goo blog サービス終了のお知らせ 

りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

晴天の霹靂。

2025-04-16 | Weblog
昨夜、突然告知された。



11月を以って、gooブログが閉鎖されることになったそうだ。

そう、この「りきる徒然草。」も、gooブログ。

あまりにも突然のことで、まだ気持ちの整理がついていないのが、正直なところ。



          ◆



2008年の6月。

当時、mixi(懐かしー!)で繋がっていたみりあむさんという方から

「りきるさんはブログが合ってると思いまぁーす🙂」

というアドバイスをもらって、あまり深く考えずに、勢いのまま開設した。

それから、17年。

タイトル通り、自身と周囲の徒然な出来事を思いの向くままに綴ってきた。

性に合っていたのだと思う。

ここまで続けられたということは。



          ◆



ネット上には、gooブログの閉鎖に驚嘆悲嘆の声が上がっている。

長年愛用してきたブロガーからは、特に。

しかし、他のSNSと比べれば、〈ブログ〉という表現手段がすでに斜陽化していることは確かだし、実際、若年層からはほとんど相手にされていないことも事実。

仕方がない。

これも時代の趨勢なのだろう。



         ◆



gooブログからのお知らせによると、他のブログへのデータベースごとの引っ越しも可能とのこと。

その場合、〈Amebaブログ〉と〈はてなブログ〉への引っ越しを推奨しているようだ。

さて、どうするか・・・。

ここまで続けてきたのだから、フォーマットを替えても続けるべきか。

それとも、gooブログの閉鎖とともに、もうそのままブログ自体辞めてしまうか。

SNSもやっているから、そっちでなんとかなるような気もする。

しかしその一方で、気の向くまま自分の文章を好きなように書き綴れる場所がなくなってしまうのは・・・。

悩んでます。久々に。まるで思春期のように(笑)

まぁ、それでも閉鎖までにはまだ半年もあるから、急いで結論を出さなくてもよいのだけれど。

でも、文章の鍛錬にはなったし、この17年の自身の道程も刻まれてるし、このブログで知り合った人もいる。

生活の一部だった。

ライフワークだったと言っても過言ではないと思う。

しばらく考えたいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1,001羽の鶴。

2025-02-22 | Weblog
先週、友人のお母様が亡くなられた。

家族葬だったので通夜と葬儀には参列せず、今日、実家の方へお伺いした。

友人とは、小学校から高校まで一緒だった間柄。
中高生の頃は、毎日のように一緒に連んでいた。
そんな関係だから、〈友達〉とか〈同級生〉といった呼び方よりも、昭和の呼び方〈マブダチ〉の方がよく似合う。

お互いの実家も指呼の距離で、徒歩約10秒。
そんな感じだから、おばさんには幼い頃から可愛がってもらった。
だから、どうしてもご焼香させてもらいたかったのだ。



          ◆



実家へお伺いしたら、友人とおじさんが出迎えてくれた。
思ったよりも元気そうに見えたが、まだ亡くなられて1週間足らず。
きっと2人ともまだ気が張っていて、悲しむどころではないのだろう。

〈覚悟はできていた〉

と、友人とおじさんは淡々とそう言った。

それは、それなりの長さの闘病生活だったからだろうけれど、それでも2人にとっては、世界でたった1人の伴侶であり、世界でたった1人の母親。

もうしばらく時間が過ぎて、諸々の手続きやら支払いやらがひと段落したら、じわじわと寂しさを感じるようになると思うよ・・・と先に父親を見送ったワタシは、ちょっと先輩ヅラをしてそんなことを口にした😅

