りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

やり直せない人生。

2024-06-10 | Weblog
今日の新聞のテレビ欄。

NHKの「映像の世紀」が眼に入った。

〈ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道〉

この番組は「映像の20世紀」の頃から好きでよく見ていたのだけど、今回の内容も面白そうだ。

でも最近は、時計の針が10時を指す頃にはもうだいたい布団に入っている。
今日は休み明けの月曜日だったし、昨夜は眠りが浅かったので、もうこの時間(午後9時15分)でも瞼が重くなりはじめている。
なので、とても最後まで見れそうにない・・・

そんな気持ちだったからか、テレビ欄を眺めながらほとんど無意識のまま

「ルート66かぁ・・・」

と独り言を呟いてしまった。
すると、それを独り言だと思わなかったのか、近くにいた娘が反射的にワタシにこう訊いてきた。




「ん? ナニ⁇ ニート66⁇?




・・・66歳でニートだったら、それはもう残念だけど、やり直せないだろう(笑)

いや、人間はあきらめなければ何歳からでもやり直せるか。

さてはて、本当はどうなんだろう?

まぁ、みなさん、明日もがんばりましょう😅
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マルハラの権化。

2024-02-23 | Weblog
つい数週間前に、ネットのニュースで知った。

マルハラ、というハラスメント。

なんでも、SNSの文面において、句点の(。)を使用することによって、文面が冷淡に感じたり怒っているように感じることをいうそうだ。
そして、そう感じているのは、圧倒的に中高年から若い世代へ対するメッセージの文面とのこと。

思い返せば・・・

娘や息子から送られてくるメッセージには、句点(。)はほぼ付いてない。
時には読点(、)も付いてないことがある。
そして、端的にというか何というか、恐ろしく短い。

そして、もうひとつ思い返せば・・・

このブログの日々のタイトル。
英文字がタイトルの場合以外、つまり、日本語でタイトルを記した時は、必ず句点(。)を付けている。

それどころか、このブログ自体も、そのタイトルには「りきる徒然草。」と、思い切り句点(。)を付けている。

見方によっては、これはもう、マルハラの権化じゃないか(笑)

だけど、これにはそれなりの理由があって。

ワタシが働いているのは広告業界であり、ワタシ自身、コピーライターやコピーライティングへの憧れからこの業界に入った人間だった。

糸井重里、仲畑貴志、真木準・・・といった憧れたコピーライターが世に出してきた著名な名コピーには、必ずと言っていいほど最後は句点(。)で終わっていた。


くうねるあそぶ。

よろしく。

タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。

おしりだって、洗ってほしい。

カゼは社会の迷惑です。

でっかいどお。北海道。

ホンダ買うボーイ。


・・・などなど、挙げはじめればキリがない。

そんな70年代から90年代にかけての広告コピーに感化された人間としては、句点(。)で終わらない文章は、どうも座りが悪い。
どことなく尻切れトンボのような、まるでパンツを穿いてないような、そんな落ち着かない気持ちになってしまうのだ。

だから、このブログでは先達のコピーライターへのリスペクトも込めて、タイトルはもちろん、中身の文章にも、句読点だけはきちんと付けてきた。

しかし今や、こういう文章表現さえも、ハラスメントになる時代になったんだなぁ・・・。

マルハラというモノを知って以来、ちょっと考えはじめた。

このブログも、もう今後は句点(。)は付けない方が良いのかどうか。

時代の最先端を走ってるわけではないけれど、それでも出来るだけ時代に合わせたアップデートはした方が良いわけだし。

しかし、ここでもうひとつ、思い返した。

そもそも、このブログには・・・








若い人は訪れていない(笑)









まぁ、そんなわけで、このブログは、今まで通りでまいります😅
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30年か。

2024-02-14 | Weblog
今日は、バレンタインデー。

職場でも、チョコを貰いました。

贈ってくれた相手は、34歳の・・・














        男(笑)🤣












今日、一緒にお客様のところへ商談に行ったのだが、その帰りに、「これ、どうぞ」と手渡された(笑)

