが眼に入った。



明らかに、アサガオ。
思わず色鉛筆で観察日記を描こうかと思い立つほど、綺麗な双葉(笑)

おそらく、昨年プランターにアサガオを植えていたから、その種が庭にいくつか散らばったのだろう。

よく見れば、ここだけでなく庭のあちこちにアサガオの双葉が顔を出している。

このまま放置していたら、どうなるのだろう。
添え木がないから、地表を這うようにアサガオの幹が広がっていくのだろうか。
結局、今だに芝生を植えず仕舞いのままの更地のような庭。
一面芝生の庭の代わりにアサガオの庭になるのも、また一興か。

まぁ、現実的に本当にそんな風になるとは、さすがに思ってないけど(笑)
でも、自分の力だけで芽生えて、自分の力だけで伸びてゆくかも知れない、この自生のアサガオ。
しばらくの間、温かく見守ってやることにするか。

明日からも、がんばりましょう。
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