りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

うち。

2013-07-18 | Weblog
今夏で14歳になるワタシの娘は、幼い頃、自分のことを、“◯◯ちゃん(自分の名前)”と
言っていたのに、小学4年生あたりから別の呼称を使いはじめた。

“うち”。

広島の女性の大半は、自身のことを呼ぶ時、そう言う。
ある意味、自分のことを“うち”と呼ぶようになると、それは思春期の扉を開けた証しの
ように思える。実際、娘は今、思春期ド真ん中だ。

ワタシの勝手な推論だけど、広島の女性は、幼年期には自身を“◯◯ちゃん”と呼び、
思春期に“ウチ”と呼ぶようになり、そして成熟し立派な大人になると“わたし”と呼ぶ。
もちろん、気心知れた仲間や身内といる時には、成人後も“うち”と呼ぶことはあるだろうが、
それでも10代の頃に比べれば、使用する頻度は激減するのではないだろうか。

映画「仁義なき戦い」を出すまでもなく、聞き方や使い方によっては、広島弁は相当キツい。
しかしその一方で、他の方言に負けないくらい、暖かく素朴な方言であるとも思っている。
それを如実に表している言葉のひとつが、“うち”だと、ワタシは思う。

“うちねぇ、◯◯くんのことが好きなんよ”
“うち、◯◯になりたいんよ”
“もう帰りんさい、後はうちがやっとくけぇ”・・・etc.

そんな優しさを内包した“うち”という呼称を、最近、新聞紙上や全国ニュースでよく見聞きする。

“うち、人を殺した”

それは子どもの頃から身近に接してきた思いやりにあふれる“うち”とは、到底相容れない
使われ方だった。

呉市の灰ヶ峰も、よく知っている。
20代の頃、よく友達とドライブがてら出かけた。
ここから眺める呉市の夜景は、言葉にできないほど本当に美しい。
LINEも最近は頻繁に活用している。
すでに日常生活においての不可欠の道具になりつつある。
そして“うち”という呼び方も、おそらくこれからもずっと耳にし続けることだろう。

世代や性別は違えど、自分の生活とよく似た環境にある人物たちが、すぐ至近の場所で、
悲しく寂しい事件を起こしてしまった。

いったい彼らは、どんな気持ちでLINEを使い、灰ヶ峰に行き、そして“うち”という言葉を口に
していたのだろうか。

<広島女性遺棄>逮捕の7人の関係は 面識ない容疑者も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130718-00000056-mai-soci
コメント (1)
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