りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

怒濤。

2010-11-30 | Weblog
今日で11月も終わり。

今月は、タイトルどおりの1ヶ月だった。
思わぬこと、予想外のこと、ラッキー・アンラッキーの次元を超えた出来事のオンパレード。

まずは、テレビ出演。
いきなり、非日常的な出来事(笑)
反響もそれなりにあったし、僕自身にとってもエポックメイキングな出来事だった。

で、翌日に腰痛発生。
正確には、持病の腰痛が極度に悪化したわけですが。
とにかく、これには参った
整形外科、整体、カイロプラクティックと、今考えられる治療すべてをやってみた。
(あんまりいいことじゃないのは承知の上だったけど
異口同音に言われたのは、原因は、長年の腰痛の放置、気温の低下、ストレス・・・などなど。
そしてもうひとつ。

「40代になれば、こうなる人が多いから」

・・・自分は20代の時と同じつもりでも、そうじゃないんだよな(-_-;)
それを否応にも実感させられた1ヶ月だったな。
一応、今もコルセットしてるけど、少しずつ快復に向かいつつあるみたいで。
とりあえず、もう少し養生にしておこうと思います。

あと、やっぱり忘れてはいけないのは、交通事故。
衝突した先方の方には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。
一応、事故直後にお詫びの電話をさせてもらったが、
比較的元気そうなお声だったので、少し安心した。
それ以降は、保険会社経由で先方のお話をお聞きしている状態だが、
どうやら車の修理も完了した模様。
ひと段落したら、もう一度お詫びの電話をさせてもらおうか、と思う。
僕の車は、フロントがメチャクチャの状態だったが、
クルマ屋さんの尽力で、なんとか復活した。
先日修理が終わった車に乗り、はじめてエンジンキーを回した瞬間、
不覚にも涙腺が緩んで、鼻の奥がキュンとした。
そういえば、自分が涙もろくなったと感じたのも、今月だった。

あと、風邪もひいたなぁ。
悪いことに、腰痛と事故でてんてこ舞いの時に限って
というよりも、そういう時だからこそ、風邪をひきやすくなっていたのかも。
今は、すっかり完治したけど、来春までにはまたひくこともあるんだろうな・・・。

そうそう、あと、煙草もイッパイ吸っちゃったよ (^_^;)
俺はそんなに強い人間じゃないからね。
これだけ不条理というか不安定な出来事が立て続けに起これば、
気持ちもグラグラ揺れるよ。

あらためて思い出したけど、今年は俺、本厄だったんだ。
あんまりというか、この1年、まったく意識していなかったけど、
やっぱりそういうことって関係あるのかな?

とりあえず、今年もあと1ヶ月。
ラストスパートをかけるとしようか!・・・慎重に、マイペースに、だけど(笑)
みなさまもお気をつけて。
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龍馬伝。

2010-11-29 | Weblog
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が、昨日最終回を迎えた。

僕は第1回から、すべて欠かさず視聴してきた。
幼少の泣き虫龍馬が、江戸に武者修行に出て、
ペリー来航後、志を持って脱藩し、全国を周り、
その中で様々な人々と出会い、見聞を広め、挫折し、立ち上がり、
また歩みはじめ・・・そして最後には新しい日本に
変わるためのキーパーソンにまでなり、そしてついに
700年にも及ぶ武家支配の世の中にピリオドを打たせた。

もはや誰もが知っている坂本龍馬の生涯を、あらためて
毎週毎週テレビの前で見てきた。
手垢のついた表現しかできないが、楽しかった。面白かった。

そして、元気をもらえた。

たぶん、世のおじさんたちは、“明日からまた仕事かぁ・・・”と
いう憂鬱な時間帯にこのドラマを視ることによって、月曜日へ向かって
歩き出すパワーを心身に注入してきたのではないだろうか?
僕は、そうだった。
このドラマを視ることが、1週間を乗り切るための、
ひとつのカンフル剤だったような気がする。

そして、昨夜の最終回。
いい、最期だった。
ドラマも。そして、龍馬も。
冒頭からいきなり感慨深いシーンが展開され、
不覚にも目頭が熱くなってしまった。

思えば、大河ドラマはそういう役目を担っているのだと思う。
先日も、数年前に放映されていた「篤姫」の総集編をDVDに焼いていたので、
久しぶりに真夜中に一人で視た。
あのドラマも、一人の女性がまっすぐに自分の信じた道と運命を
受け入れて歩むドラマだった。