実はクライアントのところへ行くにあたって、数日前に社内的な打ち合わせを彼としたのだが、その時にふと、その日がバレンタイン・デーだということに気づき、そしてワタシはもうひとつ、バレンタイン・デーとは別のことを思い出して、それをポロリと独り言のように彼の前で呟いたのだった。

「あ、オレ、14日に入社したんだわ・・・今年で30年だよ・・・」

後輩は、その独り言を覚えていたらしい。



「いつもお世話になってますから。おめでとうございます」

後輩は、そう言って、可愛いパッケージのチョコレートをワタシに手渡してくれた。



ワタシも人の子なので、どんなカタチであれ祝ってもらえたら、やっぱり嬉しい。

それが例え、34歳の男からのチョコレートであっても(笑)

何度もお礼を言って、バッグに仕舞った後、

「これ、ホワイトデーに返した方がいいのか?」

と、ワタシがそう尋ねたら、いやいやいやいや、と手を振りながら笑っていたが(笑)

いやはや、ホントにありがとう。





          ◆





それにしても、30年か。

会社には失礼極まりないかも知れないが、入社した当時は、まさか30年も勤めるとは想像すらしていなかった。

会社員としては誉れかもしれないけど、グラフィックデザインを生業にしている人間としては、はたしてどうなのか・・・そんな思いがないと言えば嘘になる。

それでも、まぁ、以前の会社を辞めたのも、帰郷後、今の会社に入ったのも、そして今まで働き続けてきたのも、決めたのは誰でもなく、すべては自分自身。

そろそろゴールが近づいてきた年齢になりつつあるけれど、ここまで来たのなら、その選択がやっぱり正解だったと思える働き方というか生き方を、出来るところまでしていきたいと思います。


〈余談〉
後輩から貰ったチョコレートを家に持って帰ったのだが、妻や娘に説明するのがちょっと面倒ではありました(笑)
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謹賀新年2024

2024-01-02 | Weblog

明けましておめでとうございます。






写真は、先ほど撮った、今日、1月2日の空。

快晴です。

真っ青。

でもよく見ると、遠くの空に、雲が少し。


こういう空を見ると思います。


雲があるからこそ、空は空らしく見えるのではないかと。

一片の雲もない完璧な青空は、それはそれで気持ちが良いかもしれないけれど、何だかのっぺらぼうのようで現実味がなく、むしろ気持ちが悪いのではないかと。


これは、人間も同じような気がします。


完璧なのっぺらぼうの人生よりも、どこかに傷があったり汚れがあったり破れた跡があるような凹凸のある人生の方がよっぽど人間らしい。


今さら完璧な人間にはなれないけれど、自分なりに納得の行くような生き方を今年もできれば、と思っています。


・・・とまぁ、新年早々、何をウダウダ講釈を垂れているのか😅


2024年も、こんな感じでブログを更新していこうと思います。


本年も宜しくお願いいたします😊

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波状攻撃。

2023-12-16 | Weblog




先日、とある方のブログを読んでいたら、ありがたいことに、ワタシのこのブログを紹介してくださっていた ↓
思い出ジュークボックス♪ の始まり始まり! (知ってる人もいるかも) - 思い出ジュークボックス

思い出ジュークボックス♪ の始まり始まり! (知ってる人もいるかも) - 思い出ジュークボックス

ご訪問頂き有難うございます😊思い出ジュークボックス🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈黒字私赤字裏方さん🌈🌈 ...

goo blog

 


文章の鍛錬に・・・と、このブログを始めて、今年で15年。

最初の頃はほぼ毎日のように更新していたが、最近は、1ヶ月に1〜2度程度の更新にまで落ち着いた。

始めた当時は、他のSNSをまだそれほど能動的に使っておらず、また、それらは今ほど市民権を得ていなかったような記憶がある。

だから、自己の発信手段としては、ブログが一番手っ取り早かったし、何よりも、自身の文章表現の手段としては、ブログが一番肌に合っているように思えたのだ。

そしてそれは、たぶん正解だったのだろう。

以来、自身やその周囲で起こったことを、硬軟織り交ぜながら、このブログに書いてきた。

時が流れ、最近は確かに更新頻度は落ちたけれど、そのぶん、最初期の取るに足りない内容のブログよりはギュッと濃縮した内容になっているのではないか・・・と、誰も言ってくれないので自分で言っておく(笑)