おばさんの話をはじめ、ワタシや友人の子どもの頃の話といったよもやま話がひと段落した後、おじさんが奥の部屋から、あるモノを持って来た。



ガラスケース。
中に、盆栽のような木。
銀杏か?・・・いや、よく見ると葉の部分が銀杏じゃない。



折り鶴だ。

おじさん曰く、おばさんの快復を願って千羽鶴を作り始めたのだけど、単なる千羽鶴だと面白くないのでこのようなカタチにしたとのこと。

しかし千羽鶴なのに鶴の数は1,000羽ではなく、1,001羽なのだそうだ。
おじさんにその理由を訊ねたら、笑いながらこう言った。

「1,000羽鶴を折っても願いが叶わないことがよくある。でも、1羽多かったら願いが叶うんじゃないかと思うてな」




・・・やばい・・・涙腺が・・・




おじさんの本願は叶わなかったが、この1,001羽の折り鶴を折り終えた直後、それまでほとんど口から食べることができなかったおばさんが、少しだけ食事ができるようになったそうだ。

「だから、少しは願いが叶った」

そう言って、おじさんはまた笑った。




          ◆




おじさんは、今年85歳。
実は、ワタシの亡き父親と同い年。

余談だが、この千羽鶴の木、出来上がっておばさんが入居していた施設へ持って行ったところ、施設で大評判となり、入居しているお爺さんお婆さん達から「ワシにも作ってくれ、ワタシにも作ってくれ」と注文が殺到しているそうだ。

「まぁ、少しずつ作っていくから気長に待っといてくれ、と言うとるがの」

どんな事であれ、誰かに何かを求められている限り、人はそうそう朽ち果てないような気がする。

おじさん、どうかこれからもお元気で。

長生きしてな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いやー、まいった、まいった。

2025-01-07 | Weblog
吉沢 亮くんが、大変なことになってますね。

酒に酔って、隣の部屋に無断侵入してしまったとか。

今回のこのニュースを聞いて、昔のある出来事を思い出した。



         ◆



ワタシが大学生だった時。
広島のアパートで一人暮らしをしていたのだけれど、ある日の夜、友人が遊びに来て、テレビを見ながらその友達とコンビニで買った弁当を食べていたら、突然、玄関のドアがノックもなく開いて、見知らぬ人間が入ってきた。

ワタシが暮らしていたその部屋はワンルームで、リビングと玄関が直結していたので、玄関が開くと誰が入って来たのかすぐに分かる間取りだった。

背格好からして同世代の二十歳前後の男。
リュックを背負い、ヘルメットを片手に持っていたから、バイクにでも乗って来たようだ。

「いやー、遅くなった、すまん」

男はそう言いながら、俯いたまま靴を脱ぎはじめ、

「店長がなかなか帰えらせてくれんかったのよ〜」

と言葉を続けて靴を脱ぐと、相変わらず俯いたまま、勝手知ったる感じで遠慮なくドカドカと部屋に入って来た。

「いやー、まいった、まいった」

と言いながらついにリビングまで入って来たところで、男は初めて顔を上げた。

そして、呆気に取られて箸を持ったまま固まっていたワタシ達と眼があった。



「・・・・・ま、間違えました・・・・・」



男は小さな声でそう口にすると、お手本のような綺麗な〈まわれ右〉をし、そそくさと部屋から出ていった。

ワタシが暮らしていたアパートは5階建てで、しかもエレベーターもなかったので、おそらくその男は、階段をぐるぐると登っていくうちに、4階にあったワタシの部屋と、3階か5階にあった知り合いの部屋を間違えてしまったのだろう。

男が去った後、ワタシと友人は、床に這いつくばって笑い転げたことを今でもよく憶えている。



          ◆



今回の吉沢亮くんの行動は、もちろん褒められたものではない。
しかし、薬物や暴力といった類いの不祥事ではないわけだし、しっかりと反省して、また出直せばよいのではないか?・・・とワタシは思っているのだけど。

まだ30歳でしょ?
十分、やり直せるよ👍

・・・と、神技的な編集で、中居くんがまったく出てこない「世界仰天ニュース」を見ながら、そんなことを思ったのだった。

※写真は一人暮らしをしていたアパート・ブルーコーポ横川。現在は取り壊されて、もうありません😅
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水牛の角。