さすがに40歳を過ぎると、月9とか、木10といったドラマでは
よほどのことがない限り心が動かなくなってしまった(笑)

また来年からの大河ドラマも毎回視るようになるんだろうな。
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完成見学会。

2010-11-28 | Weblog
我が家の斜め前で建築中だった家が、先週末に完成。


さきほど娘と完成見学会に行ってきました。
「完成見学会」と言っても、誰もいなかったけど(笑)

外壁も内装もピカピカ
キッチンが広い
和室の畳が気持ちいい
浴室がカッコイイ日当たり良好

暮らすには問題なし

・・・でも、古くても、やっぱり住み慣れた我が家の方がいいや(^-^;
家って、そんなものかも知れない。
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ツリ―。

2010-11-28 | Weblog
クリスマスツリーを、出した。

当たり前だけど、1年ぶりだ。

でも、ついこの前、押し入れから出して片づけたような気がするのは、

それだけ時間の進み方が早くなっている証しなのだろうか?

それにしても、年ごとに飾るモノが増えてゆく。

今年は、息子が創った手作りの万華鏡のような模様の紙(四角いヤツ)が新参。

来年は、もう少し大きなツリーに買い換えた方がいいかも
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復活。

2010-11-27 | Weblog
愛車、復活

サイドライン、付け直さなきゃ(^-^;

ちょっとだけ、気持ちが元気になりました
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栞。

2010-11-27 | Weblog
昨夜。

帰宅後、リビングでとある文庫本を読んでいたら、
娘が、長細い紙を僕に手渡してくれた。

フキンか?と手にとって思っていたら、
娘曰く、本の栞とのこと。
僕が読み耽っている文庫本に栞がないことに気づき、
その場で厚手の紙に自分で可愛いクルマの絵を描いて僕にくれたのだった。

ちなみに、その時読んでいたのは、重松清の短編小説集の「送り火」。
そして、ちょうどその時読み耽っていた作品は、その短編の中の
「シド・ヴィシャスから遠く離れて」。

知っている人は分かると思うけど、出来すぎだよなぁ~(笑)
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がんばる。

2010-11-26 | Weblog
今日は仕事、がんばる。

明日、休み。

でも、病院巡りになりそう。

心療内科、外科、カイロプラクティック・・・。

でも、休みたい。

ゆっくり、休みたい。

今は、それだけ。

だから、今日は、がんばる。

俺、仕事、がんばる。
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シルバーリング。

2010-11-25 | Weblog
もう7~8年になるだろうか。
僕は右手の中指にシルバーリングをはめている。

理由は、右手は僕のモノだからである。
左手は、正確には左手の薬指は、今から12年前の9月20日に妻に捧げた。
その証しのリングが、今も左手の薬指に光っている。
しかし、右手は誰のものでもない。
誰にも捧げていない。
死ぬまで、僕のモノである。
僕自身である。
その証しとして、中指に自分の気に入ったリングをはめている。

今月の初めに、新しいシルバーリングを購入した。
シンプルなデザインが気に入って衝動買いをした。
ちなみに、薄給のサラリーマンの僕が衝動買いするくらいだから、
大した金額ではない(笑)

しかし・・・このリングに替えてから、あまり良いことが起こっていない気がする。

腰痛、交通事故、風邪・・・・etc.
公私に限らず、心身に限らず・・・。

これが友達からの相談なら「考えすぎだよ」と一蹴するところなのだが、
やっぱり僕も人の子。
わが身は、可愛い(苦笑)

このリングが災いを引き寄せてるのかな
そういえば、ヨーロッパに身につけたら不幸になる赤いダイヤがあるって
聞いたことがある。たしか、マリー・アントワネットのダイヤだったとか・・・。
本当にそういうことがあるのかな

そう思う一方で、気落ちして単にネガティブモードになっているだけだろう、と
軽く思っている自分もいる。
本来の自分は、後者だということも、自分自身でよく分かっている。

早く、元気になりたいなぁ。

それにしても・・・写真を見てあらためて思ったけど、俺の指ほどリングの
似合わない指も珍しい(-_-;)
もっと細い綺麗な指の人間に生まれたかった・・・。
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尾崎豊。

