りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

春が、来る。

2011-03-31 | Weblog
昨日の昼下がり、桜が咲いていた。

おそらくソメイヨシノではないだろうけど、
なんていう桜の木なんだろう?

でも、どんな桜でも、青空を背景に眺める
薄桃色の花びらは、心を和ませる。

今日も晴天。
天気予報によると、気温も上がるそうだ。
ソメイヨシノの開花宣言も出るかもしれない。

春だ。
春が、来る。
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さようなら、石榑さん。

2011-03-30 | Weblog
このブログでも何度か書いたことのある、NHK広島放送局の
天気予報士・石榑亜紀子さん。

以前から、ファンですと公言していたが、
なんと、その石榑さん、先週末ですべての番組を卒業し、
今週から新しい女性の天気予報士さんに変わっていた

急いでNHK広島放送局のHPへアクセス。
すると、石榑さんからのこんなメッセージが・・・↓
http://www.nhk.or.jp/hiroshima/announcer/c15_ishigure.html

石榑さん、お疲れ様でした。
午後9時前の貴女が伝える天気予報が、
仕事で疲れた心身を毎晩癒してくれました。

昨年、実際にお会いできたこと、忘れません。
ありがとうございました。

また、新天地でがんばってください。

さようなら。

ありがとう。

お元気で・・・。



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看板屋。

2011-03-29 | Weblog
写真は、僕が勤める会社の倉庫に保管されてあるサイン。

JR尾道駅に設置されていた尾道市のガイドマップだ。
このガイドマップを作ったのは、今から17年前の今ごろ。
僕は当時、24歳。
会社に中途入社して、まだ1ヶ月そこそこの頃だった。

前の会社ではグラフィックデザイン・・・といっても、
大型量販店のチラシのデザインばかりだったが、そういった
デザインしかやったことがない僕にとって、“看板”の
デザインは、まったくの未知の領域だった。
もっとも、チラシのデザインしかできない・・・といっても、
それさえも、まだまだ実力も実績も根性も自信も何もない、
まったくのチンピラデザイナーだったが。

とにもかくにも、“看板、サイン”といった媒体のデザインも
制作行程も何も知らなかった僕は、いきなり駅に設置する
高さ2mはあるような巨大なガイドマップを制作することになったのだ。

当時は、パソコンでデザインなんて、まだ遠い夢の話だった。
(実際は、その翌年にDTP革命は起こったのだが)

僕は既存の市街地図を片手に、見よう見まねでガイドマップの
ラフデザインを作り、そのデザインを、実際に看板の製作を
依頼していた看板屋に持ち込んだ。

その看板屋は、僕よりもひと回りもふた回りも年上のおじさん2人で
仕事をしている看板屋だった。
当時は、看板屋も当然のように、すべて手作業だった。
埃と塵が漂う作業場に、いくつものペンキの缶が転がり、机の上には、
カッテッィングシートのカラフルな見本が散らばっている。
作業場の隅や、天井に作られたロフトのような物置きには、
使用済みの立看板やいくつかに分割された巨大な看板たちが、
積み重なって放置されている。
壁にぶら下がったラジオからは、昼下がり独特の、口調も音楽も
弛緩した番組が流れている。

そこは、男の仕事場だった。

僕は、黙々と仕事をしていたその看板屋のおじさんに、自分のガイド
マップのラフデザインをおそるおそる見せた。
おじさんは、被っていたキャップのつばに片手に添えて、もう片方の
手で、僕のラフデザインを広げて、しばらくの間しげしげと眺めた。

「いいじゃなんですかね」

どれほどの時間が流れただろう。
おじさんは、笑顔で僕に向かってそう言った。
その笑顔と言葉に、僕は胃から喉まで昇ってきていた得体の知れぬ異物が
一気に滑り落ちたような気持ちになった。

「これを元に作りますよ、ありがとうございます」

おじさんは、ひと回りもふた回りも年下の僕に向かって、丁寧にそう言って
お辞儀をした。もちろん、僕もそれ以上のお辞儀を返した。

それ以降、看板のデザイン制作をその看板屋から教わった。
しかし、学校の教師と生徒のように時間を決めて面と向かって教えて
もらったことは一度もない。

デザインに入る前や、デザインをしている過程で疑問が生じたら、
すぐに電話をしたり、作業場へ向かった。
そしてそこで他愛もない雑談をしたり作業風景を見ているうちに、
僕の抱えていた些細な疑問や不安は、必ずと言っていいほど、知らぬ間に
昇華していった。
そしておじさんは、僕が顔を出すと必ずと言っていいほど、笑顔でこういう
セリフを口にした。

「りきるさんはデザイナーなんだから。好きにデザインすればいいんですよ。
僕らはそれをちゃんとカタチにするから。デザインは、デザイナーのもの」

あれから17年。

四苦八苦、暗中模索、七転八倒しながら手書きと切り貼りでガイドマップの
デザインをしていた僕も、今では数え切れないほどの看板やサインをデザイン
してきた。

そして。

僕に看板のいろはを教えてくれたこの看板屋は、3月末日をもって廃業
することになった。
理由は、いろいろとある。
あえてひと言でいうならば「時代が変わった」、ということになるの
かもしれない。

