りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

多忙は神様からの贈り物。

2013-07-16 | Weblog
いつもより1日少ない一週間が、今日からはじまった。

突然だが、先週は元気がなかった。
自分を取り囲む前後左右の諸々の事がすべて厄介に思えて、勝手に憂いで潰れそうになっていた。

週が変わった今日。
厄介な事は、相変わらずワタシの前後左右にある。
でも、さほど、潰れそうでもない。

何が違うのか、自分なりに考えてみた。
その結論として行き着いたのは、“時間”だった。

仕事においては、先々週までは忙しく動いていたのだが、先週はその反動か、さほど忙しくなかった。
おかげで、それまでの仕事の整理をしたり、今月下旬から動く仕事の下準備をして過ごす事が多かった。

つまり、いつもより時間があったのだ。

自身でコントロールできる時間があるのは、誰でも嬉しい。
でも、それにも適度があるようだ。
あまりにも時間がありすぎると、普段は考える必要のないことまで、考えはじめるのかもしれない。
ポジティブな事だけを考えるのなら良いのだけど、それに飽きたら、まるで振り子のように、ネガティブな
領域へと、そのベクトルが向かってしまう。

・・・で、自分自身が、不安になる。

若い頃は、そんな事はなかった。
どんなに時間が余り溢れていても、不安になる事など、全くと言っても良いほど、なかった。
今思えば、若い頃・・・つまり仕事も未熟で、家庭もなく、お金もない(これは今もない)頃は、何も持って
いないのだから、不安になる必要などなかったのだ。

不安というのは、突き詰めれば、自分の持っているものを失う恐怖の感情なのだと思う。

この20年ほどで、ワタシも様々なものを持ってしまった。
その代わりに失ったものがあるとすれば、それは“時間”なのではないかと思う時がある。

仕事を覚えれば覚えるほど、家族が増えれば増えるほど、ワタシの時間は失われていった。
そしてその代償として、公私に関わらず、今まで持っていなかったものをたくさん得てきたように思う。

それなのに、先週に限って、失くしたはずの“時間”が、まるで思い出したかのように、突然ワタシの元に戻ってきた。
それが原因で、夏風邪のように、不安の禍中に陥ってしまったのだと思う。

「多忙は神様からの贈り物」

誰の言葉だったかはもう忘れてしまったけど、そんな言葉を聞いたことがある。
良い言葉だと、素直に思う。

自身の前後左右に数多のものを持ってしまった以上、もう今のワタシには余計な“時間”は要らないのだろう。
おそらく、いつかリタイヤする時が来るまで、時間と追いかけっこするくらいの生活の方が、きっと良いのだ。
今回の一件で、それを学習したような気がする。
それだけでも、ポジティブに考える事としようか。

ところで話は変わるけど、子どもたちは来週から、いよいよ夏休みだそうだ。

・・・やっぱり、羨ましい(笑)
コメント (4)
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