今回、ワタシのブログを紹介してくださったブログ主のひろひろさん。

リンクを貼ったブログにも書いてくださっているように、10年近く前に書いた〈大阪市大正区鶴町。〉という日記で、ワタシのブログの存在を知ってくださったそうだ。

さらに嬉しいことに、それをきっかけにご自身でもブログを始められたとのこと。
ひろひろさんは数年前に脳の病気をされたそうで、ブログを始められた理由としては、そのリハビリの一環ということもあるそうだ。

以来、ワタシも更新の通知が届くたびにひろひろさんのブログを拝読していたのだが、内容を読んでいて気になることがひとつあった。

それは、ブログのネタ、文体、掲載する昔の写真・・・etc.
そういったブログの端々に、ことごとく同世代の匂いがすること(笑)

先日、思い切ってコメントで尋ねたところ、同世代どころか、全くの同い年だと判明した。

ひろひろさんのブログは、写真を多用されていて、文章の構成や言葉の使い方も個性的。
いわば、最近のブログの主流のスタイルに近いのかも知れない。
読んでいると、“あぁ、こういう表現の仕方もあるんだなぁ”と感心させられることもしばしば。

文章に重きを置いたスタンスのワタシのブログは、どちらかと言えば、今ではもう古い、ひと昔前のスタイルなのかも。

でも、目的が違えば手段も変わるように、様々なカタチがあってよいのも事実。

まぁ、ワタシはワタシのスタイルで、これからも細々と続けていこうと思います。

大阪在住で、同い年で、病気を乗り越える手段としてブログを活用されているひろひろさん。

ワタシも息子が大阪の大学に進学して以来、以前よりも頻繁に大阪に行くようになったし、一度お会いしてみたいものです。

・・・ということで、今回はワタシのこのブログを紹介していただいたお返しに、ひろひろさんのブログをご紹介させていただきました。

それぞれのブログを紹介しあったということで、これで互いの訪問者数が上がれば・・・。

いわば、ブログの波状攻撃ですな(笑)


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はだしのゲン。

2023-08-06 | Weblog




家の本棚に、3冊だけある。


10巻のうちの、2巻・3巻・4巻。


誤解を恐れずに言えば、この3冊を読むだけでも、原爆というモノがいったいどのようなモノなのか、否応にでも分かると思う。


最近、広島市の平和教育副教材から、この漫画が削除されたそうで、その波紋が広がっているとのこと。


詳しい経緯や理由はよく知らないのだけど、新聞やニュースを見た限り、直接的ではないにしろ、どうやら政治的な理由が見え隠れしている様子。


しかし。


普通に暮らしていた人々が一瞬で命を奪われ、生き残った人々を後々まで原爆症で苦しめている理不尽な悲劇を前にして、政治的なイデオロギーなど関係ないと思うのだが。


悲惨な事実を知らないまま、原爆が落とされた年号や犠牲者の数だけを記号のように暗記した人間を増やしていったところで、それがいったい何になるのか。


原爆で亡くなった親戚を持つ者としては、そう思う。


今日は、久しぶりにこの本を読みながら、静かに過ごそうと思います。




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これ、どーなのよ?

2023-08-01 | Weblog
スマホでYahooニュースとかを見てたら、最近この広告がしょっちゅう出てくる↓



最近、わが家の外壁汚れが気になりはじめたので、先日、家の外壁塗装についてスマホで検索したのがきっかけなのだと自分でも分かっているのだが、問題はそういうことではなく。

この広告の画像を見て、〈あれ?〉とか、〈ん?どこかで見たことがある…〉と思われた方もいるのではないだろうか。

そして、そう感じた方は、おそらく同世代で音楽が好きな方ではないだろうか。

なぜそう推測したかというと・・・↓



今からもう40年も前のアルバムだから、バレないとでも思ったのかね。

最近、色々と世間から叩かれた達郎さんも、さすがにこれは怒るかもよ(笑)
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You are so beautiful.