2010-11-24 | Weblog


昨日、尾崎豊のCDをレンタルした。
2ndアルバムの「回帰線」と3rdアルバムの「壊れた扉から」。
両方とも、1985年の作品。

僕は、まぎれもない尾崎豊世代だ。

彼がデビューしたのは1983年の晩秋。僕は14歳だった。
当時、ラジオから流れてきたデビューシングルの「15の夜」に、
理屈抜きで琴線が震えたことを今でもよく覚えている。

後から知ったことだが、彼の所属レーベルはCBSソニー。
そして彼のプロデューサーは須藤晃という方で、
アレンジャーは西本明と町支寛二。
スタジオミュージシャンには、THE HEARTLANDとTHE FUSEの面々。
つまり、当時(今もだが)最も僕が好きだった浜田省吾と佐野元春の
スタッフ&ミュージシャンで、彼のデビューアルバムは制作されて
いたのである。
だから、僕の琴線が震えたのは偶然でも何でもなく、ものすごく
安易な必然だったのだ。

話が、それた。

僕はたしかに尾崎豊世代で、彼の歌に共鳴はしたが、熱狂的な
ファンではなかった。
僕にとっての尾崎豊は、デビューアルバムから3rdアルバムまでが
すべてだからである。
それ以降の尾崎には、何も興味がない。
何枚かアルバムを出したが、ハッキリ言って、3枚目までのアルバムの
拡大再生産でしかなかった。
その証拠に、尾崎自身も3rdアルバム以降は、明確な方向性が示せず
長期の休業状態に陥ったり、意味もなくNYへ渡ったり、挙げ句の果てに
覚せい剤に手を出してパクられたりした。

彼が亡くなった時のこともよく覚えている。

1992年の春。
土曜日の夜、TVニュースの速報で知った。
僕が暮らしていたアパートの部屋で、その夜は、たまたま友達が
遊びに来ていた。
驚いた。
だけど、不思議と悲しくはなかった。

「何やってんだ、こいつ・・・」

ニュースを見ながら、何度も何度も僕はその言葉を繰り返した
記憶がある。
当時、僕は22歳。
僕はその数週間前に、“社会”に出たばかりだった。
そう、尾崎豊がずっと対峙し続けていた“社会”に。

それ以来、尾崎豊は聴かなくなった。
いや、正確には聴かない人間になった、と言った方がいいかも知れない。

だから、彼の死後、何枚も追悼のCDや秘蔵のDVDや暴露的な本が発表されても、
まったく購入しなかったし、それ以前に何も興味もわかなかった。
上述したが、僕にとっての尾崎豊は、デビューアルバムから3rdアルバムまでが
すべてだったのである。

そして、昨日。

いつも立ち寄る大型書店のレンタルCDコーナーで、尾崎豊を探した。
すぐに見つかった。
今でも数多とある彼のCD(ほとんどが死後の作品だったが)の中から、
端っこに遠慮がち置いてあった2ndアルバムと3ndアルバムを手に取った。

「15の夜」を初めて聴いてから、27年。
彼が亡くなって、18年。

もう、いいだろう。
いや、違う。
今、聴きたい。
素直に、そう思った。

帰宅して、聴いた。
懐かしい歌が次々と流れてきた。

あの頃。
10代のど真ん中の頃、歌詞を聴きながら、そうそう、その通りだ!と
心で強く頷いていた歌たちが、僕の鼓膜に痛く響く。
あの頃の僕が今の僕を見たら、いったいどう思うだろう。
そしてこの歌に大いに共鳴していた16歳の僕が今の僕を見たら、
いったいどう思うだろう。

僕はもう、飢えた狼ではない。
鉄ばかりを食っていない。
豚に食らいつくことが多くなった。

でも少なからず、あの頃よりは今の方がタフになった気がする。
なぁ、そうは思わないか?

尾崎豊「Bow!」
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晩秋。

2010-11-23 | Weblog
今日は休日。

先日、納骨が終わった祖母の墓参りへ。
息子が大風邪をひいているので、一人で来た。

そういえば、何度もこの寺に墓参りに訪れているが、
それは祖父の墓参りであって、“祖母の墓参り”というのは、
よく考えてみれば、今日が初めてだ。

境内に鎮座する銀杏の大木が、黄金色に染まっていた。
また、季節が変わろうとしている。
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