いろんなことが、本当にいろんなことがあった、2011年3月。
その3月も、あと3日で終わる。

もうすぐ、新しい季節が、訪れる。
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販売開始。

2011-03-27 | Weblog
僕が描いたポスターの販売をはじめました。



このポスターの売り上げは、
東日本大震災の被災者の方々のために
寄付させていただきます。
よろしければご覧ください。
宜しくお願いします↓
http://awesome.asm-shop.com/?eid=631715
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同窓会。

2011-03-26 | Weblog
今(午後3時)から1時間ほど前に、起きた

昨夜は、小学校の時の同級生5人で飲みに行った。
いや~、楽しかったです。
あんなに大笑いしたのは、久々のような気がする。
女子が2人いたんだけど、その2人とも小学校卒業
以来だから、なんと30年ぶりの再会。

最近の近況も話したけど、やっぱり盛り上がったのは
小学生の頃の話で。
もう30年以上も前の出来事なのに、僕も含めてみんな
よく憶えていること憶えていること。

「え、そんなことあったっけ
「あったあった
「ギャハハハハハ

・・・もう、その繰り返し(^_^;)
でもみんな、もう立派な大人のくせに、昨夜だけはビール
やチューハイを飲みながらも、中身だけは10歳くらいに
戻っていた。
40代になって同じ目線で「・・・君」「・・・ちゃん」と
呼び合うのも新鮮だったなぁ。

この中途半端な時期に、飲み会を開いたのは、
実はある同級生が東京から仕事で帰ってきたからだ。
それが彼女↓



吉田万里子ちゃん。
彼女、キレイな女性なんだけど、女子プロレスラーです。
高校卒業後、北斗晶の付き人になり、20代はアジャ・コングや
ジャガー横田とも何度も対戦したことがあるそうな。
その後、何度かチャンピオンになって、今は「体幹チューニング」という
健康教室を開催している。
今回の帰郷は、その教室を地元で開催するからだったのだ。

ここ数年身体のコンディションを崩して、今は第一線を退いている
万里ちゃんだったが、最近、少しずつ調子が戻ってきたそうなので、
またリングへ戻る事を考えているという。

このバイタリティー

すごい
僕には感嘆の声しか出せなかった・・・。

その他にもその場にいた同級生は、みんな家庭や子どもを持つ身に
なっていた。
しかし、誰一人平平凡凡と時間を怠惰に過ごして来た人間は、1人も
いなかった。
いろんな経験や体験をし、また信じられないような出来事にも遭遇
しながらも、決して負けることなく、受け入れ、そしてそれらを
すべて乗り越えて、40代を迎えていた。

大げさかも知れないけど、みんな“生き残って”昨日、再会した。
僕にはそんな気さえしていた。

最後に、記念撮影。
酔っ払っていたせいか、ブログに載せていいか?と尋ねたら、
みんな「顔だしOKよ」←アブネー表現
というので、その場の3人だけ写メ。
さて、僕は、どれでしょう(笑)?

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教訓。

2011-03-25 | Weblog
昨日、仕事を通じてあらためて分かったこと。

自分が背負った課題は、最後は自分自身で解決しければ、
本当の意味でクリアにならない。
問題そのものも、心の中も。

今夜は、小学校時代の幼なじみ数人と再会。
30年ぶり。
小さな小さな同窓会。

それを糧に、今日も乗り切ろう。
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朝風呂。

2011-03-24 | Weblog
昨夜はクタクタクタクタの
ボロ雑巾のようになって、
仕事から帰宅した。

着替えると、そのまんま、
いつの間にか寝ていた(-_-)zzzz

今朝。

まず風呂を温め直して、風呂に入った。
じ――――――っとバスタブのお湯の中にいたら、
身体の中のドロドロしたものがすべて浄化されて
ゆくような気がした。

20分ほどのカラスの行水で、風呂からあがった。
脱衣場で身体を拭く。
なんだか身体が軽くなったような気がする。

念のため、体重計に乗ってみた。
一昨日より体重が1kg減っていた。

さぁ、今日も1日、がんばるべ
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BREATH

2011-03-23 | Weblog
昨日、BOOK OFFで、1枚のCDを買った。

渡辺美里の「BREATH」。

ワゴンセールのように山積みにされた古いCDの中にあった。
嬉しい半面、ちょっと淋しかった。
そうか・・・このアルバムも、もうこんな扱いを受けるように
なっちゃったのか・・・。

もう今から何年前のアルバムになるのだろう。
僕が18歳の頃のアルバムだから・・・もう24年前か。

渡辺美里も、今ではヴォーカリストとして大物の貫禄が
つきはじめたが、この頃はまだデビュー間もなくて、
本当に本当に可愛かった。
そして、バツグンに歌が巧かった。

数ある彼女のアルバムの中で、最も好きなアルバムはどれか?
と尋ねられたら、僕は間違いなくこのアルバムを選ぶ。
実際に、当時僕はこのアルバムをLPで購入した。
あえてCDではなく、LPで買った。
奇しくもCDとレコードの売り上げが逆転した頃に、だ。
理由は、このアルバムジャケットだった。
この斬新なアートディレクションが施されたアルバムジャケットは、
間違いなく、レコード時代最後の傑作のひとつだと今でも思う。

中身も、傑作だった。

1曲目からラストまで、今でも大好きな曲が並ぶ。
当時はあまり気にしていなかったが、今になってあらためて
ライナーノーツを見ると、全曲のギターは、あの佐橋佳幸さんなのだ。

佐橋佳幸・・・って誰だって?