2023-07-18 | Weblog
出会ったのは、ワタシが26歳の時だった。

今の会社に転職して半年が過ぎた頃。
ロクなデザインを作れなかったワタシを見かねた会社の先輩が、「ついて来い」と、その人の事務所へワタシを連れて行ってくれた。

事務所といっても、自宅の一室を改築したデザインルーム。

長大なモノトーンのデスク、その横にはエアブラシの道具一式。小さなライトテーブル。その上に無造作に置かれているカラーチャートや英文字の雑誌や古いレコードジャケット。
その奥には棚があって、なんのための道具なのかよく分からない銀色に光る機械がいくつも並んでいた。

1994年。

足音はすでに聞こえてはいたが、パソコンで自在にデザインをするような時代は、まだ地方のグラフィックデザイン業界には訪れてはいなかった。

「Sです」

その部屋の主は、ワタシにそう挨拶をしてくれた。

がっしりとした偉丈夫な身体つき。
低くて野太い声。
そして何よりも驚いたのが、髭を蓄えたその顔。

「勝新太郎の弟です」

と笑いながら自己紹介したその顔は、本当によく似ていた。
もちろん、なんら血の繋がりはない、赤の他人だったのだけど。

そんな全身から溢れる威圧感とは裏腹に、初対面の、しかもデザイナーとしてはまだまだ駆け出しのワタシに、Sさんは気さくに色々な話をしてくれた。

ワタシより10歳年上であること。
大阪芸術大学を首席で卒業したこと。
大阪のデザイン会社に数年勤めた後、フリーランスになったこと。
デザイナーやイラストレーターとしての仕事の傍ら、ジャズピアニストでもあること。
地元の企業やイベントのポスターから、福山ばら祭りなどのロゴマーク、地ビールのパッケージデザイン、洋服の青山のCM、来生たかお・岩城滉一・中村雅俊のアルバムジャケット・・・など、今まで手がけた仕事のこと。
クルマは古いBMWに乗っていること。
タバコはショートホープしか吸わないこと・・・etc.


オトナ、だった。


当時、まだ学生気分が抜け切っていなかったワタシにとって、それまでに出会った人の中で、群を抜いて〈オトナ〉の匂いを感じる人だった。


          ◆


以降、ワタシは時折りSさんの事務所に顔を出すようになった。
会社勤めで、しかも社内で1人だけの“デザイナーもどき”だったワタシにとって、Sさんは自分が持っていないモノを全て持っている〈先生〉のような存在だった。

しかし、事務所に長く居続けても、仕事やデザインの話はほぼ皆無。
なぜなら、事務所の中は所ジョージの〈世田谷ベース〉ばりにありとあらゆる〈男のおもちゃ〉が溢れていたからだ。
部屋の中に転がる腕時計やミリタリーグッズや用途不明な機械や小物を手にしながら、ワタシとSさんは生産性のない取るに足りない雑談の花を、仕事も時間も忘れてひたすら咲かせ続けた。


          ◆


それでも、たまには仕事の相談にも乗ってもらった。
ある時、どうやっても上手くいかない、自身が腑に落ちるモノが創れなかった時のこと。
Sさんの事務所に赴き、制作途上だったそのラフデザインを見てもらった。