2024-11-27 | Weblog
今日、地元の商工会議所の表彰式に出席した。


永年勤続30年の表彰式。


会社の会長・社長をはじめ、地元のお偉いさん、商工会議所の皆さん・・・etc.
顔なじみの方から今日初めてお会いした方まで、数多の人から〈おめでとう〉の声をかけていただいた。


〈これは別にゴールではないし、あくまでも通過点なので・・・〉


デビュー20周年とか30周年を迎えたミュージシャンが、雑誌のインタビューでそう答えているのを読んだことがある。そういった発言を眼にする度に、

〈なーーーーに、カッコつけてんだよ、素直に喜べばいいじゃんよ〉

と思ったものだが、今のワタシには、そんなミュージシャンの気持ちが少しは分かるような気がする(笑)

おめでたいと思っているのは、どちらかといえばもっぱら周囲の人々であって、当人は至って冷静というか・・・。
バタバタバタバタとした1日を365回過ごすうちに1年が過ぎ、そんな1年を30回繰り返しただけ・・・といえばよいのだろうか。

今回の表彰も、最初は頑なに固辞していた。

今までも、デザインや小説のコンクールといった表彰式には出席したことが何度かある。
しかしそれは、自分なりに〈努力した〉という自負がどこかにあったから喜んで出席したのだと思う。

だが、今回のそれは、どうもそんな感じがしない。

上述したように、単なる〈時間の経過〉のような思いがあるし、何よりも、本人が〈頑張ったなぁ〉という実感がカケラもないのだ(笑)

・・・とは言っても、ずっと働き続けてきたから、今のワタシの人生があるのも事実なわけで。

そして、平成大不況やリーマン・ショックやコロナ禍といった木っ端微塵になりそうな暴風雨に襲われても、会社が雇用し続けてくれたことも事実。

そんな別の側面を思うに連れ、ワタシの中で少しずつ心境が変わっていったのか、会社側との何度かの話し合いを経て、

〈まぁ、ワタシの表彰が、少しでも会社の宣伝になるのなら・・・〉

というスタンスで、今回の表彰式に臨んだ次第。



それにしても、30年か・・・(苦笑)😅



前の会社を逃げるように辞めて、25才で中途入社。
最初に担当した仕事は、地元の店の小さな看板のデザインだった。
広告代理店と標榜はしていても、看板制作が主体で、印刷媒体もほとんど手がけておらず、テレビやラジオCMはもちろん、企業まるごとの案件やイベント全般を手がけるなんて、夢のまた夢のような話。
インターネットもまだ存在しておらず、デザインもパソコンではなく、手描きが当たり前の時代だった。
もっともそれ以前に、ワタシ自身、なーーーんにも作れなかった(笑)



それを考えれば、遠くまで来たんだなぁ。



40代を迎えた頃だっただろうか。
デザインを生業にしているのに独立していないことを、どこか負い目に感じていた時期もあった。

でも、もう今はそんな気持ちはないかも。

自分で選んだ道だからな。
ここまで来たのなら、それを正解にしてみせる。



          ◆



今回、表彰式に出席するにあたって、ひとつだけこだわったことがあった。

それは、今日着て行ったスーツ。
表彰式に出席することを決めた時から、当日は〈あのスーツ〉を着て行こうと決めていた。

それは、30年前に購入したスーツ。

入社した年の晩秋(ちょうど今頃の季節)に、それなりの店に行って購入した。

試着した時に店員さんが

〈これ、ボタンが水牛の角なんですよ〉

と自慢げに言っていたので

〈あ、そうなんだ、それはイイネ〉

なんて答えたのだけど、水牛の角だろうがプラスチックだろうが、20代の若造にその違いなんて分かるわけがない(笑)
それでも分かったフリをして、半年ローンで購入した。
最近はまったく袖を通していなかったのだけど、今回久しぶりにクローゼットから引っぱり出した。