山弦というギターユニットを組んでいる人。
佐野元春、山下達郎、桑田圭祐のバックバンドでおなじみの人。
小田和正の「ラブストーリーは突然に」のイントロの、
あのあまりにも有名なギターの出だしを弾いている人。
もっと分かりやすく言えば・・・松たか子の旦那

とにかく、今でも大好きなアルバムなので、店頭のワゴンから
取り出して、購入して、そして帰宅後、すぐにウォークマンに
インストールした。

アルバムの中で最も好きな曲はどれか?と尋ねられたら、
たぶん、僕は10秒ほど迷って、この曲を選ぶと思う。

アルバムの最後を飾る曲だ。

ギターはもちろん、佐橋さん。
もう少し温かくなって、若葉の緑がまぶしくなりはじめた頃、
窓を開けた昼下がりの部屋で、1人で聴きたい。
そんな曲だ。

「風になれたら」渡辺美里
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苦役列車。

2011-03-22 | Weblog
今年の上半期の芥川賞を受賞した西村賢太氏の「苦役列車」。

それが掲載された「文芸春秋」の3月号をずいぶん前に購入
していたが、なかなか読む時間(というよりも気持ちの問題か?)が
なくて、部屋の隅に放っていた。

今日、やっとページを開いた。

先日、僕が短編小説で最優秀賞を受賞した「ふくやま文学選奨」で、
選者の中山芽集子先生からも「りきるさん、“苦役列車”は読んで
おいた方がいいわよ。文体はまだまだ粗さが目立つけど、あの文章の
力には圧倒されるから」と言われていた。

あえて先生の言葉を深読みすれば、おそらく僕の創る小説に足りない
モノが西村氏の「苦役列車」に存在していることを、そのような言葉
でさりげなく指摘されたのかもしれない。

気分的には、今は小説を書くよりも、小説を読みたいモードである
ことは確か。

今は充電・・・いや、吸収の期間なのかも知れない。
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老眼のはしり。

2011-03-21 | Weblog
先日、メガネを買い換えたことを日記に書いた。
その時、念のため視力検査もしてもらった。

ここ10年ほど、新しいメガネやサングラスを
購入する時、さほど視力のことを気にして
なかったので、いつも“今のと同じレンズで”と
店員に言っていたのだが、最近、自分でも
以前に比べて目の疲れが著しくなったことを
感じはじめていたのだ。

毎日仕事でパソコンとにらめっこの日々だ。
今年の9月で42歳になる。
ちょっと早いけど、もしかしたら、そろそろ・・・と
思っても不思議ではない。

メガネ店の奥の視力検査室で視力をじっくり測定。

しかし、測定結果は、少しだけ“老眼のはしり”の
兆候があるものの、視力自体は今までとまったく同じとのこと。

「あなたは、完全に老眼です」

という、烙印のような宣告を覚悟していた僕にとって、
あまりにも拍子抜けをする結果だった。

結局、新しいメガネは今までと同じ視力のレンズになった。
ついでに“老眼のはしり”という状態について店員に尋ねたが、
今はまだあまり気にしなくてもいいとのことだった。

40歳を越えれば、誰でも老眼に近づいてゆく。
僕の状態も、40代前半の人間ならば当たり前の状態だそうで、
近視と乱視の僕にとっては、まだ老眼よりもそちらを重視した
レンズにする方が賢明だとのことだった。

実生活でいえば、手元の新聞の文字やパソコンの画面が極端に
読みづらいわけではない。
その一方でクルマの運転を毎日している生活では、遠くが見え
やすい今のレンズの方がいい、というわけだ。

別に、老眼を宣告されたとしても、
以前ほどの恐怖は、もう僕の中にはなかった。
それどころか、“もう老眼になってもいいのに”と思っている
自分がいる。

おそらく周囲の変化に原因があるような気がする。

公私でつき合いのある少し上の世代の人たちが、何人もいる。
若い頃から今日まで、僕はそういう人たちから、様々な影響を
受けてきた。
そしてそんな少し上の世代の人たちがそろそろ老眼になりはじめている。
それどころか、当たり前のように老眼鏡をかけて手元の文字を追う姿を
見るようになってきた。
きっと、老眼や老眼鏡をかけた姿に抵抗がなくなりはじめたのだと思う。

先日テレビのトーク番組で知ったけど、あのキョンキョンも、
ついに老眼鏡を購入したらしいからね(笑)

ちょっとメガネを下にずらして、もしくは掛けている近視&乱視用のメガネを
上に持ち上げて新聞や本を離して読む姿・・・もはや憧れを感じつつある自分がいる。
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