「ダメだね」

ラフデザインを見るや否や、Sさんはそう言って一蹴し、そしてこう続けた。

「仕事を真面目にすることは、もちろん大事。でもね、りきるくん、その前に、もっと遊ばなきゃ」

安易に優しいアドバイスをもらおうとしていたワタシは、その言葉の意味すら分からなくて、ますます混乱してしまった。


          ◆


25年前。
ワタシが結婚した直後。
滅多に来社することがなかったSさんが、突然ワタシが勤める会社にやって来た。

「おー、おめでとう」

自分のデスクから受付カウンターへ顔を出したワタシの顔を眼にするや否や、Sさんはそう言って手にしていたシャンパンをワタシに手渡し、そして

「じゃあね」

と、笑顔で軽く手を上げると、瞬く間に会社を後にした。


          ◆


15年ほど前。
いよいよ、インターネットがメディアのメインストリームとなりはじめた頃。

全国のクリエイターから作品を募るサイトを見つけたワタシは、そのサイトを通じて自身の作品の発表をはじめた。
そのことをSさんに伝えたところ、興味を持ったSさんもそのサイトに参加することになり、全国のクリエイターに混じってそのサイトで作品の発表をはじめた。

それから数年後、そのサイト主催の共同個展を東京で開催することになり、ワタシとSさんも作品を出品し、開催期間中、ワタシも上京し会場へ訪れた。

原宿の小さなギャラリーは予想以上に盛況で、その中でもギャラリーの最奥に掲げてあった作品の前には、立ち止まって鑑賞する幾人もの人がいた。

Sさんの作品だった。

ワタシの作品も含めて、比較的分かりやすい、来場者に迎合的な作品が大半だった中で、Sさんの作品は明らかに異彩を放っていた。
入口のすぐ横に掲げてあったワタシの作品に立ち止まる人なんて、ほとんどいなかった。

勝負で言えば、完敗。コールドゲーム。

それでもワタシは、嬉しかった。
Sさんと初めて同じ土俵で勝負ができたことが、何よりも嬉しかった。  


          ◆


数週間後。
個展の報告も兼ねて、ワタシはSさんと呑みに行った。

Sさんと初めての呑み。しかも、サシ呑み。
その時の詳細を話すのは無粋のような気がするので、ここでは話さない。

ひとつだけ言えば、Sさんと過ごしたあの時間は、ワタシの宝物だ。

自分が〈オトナ〉になったと実感した酒の席は、後にも先にも、Sさんと過ごした、あの時だけだ。


          ◆


ワタシは〈広告業界の人間〉としてSさんと繋がった人間なので、ジャズピアニストとしてのSさんとはあまり縁がなかった。

出会って間もない頃にあったイベントでのライブ。
尾道港にあった古い倉庫で開催されたライブ。
ホテルのディナーショーでのライブ。
・・・ワタシがジャズピアニストのSさんと接したのは、この3度のライブだけだった。

「ライブやるから、おいで」

Sさんからそう誘われて、近所のライブハウスへ出かけたのは、今から8年前。
狭いライブハウスは満席。そして、大盛況。
お酒片手にほろ酔いのジャズピアニスト・Sさんも上機嫌だった。
本編が終了し、アンコールを求められたSさんは、ピアノの弾き語りで歌いはじめた。

「You are so beautiful」

初めて聴くSさんのボーカル。
本家のジョー・コッカーに負けず劣らずの太く低く、そして暖かいその歌声に、不覚にも涙腺が緩んだ。


          ◆


Sさんが、入院した。

共通の知り合いからそう教えてもらったのは、6年前の夏だった。

仕事終わりの夜、お見舞いに行った。
病室の扉を開けると、そこにはワタシが知っている恰幅の良い偉丈夫なSさんはどこにもおらず、その代わりに、痩せてひとまわり小さくなったSさんが、ベッドの上にいた。

「いやぁ、けっこうな血を吐いてねぇ」

まるで天気の話でもするかのような口調で、Sさんはそう言った。

その後、いろんな話をしたはずなのだが、あまり憶えていない。

ワタシにとって無敵のような存在だったSさんの変わりようがあまりにもショックで、それ以外の事柄を記憶することができなかったのだろう。

「退院されたら、また事務所にお邪魔しますね」

そう言って、病室を出たこと以外は。


          ◆


3年前の冬。
ギャラリーのある小さな喫茶店。

Sさんが個展を開かれたと知ったので、久しぶりに陣中見舞いも兼ねて顔を出した。

壁に架け掛けられた、Sさんしか描けない作品たち。
誤解を恐れずに言えば、決して万人に理解はしてもらえそうにない。
だが、なんなのだろう。この五感を強烈に惹きつけられる不思議な引力は。