濃いグレーのシングル3つボタン。

ちょっと時代遅れの感はあるが、そんなスーツの方が、なんだかワタシらしい気がする。

オマエもまさか、30年後のこんな日に着てもらえるとは思わなかったよなぁ。

まぁ、〈水牛の角〉の良さは、相変わらずオレには分からんけれど(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正常値。

2024-10-27 | Weblog
昨日は、近所の内科へ。

先日してもらった血液検査の結果を聞きに。



血糖値をはじめ、すべての数値が正常値に戻っていた。



聴診器をお腹に当てながら、

「よく、ここまで体重を減らせたねぇ、うん、よくやった👌」

と、先生。

先生曰く、もう減らさなくてもいいから、これからは今の体重のキープを目標とするように、とのこと。

実はそっちの方が格段に大変なんだよなぁ、リバウンドの達人としては(笑)

今回の検査は糖尿病の簡易的な血液検査なので、詳細はまた年に一度の人間ドックで調べることに。

まぁ、それでもとりあえずは、ひと安心。



          ◆



さて、投票に行ってきます。

この国も、できるだけ正常値に近づきますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご健闘をお祈りしています。

2024-10-09 | Weblog
衆議院が、解散した。

とりあえず、投票には行きます。
少なからずワタシは、ちゃんと税金を払ってるので。



写真は、昨日の地元の新聞。

記事を見て、ビックリ。

この産原氏、2年前の参議院広島選挙区に立候補されて、この度、国政選挙に二度目の挑戦をするそうだ。
しかも立候補する選挙区は、岸田元総理の牙城・広島1区。

そのチャレンジ精神に驚いたことも事実なのだが、それよりも驚いたのは、この産原氏・・・



ワタシが以前勤めていた会社の先輩なのである。



その会社は広島市内の広告会社だったのだけど、それはそれは激務の会社だった。
深夜残業も徹夜も当たり前で、新卒で入っても3年勤めればもうベテラン扱いだったから、そのことだけでも、どれだけ離職率が高かったか察してもらえるのではないだろうか。

新卒で入社したワタシも、結局3年持つことができずに2年余りで白旗をあげ、退職願を上司に出した。

そのような企業体質が常態化した会社だったから、さほど慰留されることもなく、比較的すんなりと受理されたのだけど、数日後、とある先輩社員に声をかけられ、給湯室だったか喫煙室で2人きりで話をしたことがあった。


その先輩が、産原さんだった。


「辞めんのか?」

はい。

「辞めて、どうすんだ?」

実家に帰ろうかと。向こうで仕切り直します。

「お前は辞めないと思ってた・・・今辞めても、仕事ないぞ・・・」

・・・たしか、そんな会話を交わした記憶がある。

産原さんにすれば、怒涛の就活を乗り越えて、せっかく希望通りの制作部デザイン課に配属されて、さぁこれから!という時なのに、お前は何を考えているんだ⁉︎・・・という感覚だったのかも知れない。
ワタシと対峙している間、産原さんは、終始苦渋に満ちた表情をしていた。
そのことも、今でもよく憶えている。

上述した通り離職率の高い会社だったから、先輩社員から退職を引き留められることもなく、慰留の言葉をかけてくれたのは、この時の産原さんだけだった。
だから余計に、今でも忘れていないのだと思う。



          ◆



あらためて、新聞記事を読み直す。

産原さんの職歴も書いてあった。

産原さん自身も新卒で入ったはずのその広告会社のことは記載されていない。
その代わりに、その後の職歴が羅列されてある。

保険代理店→住宅メーカー→マツダの期間社員→正社員と、けっこう転々とされていたようだ。

皮肉なものだ、と思う。

辞めるワタシに転職の無謀さを説いてくれた人がその後は職を転々とし、かたや、〈石の上にも三年〉すら出来なかったワタシが、辞めた翌年に転職した会社に入って、今年で勤続30年。

ともかく、ご健闘をお祈りしています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イケイケ、55❗️

2024-09-19 | Weblog
誕生日を迎えました。

55歳。
ひと昔前のサラリーマンなら、今年で定年。
・・・感慨深いです。(笑)

最近、ふと思う。

年齢的には50代半ばになったけれど、身体の中身的には、どう考えても40代半ば辺りから成長していないのではないか?

