先日の日曜日の夕方、実家に帰った。
このブログをよく読んでいただいている方ならご存知かと思うが、ワタシの実家は、同じ町内。
自宅から歩いて30分ほどの場所。
それでも日常は何かしらの用事が必ずあるので、なかなか帰ることができず、今回の帰省(笑)は約1ヶ月ぶり。
用事もなく一人で帰るのもどうかと思ったので、夏休みに入って以来、塾の夏期講習で、ほとんど毎日家と
塾の往復だった娘を連れて帰った。
梅雨明け以来、わが家の周辺も連日猛暑が続いているが、同じ町内でも比較的自然があふれている実家周辺なら、
少しは暑さも和らいでいるのでは?と期待して帰ったのだが、やっぱり、丘ひとつ隔てただけでは何も変わらない。
カモメはカモメ。猛暑は猛暑(笑)
土曜日に行った岡山のこと、娘の塾のこと、わが家のテレビが壊れたこと、親父の弱くなった足腰のこと、今年お袋が迎える古希のこと・・・・。
手みやげに買ってきたアイスクリームを居間で頬張りながら、両親と娘とワタシの間で、他愛もない話が泡沫のように湧いては消える。
お袋は、会話を交わしながらも居間と台所を行ったり来たり。
そして台所から戻ってくるたびに、どう見てもお袋自身が買って来たモノのようにしか見えないのに、“お隣さんからの貰いもんじゃけど・・・”と
いう言葉を付けて、お菓子や果物やパンを次から次へとワタシと娘の前に差し出す。
親父は、中学生になってからというもの、以前のように実家に訪れなくなった初孫であるワタシの娘が久しぶりに顔を見せてくれたことが
嬉しかったようだ。
いつもは小言じみた説教ばかり口にするくせに、初孫が話す塾の夏期講習の話を目を細めながら聞いていた。
しばらくして中座すると、ワタシは玄関の外に出てタバコに火をつけた。
そして、実家の前の通りを見回した。
午後4時過ぎの通りには、誰もいなかった。
それが猛暑のためなのか、それとも地域に暮らす人自体が減ったためなのかは、分からない。
けれども、昔・・・ワタシが小学生の頃の夏の夕暮れ時には、近所の空き地や、その先にある海水浴場で
遊んでいた子どもたちが、この通りを嬌声や歓声を上げながら行き交っていたものだった。
最近、夏の記憶を思い出そうとすると、最初に思い出すのは、二十歳の夏でも、三十歳の夏でも、四十歳の夏でもなく、
この実家で暮らしていた頃の夏・・・つまり、子どもの頃の夏を思い出すことが多くなったような気がする。
都会でバイトに明け暮れていた二十歳の夏も、家庭を持って間もなかった三十歳の夏も、ワタシにとっては忘れ難い大切な夏の記憶なのだが、
決まって脳裏に浮かぶ景色は、夏の午後、実家の畳の上で大の字になって昼寝をしていたことや、炎天下の中、同級生と自転車をすっ飛ばして
海水浴場へ向かったことや、集落の奥にある廃れた小さなグラウンドで、蝉の大合唱を耳にしながらソフトボールの練習していたことを思い出してしまう。
どれもこれも、遠い遠い、本当に遠い、少年の夏ばかりだ。
もう一度、目の前の通りを見渡す。
あの頃、日が暮れて景色の色がなくなるまで遊んでいた近所の空き地は、きれいに区分けされて、分譲住宅に変わってしまった。
5つも6つもあった島内の海水浴場は、老朽化や管理者不在のために、今ではすべてが閉鎖されてしまった。
廃れた小さなグラウンドは、運動不足の今のワタシにとっては、まったく無縁な場所になってしまった。
時代が変わってしまった・・・と言えばそれまでの話なのだが、そこはワタシも人の子。当たり前だった風景が変わることに対して、
やはり一抹の寂しさを感じてしまう。
もうすぐお盆。
その時には、広島で暮らす弟家族も帰ってくる。
実家の周囲で暮らしていたかつての幼なじみ達も、それぞれの実家へ帰ってくることだろう。
その時には、あの頃の・・・少年の夏の景色が、ほんの少しだけ、この通りにも帰ってくるかもしれない。