Sさんは、元気そうだった。

血色も良さそうだったし、体格も少しだけ元に戻ったように見えた。

お酒はやめた、とSさんは言った。
淡々と、少し寂しそうに。ショートホープではなく、電子タバコを燻らせながら。

「まぁ、りきるくん、何とかなるもんよ」

そう言ったSさんの背後に、Sさんが描いた一幅の絵が掲げてあった。

暗闇の中で、仄かに灯るランプ。
弱々しくも暖かく灯る、漆黒の中の、古いランプ。



          ◆



今年。
6月中旬の日曜日。

ワタシは久しぶりにSさんの自宅兼事務所へお伺いした。
事前に約束した時刻に到着したら、一緒に暮らしておられる家人の方が迎えてくださった。

Sさんとワタシがいつも座って談笑していた、リビングの広く長いモノトーンのテーブル。
その横に、真新しい祭壇。


その上に、小さな箱になったSさんがいた。


〈お、いらっしゃい〉と、今にもワタシに話かけそうな優しい横顔の遺影とともに。



          ◆



その前の週、とある知人から連絡が突然届いた。

〈Sさんが亡くなった〉

ご家族やごく親しい友人や音楽仲間に見守られて、Sさんは静かに旅立たれたのだった。

亡くなられてまだ間もないというのに、家人の方は気丈に振る舞わってくださり、時に笑顔まで見せてくださった。
ワタシはアホなので、それにつられて何も考えずに、家人の方が知らなさそうなSさんとの面白話を能天気に話してしまった。

でも、亡くなる数日前に、気力と体力を振り絞って、病院のロビーで音楽仲間と最期のジャズライブを開催した話や、病室に大好きなジャズが流れる中で、静かに旅立ったという話を家人の方が話された時には、さすがに息ができないほど胸が熱くなり涙腺が緩んでしまった。


最後の最後の最後まで、SさんはSさんの人生を生ききったのだ。


帰り際、家人の方が、とあるものをワタシに譲ってくださった。
それは、個展の時に制作した招待状と、手帳カバーだった。



見憶えのある手帳カバーだった。
Sさんがスケジュール管理をしていた手帳に使っていたような記憶がある。
本革の、使えば使うほど味わい深くなってゆく、そんな〈オトナの男〉が使うべき手帳カバーだ。



          ◆



結婚祝いにシャンパンをもらった数日後、当時地元のコミュニティFMでSさんが持っていた音楽番組をクルマを走らせながら聞いていたら、放送開始の開口一番で〈りきるくん、結婚おめでとう〉と流れてきて、驚きのあまりに事故りそうになったこと。



SNSでSさんが〈昔、ジェームス・ブラウンそっくりの駄菓子屋のおばちゃんがいた〉という投稿をしていたので、〈僕のおばあちゃんはボ・ディドリーにそっくりでした〉と写真付きでコメントしたら、真夜中に携帯電話が鳴り、出てみると電話の向こうから〈おい、ボ・ディドリーはないだろう〜〜!〉と、ちょっと酔っ払った泣き笑いのような、本当に楽しそうなSさんの声が聞こえてきたこと。



〈Sさんは、僕のお師匠さんですから〉とワタシが言うと、〈だったら、授業代を払え〉と、いつも笑いながら答えてくれたこと。



ワタシのこのブログにも、コメントをたくさん残してくれたこと。





          ◆





Sさんと知り合って以来(ということは、ほぼこの仕事に就いて以来)、デザインで壁にぶつかった時、〈Sさんなら、どうするだろう〉と考えるのが常だった。
もはやそれは、癖になっていると言ってもいい。そしておそらくこれからも、それが治ることはないだろう。

そんな時、決まってSさんが言っていたある言葉を思い出す。
もしかしたら、ワタシがSさんから最も多く聞かされた言葉かもしれない。

その言葉を最後に記して、この日記を終わりたいと思う。



〈デザインはね、何を使っても、何をやってもいいんだよ。でも、ひとつだけ絶対に守らなければいけないものがある。それはね、出来あがったものが、美しいこと〉



Sさん・・・酒井浩志さん、ありがとうございました。
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ひまわりの歌。

2023-07-16 | Weblog
脳出血を起こして、そこから復活することがどんなに大変なことなのか、きっと僕は知らない。

右半身が麻痺したのに、以前と同じようにステージで歌うことがどんなに大変なことなのか、もっと僕は知らない。

でも、以前と同じようにキーボードを弾きながらではないけれど、オリジナルの自作曲「ひまわりの歌」を懸命に歌うおたみさんの姿と歌声に、自然と目頭が熱くなった。



          ◆




「ステージに復帰する時は、必ず行くから!」
去年の春、おたみさんが倒れて間もない頃、僕はそうメッセージを送った。

当時のおたみさんは、身体を動かすどころか、言葉を話すこともままならない状態だったはず。

我ながら、なんて能天気で軽薄なメッセージを送ってしまったのだろうと、今でも思い出すと嫌になる。

「近いうちにご飯を食べましょうよ」

「今度、絶対会いましょうね」

オトナになってからというもの、こんな社交辞令にもならないような嘘を、僕は山ほどついてきた。

おたみさんは、その生き様を通して僕に人生というものを教えてくれた年上の先輩であり、大切な友人だ。

そんな人に、今までと同じような嘘をつけば、僕は人間としてとてつもなく大きな何かを、きっと一度に全て失ってしまう気がした。

・・・いや、そんな理屈は、どうでもいい。

何よりも、以前のようにステージで歌うおたみさんの姿を、僕はただただ見たかった。

今日。
僕は朝早くに家を出て、クルマで広島へ向かった。

そして、僕が〈ねーさん〉と呼んで慕っている、おたみさんの友人のてづりんさんも、僕と同じように・・・いや、僕以上のおたみさんへの想いを胸に、はるばる東京から駆けつけて来られた。

広島市内で合流した僕とねーさんは、一緒に小さなライブハウスへ向かった。

良いライブだった。

身体だけでなく一度は心も壊れかけた人がここまで歌えるようになるためには、いったいどれほどまでに頑張ったのだろう。

経験したことがない僕には分からない。
安易なことは絶対に言えない。

ただ、ひとつだけ。

ステージ上で、おたみさんは客席に向かって、何度も何度も涙を流しながら「ありがとう」を口していた。

何を言ってるんだ。

それは、こっちのセリフだよ。

おたみさん、本当に、ありがとう。

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時空の歪みのお店。

2023-06-28 | Weblog
昨日の「マツコの知らない世界」で特集をしていた、広島お好み焼き。

広島県民なので、もう数えきれないほどお好み焼きは食べてきたのに、昨夜の放送を見てからというもの、無性にお好み焼きが食べたくて食べたくて食べたくて、仕方がなくなっていた。

なので、今夜の夕食は、お好み焼き。



自家製ではなく、お持ち帰りを家族ぶん買って帰った。

お店は、同じ町内のお好み焼き屋さん。



観光客向けのような店ではなく、幹線道路から外れた裏通りにある、地元の人しか知らないようなお店。

どんな食べ物屋さんでも、本当に美味しいお店はこういうお店なのだ。

・・・とエラソーなことをのたまっているが、このお好み焼き屋さんに訪れたのは、実は中学生の時以来😅

実に、ナント40年ぶり(笑)

当時このお店の近くの塾に通っていて、その行き帰りに、同級生達と食べに来ていたのだ。

久しぶりに店の扉を明けるや否や、いやー驚いた。

店内の雰囲気が40年前と同じだっただけでなく、お店の主も、40年前と同じおばちゃんだったのだ。

一瞬、時空の歪みに落っこちてしまったのかと思った(笑)

しかし、帰宅後、すぐに食べて納得。

やっぱり、時空の歪みに存在するようなお店のお好み焼きは、間違いない。

美味しゅうございました。
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