それどころか、自分の思考や行動の原理になるようなモノは、40代どころか、20歳前後からほぼ変わってないような気がする。

この歳までそんな風に生きてきたのだから、これからも歳を重ねるに連れて年齢と中身がどんどん乖離していくのではないか?と思ったり。

そして、やがてそれが〈歳は取ったけど、気持ちはまだまだ若いぞ👍〉という厄介な勘違いの根を張りはじめ・・・

なーるほど。
その行き着く先が、〈老害〉ってヤツか(笑)

いかん。
誕生日に、なんてネガティブなことを😅



          ◆



眼鏡を外して、洗面台の鏡を見る。

先日のブログにも書いたけれど、ずいぶん痩せて、顔の輪郭が変わった。

長年、絵描き歌のような丸顔だったのに、少し面長になったような気がする。
両眼の周りの脂肪も減って、瞼が少し窪んで、こちらも長年見事な一重だったのに、今ではキレイな二重のパッチリおメメ👀になっている。
そんな鏡の中の自分を見て思った。



オレ、死んだ親父にそっくりじゃん。



背格好や短気なところや、おまけに髪が薄いところとか、断片的に似ているところはあったのだけど、顔だけは両親のどちらにも似ていないと思っていたし、周囲の人からもそう言われ続けてきた。

何のことはない、単にワタシが太っていただけなのだ(笑)

そんな新たな発見があるのも、歳を重ねたおかげなのかも。

よし。
これで、なんとかこのブログをポジティブに閉めることができそうだ(笑)


          ◆


今日は、たくさんのお祝いのメッセージをいただき、ありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

最後に両親へ。
今年も無事に誕生日を迎えることができました。
僕を産んでくれて、ありがとう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原爆忌。

2024-08-06 | Weblog
今日は、広島79回目の原爆忌。

朝、いつも通りクルマで仕事へ出かけたのだが、その途中午前8時15分になる直前にクルマを路側帯に停車し、少しの間だけ瞼を閉じた。
広島県民として、また親戚に被爆者が多数いる者としては、今日だけはどうしても厳かな気持ちになる。

原爆記念日に平和公園に行ったのは、最近では10年くらい前。
当時まだ小学生だった息子と二人で行ったのが最後だと記憶している。

そろそろ、また訪れようか。
その時には、広島の郊外にある、遺骨が一柱も入っていないのに〈昭和二十年八月六日〉の享年月日だけが刻まれた親戚のお墓にも久しぶりにお参りしよう。


          ◆


このブログを以前から訪れてくださっている方はご存知かと思うが、ワタシはミュージシャンの浜田省吾の曲をよく聞いている。
彼も広島出身。そしてお父様は被爆者。
あの日、警察官だったお父様は救助のために壊滅した広島市内に入ったそうだ。いわゆる入市被曝だ。

地元の新聞のニュースサイトにそれにまつわる浜田省吾の記事がアップされていた。
もう10年以上前の記事ではあるが、貴重な証言だと思う。
ぜひ多くの方に読んでいただければと思う。
広島世界平和ミッション 賛同者・浜田省吾さんの父・敏太さんの原爆投下朝の体験記

広島世界平和ミッション 賛同者・浜田省吾さんの父・敏太さんの原爆投下朝の体験記

■賛同者メッセージ  昨年の暮れに中国新聞社の方から「広島世界平和ミッション」に寄稿を依頼され、 広島で救援活 […]

中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

 