このブログをよく読んでいただいている方ならご存知かと思うが、ワタシの実家は、同じ町内。
自宅から歩いて30分ほどの場所。
それでも日常は何かしらの用事が必ずあるので、なかなか帰ることができず、今回の帰省(笑)は約1ヶ月ぶり。
用事もなく一人で帰るのもどうかと思ったので、夏休みに入って以来、塾の夏期講習で、ほとんど毎日家と
塾の往復だった娘を連れて帰った。
梅雨明け以来、わが家の周辺も連日猛暑が続いているが、同じ町内でも比較的自然があふれている実家周辺なら、
少しは暑さも和らいでいるのでは?と期待して帰ったのだが、やっぱり、丘ひとつ隔てただけでは何も変わらない。
カモメはカモメ。猛暑は猛暑(笑)
土曜日に行った岡山のこと、娘の塾のこと、わが家のテレビが壊れたこと、親父の弱くなった足腰のこと、今年お袋が迎える古希のこと・・・・。
手みやげに買ってきたアイスクリームを居間で頬張りながら、両親と娘とワタシの間で、他愛もない話が泡沫のように湧いては消える。
お袋は、会話を交わしながらも居間と台所を行ったり来たり。
そして台所から戻ってくるたびに、どう見てもお袋自身が買って来たモノのようにしか見えないのに、“お隣さんからの貰いもんじゃけど・・・”と
いう言葉を付けて、お菓子や果物やパンを次から次へとワタシと娘の前に差し出す。
親父は、中学生になってからというもの、以前のように実家に訪れなくなった初孫であるワタシの娘が久しぶりに顔を見せてくれたことが
嬉しかったようだ。
いつもは小言じみた説教ばかり口にするくせに、初孫が話す塾の夏期講習の話を目を細めながら聞いていた。
しばらくして中座すると、ワタシは玄関の外に出てタバコに火をつけた。
そして、実家の前の通りを見回した。
午後4時過ぎの通りには、誰もいなかった。
それが猛暑のためなのか、それとも地域に暮らす人自体が減ったためなのかは、分からない。
けれども、昔・・・ワタシが小学生の頃の夏の夕暮れ時には、近所の空き地や、その先にある海水浴場で
遊んでいた子どもたちが、この通りを嬌声や歓声を上げながら行き交っていたものだった。
最近、夏の記憶を思い出そうとすると、最初に思い出すのは、二十歳の夏でも、三十歳の夏でも、四十歳の夏でもなく、
この実家で暮らしていた頃の夏・・・つまり、子どもの頃の夏を思い出すことが多くなったような気がする。
都会でバイトに明け暮れていた二十歳の夏も、家庭を持って間もなかった三十歳の夏も、ワタシにとっては忘れ難い大切な夏の記憶なのだが、
決まって脳裏に浮かぶ景色は、夏の午後、実家の畳の上で大の字になって昼寝をしていたことや、炎天下の中、同級生と自転車をすっ飛ばして
海水浴場へ向かったことや、集落の奥にある廃れた小さなグラウンドで、蝉の大合唱を耳にしながらソフトボールの練習していたことを思い出してしまう。
どれもこれも、遠い遠い、本当に遠い、少年の夏ばかりだ。
もう一度、目の前の通りを見渡す。
あの頃、日が暮れて景色の色がなくなるまで遊んでいた近所の空き地は、きれいに区分けされて、分譲住宅に変わってしまった。
5つも6つもあった島内の海水浴場は、老朽化や管理者不在のために、今ではすべてが閉鎖されてしまった。
廃れた小さなグラウンドは、運動不足の今のワタシにとっては、まったく無縁な場所になってしまった。
時代が変わってしまった・・・と言えばそれまでの話なのだが、そこはワタシも人の子。当たり前だった風景が変わることに対して、
やはり一抹の寂しさを感じてしまう。
もうすぐお盆。
その時には、広島で暮らす弟家族も帰ってくる。
実家の周囲で暮らしていたかつての幼なじみ達も、それぞれの実家へ帰ってくることだろう。
その時には、あの頃の・・・少年の夏の景色が、ほんの少しだけ、この通りにも帰ってくるかもしれない。