話は変わるが、今日は母の80回目の誕生日。

広島で生まれ育った人間としては、なかなか盛大に祝えない日が誕生日ではあるが、今年だけは家族全員が集まるお盆の時に、ちょっとだけ派手にお祝いをしようと思います。

誕生日おめでとう。いつまでも元気で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やり直せない人生。

2024-06-10 | Weblog
今日の新聞のテレビ欄。

NHKの「映像の世紀」が眼に入った。

〈ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道〉

この番組は「映像の20世紀」の頃から好きでよく見ていたのだけど、今回の内容も面白そうだ。

でも最近は、時計の針が10時を指す頃にはもうだいたい布団に入っている。
今日は休み明けの月曜日だったし、昨夜は眠りが浅かったので、もうこの時間(午後9時15分)でも瞼が重くなりはじめている。
なので、とても最後まで見れそうにない・・・

そんな気持ちだったからか、テレビ欄を眺めながらほとんど無意識のまま

「ルート66かぁ・・・」

と独り言を呟いてしまった。
すると、それを独り言だと思わなかったのか、近くにいた娘が反射的にワタシにこう訊いてきた。




「ん? ナニ⁇ ニート66⁇?




・・・66歳でニートだったら、それはもう残念だけど、やり直せないだろう(笑)

いや、人間はあきらめなければ何歳からでもやり直せるか。

さてはて、本当はどうなんだろう?

まぁ、みなさん、明日もがんばりましょう😅
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルハラの権化。

2024-02-23 | Weblog
つい数週間前に、ネットのニュースで知った。

マルハラ、というハラスメント。

なんでも、SNSの文面において、句点の(。)を使用することによって、文面が冷淡に感じたり怒っているように感じることをいうそうだ。
そして、そう感じているのは、圧倒的に中高年から若い世代へ対するメッセージの文面とのこと。

思い返せば・・・

娘や息子から送られてくるメッセージには、句点(。)はほぼ付いてない。
時には読点(、)も付いてないことがある。
そして、端的にというか何というか、恐ろしく短い。

そして、もうひとつ思い返せば・・・

このブログの日々のタイトル。
英文字がタイトルの場合以外、つまり、日本語でタイトルを記した時は、必ず句点(。)を付けている。

それどころか、このブログ自体も、そのタイトルには「りきる徒然草。」と、思い切り句点(。)を付けている。

見方によっては、これはもう、マルハラの権化じゃないか(笑)

だけど、これにはそれなりの理由があって。

ワタシが働いているのは広告業界であり、ワタシ自身、コピーライターやコピーライティングへの憧れからこの業界に入った人間だった。

糸井重里、仲畑貴志、真木準・・・といった憧れたコピーライターが世に出してきた著名な名コピーには、必ずと言っていいほど最後は句点(。)で終わっていた。


くうねるあそぶ。

よろしく。

タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。

おしりだって、洗ってほしい。

カゼは社会の迷惑です。

でっかいどお。北海道。

ホンダ買うボーイ。


・・・などなど、挙げはじめればキリがない。

そんな70年代から90年代にかけての広告コピーに感化された人間としては、句点(。)で終わらない文章は、どうも座りが悪い。
どことなく尻切れトンボのような、まるでパンツを穿いてないような、そんな落ち着かない気持ちになってしまうのだ。

だから、このブログでは先達のコピーライターへのリスペクトも込めて、タイトルはもちろん、中身の文章にも、句読点だけはきちんと付けてきた。

しかし今や、こういう文章表現さえも、ハラスメントになる時代になったんだなぁ・・・。

マルハラというモノを知って以来、ちょっと考えはじめた。

このブログも、もう今後は句点(。)は付けない方が良いのかどうか。

時代の最先端を走ってるわけではないけれど、それでも出来るだけ時代に合わせたアップデートはした方が良いわけだし。

しかし、ここでもうひとつ、思い返した。

そもそも、このブログには・・・








若い人は訪れていない(笑)









まぁ、そんなわけで、このブログは、今まで通りでまいります😅
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする